ヒカルは長いため息をついた。
緒方は場合によっては長い任務になるだろう
とヒカルに言った。
AP社の情報はどんな些細なものでもソアンドは手に入れたいらしい。
『もしあいつの傍にいたいなら、ずっと騙し続けることだ。』
そういった緒方の言葉は別の意図も含んでいた。
そうすれば表立ってヒカルは普通に生活が出来るということだ。
もちろんそれはスパイとしてではあっても、今のヒカルが望んでも
得られないものだろう。
『お前の性格ではこの世界は向かん。
これでもオレはお前が幸せを願ってる。』
「緒方先生、」
ヒカルは緒方の気持ちにうすうす気づいていた。
それに応えてもいいと思いはじめてもいた。
「ごめん、オレ、」
「あやまることではないはずだ。」
そういってから緒方は付け加えた。
「アキラはAP社の社長のお気に入りだそうだ。
これは極秘中の極秘事項だが、
後継者としてアキラを育てたいらしい。
だからわざわざ大学まで行かせたんだ。」
極秘中の極秘事項をこうもあっさりと入手するとは
一体どこまでAP社内部にソアンドは入り込んでいるのか。
スパイはヒカルだけではない。だがそれよりももっとヒカルは
気になることがあった。
「つまり、APの社長が大学も出てないと不味いってこと?」
「それもあるだろうが、今の間に人脈を養って欲しいってのもあるんだろう。
T大だからな。これから先、日本を担う人材も沢山いるはずだ。」
ヒカルは今更ながらアキラが光輝く先にいるような気がした。
「そんなあいつにオレなんかが近づけるのか?オレちっと不安になって
きたんだけど」
「大丈夫だろう。これから先はAP社もあいつに近づくやつは警戒するかもしれんが
孤児のあいつがマークされるには今の時期では思うまい。
もっともお前がAP社内にもぐりこめばもっとも効率がいいんだがな。」
ヒカルはそれに苦笑した。
「そこで、またソアンドをスパイしてこいなんて言われたら2重スパイもいい
トコじゃねえか。」
「まあその時はその時だな。」
緒方は笑いながら社が用意したのだろう最新のガジェットの数々を取り出した。
その中には盗聴器や薬品も多数含まれていた。
「必要なものがあったら何でも言え。すぐに用意する。」
「わかった。」
ヒカルはそれを用心深く箱に詰め込んだ。
「何度もいうが今回は長丁場だ。あせる必要はない。最初はアキラも警戒
するだろうしな。」
「うん、先生とは同じ大学内だし報告がたらちょくちょく顔出すよ。」
「ああ健闘を祈ってる。」
緒方はヒカルにキスをするとヒカルも応えた。
それはホンノ数日前の出来事のはずだった。
だが1日にしてヒカルの世界が変わった今、随分前のことのよう
に感じていた。
アキラはマンションを出てから用心深く携帯を取り出した。
「もしもし、芦原さん?」
芦原はAP社の社長秘書の一人であり芦原家は社長とは血縁筋
でもある。
だが彼には欲というものがなく、アキラにとってはAPで一番頼れる
先輩だった。
「あれ?アキラくんどうかしたのかい?」
「すみません。どうしても芦原さんにしか頼めないことがあって。」
芦原はそれだけでピンっときたようだった。
「例の彼のこと?だったら引き続き調査してるよ。」
ヒカルについて些細でもなにか情報が得られればアキラに報告を
すると芦原と約束を交わしていた。
「それが・・・昨日彼の方から僕の前に現れたのです。」
「それってどういうこと?」
「例の・・・研究所員に推薦されて突然大学に転入してきたんです。」
「・・・・。」
しばらく押し黙った芦原は深くため息をついた。
「アキラくん、それは不味いだろう?」
アキラははやる気持ちを抑えるように言った。
「だからあの人には内緒にしてもらいたいのです。
そして出来れば彼の経緯を
もう1度洗ってもらいたい。もちろん僕のほうでも彼に直接あたってみますが。」
アキラが濁した名前に芦原は顔をしかめた。
彼はアキラを非常に気に入っている。
アキラを後継者にするために養子の申し出もしたほどなのだ。
アキラはそれを断ったが。
彼はそれにも気を悪くするどころかかえってアキラを気に入ったようだった。
『ならば自力で上がって来るのを待っている』と。
家柄や学歴よりもこの世界では行動力と判断力が最大の武器となる。
アキラにはそれだけでなく統率力も備わっている。
芦原もそんなアキラに惹かれるし、彼の統べるAP社を見てみたいとも思う。
だが、芦原が杞憂するところもある。
進藤 ヒカル。
アキラが施設にいた頃一緒に過ごしたという少年。
情報収集者としては非常に優秀な芦原だが、アキラのこだわる
進藤ヒカルの件に関しては
全くというほど情報が得られなかった。
これほどでないということは誰かが故意に消去したか隠しているのか。
そんなヒカルが突然アキラの前に姿を現すっていうのは絶対に何か
あるといってもいい。
そして・・・芦原の一番の気がかりは
「進藤ヒカル」が関わるとアキラは冷静さを失うということだ。
「アキラくんのことだ。僕があえて言うまでもないだろうけど。」
それでも苦言のひとつでもいいそうになった芦原は口を閉じた。
「彼の現住所やメルアド、今わかってることすべてこっちに回して欲しい。
そこから割り出せることもあるから。」
「わかりました。芦原さんよろしくお願いします。」
「ああ、足元すくわれないように用心しろよ。」
一瞬の間のあとアキラはうなづいた。
「はい。」
携帯をしまった後、アキラはふっと長いため息をついた。
見上げたマンションの一室は今もカーテンが固く閉じられていた。