芥に抱きかかえられた学は苦しそうに肩で息をし
その表情はすでに死を纏っていた。
それでも芥におろして欲しいと訴えると一人で立ち上つのも
やっとだというのに学は相沢に向かって微笑んだ。
それは儚い笑顔だった。
「もういいだろ?教授の夢、・・そしてオレたちの夢こいつらが叶えて
くれっから・・・」
学は擦れた声でそういうと遠い昔を思い出すように目を閉じて
言葉を続けた。
「教授、昔 話してくれただろ?ちゃんと覚えてるんだぜ。オレ
人と・・・獣が共存できる世界・・・お袋と教授の夢だったじゃねえか。」
「学、もういい やめろ!!」
苦しそうに肩で呼吸を繰り返す学に芥は手の伸ばしたが学は
その手を取らなかった。
「オレたち異端視されて住むところも追われて、食べるもんもなくて
お袋もひでえ殺されかたして・・・オレも同じくれえ痛かったから
教授の気持ちわかるから、
人を憎む気持ちもわかるから・・。
それでもオレ教授が人を恨むのとおなじぐれえ人に憧れを抱いてたの知ってる。」
かあさんの夢だったからだろ?
学がそう問いかけると相沢は鼻でせせら笑った。
「ナンバー011、そんな事を言うために寿命を縮めにきたのか。
愚かなことだ。」
相沢の冷やかな声が響いても学は言葉を続けるのをやめようとはしなかった。
「だってオレ気づいちまったんだ。もうすぐ逝っちまうから気づいたのか
のかもしれねえけど・・・教授はもう。」
「011、何がいいたい!!」
学は確かにそこにある相沢をじっとみつめた。
目の前に見えるその存在。
だがその存在は影のようにあやふやな気配しか纏ってはいなかった。
夜はようやく合点がいった。
この男はもうすでにここにはいない。
昨夜、夜が仕掛けた時に死んだのか或いはもっと以前からなのかわからないが、、
いずれにせよ目の前にいるこの男はただの思念・亡霊でしかないと言うのだろう。
「何を根拠にそんなことを・・?」
相沢の存在が希薄になった瞬間その声も弱くなった気がした。
学は相沢の懐に飛び込むと白衣にぎゅっとしがみついた。
その様子を芥は拳をつくってただ堪えていた。
「オレ教授と一緒にいってやる・・・オレが一緒だったら寂しくねえだろ?」
「・・・ガク?」
長い眠りから覚めたように相沢はそうつぶやくと自分の胸の内にいる少年を
じっと見つめた。
学は幸せそうに笑った。
「親父・・ようやくオレのこと名前で・・・よんでくれたな。」
薄れていく温かな存在に学はしがみついた。
けれどその時には砂を握るように学の手からすべてが零れ落ちていった。
「親父!!」
堪えていた学の瞳からはらはらと涙が零れ落ちた。
支えるものがなくなってその場に倒れこみそうになった学を芥は咄嗟に受け止めた。
「学・・ガク しっかりしろ!!」
「か・・・い」
学は小さくごめんなと芥に謝った。
「もうそれ以上喋るな。」
芥が制しても学はきかなかった。
「オレ・・・もうだめみたい。」
「何をいう。薬が出来上がったんだ。だからもう大丈夫だ。」
が、学は芥が薬を取りに行こうとするのをとめた。
もう間に合わないことを学自身が一番悟っていたのだ。
「芥もういいんだ。だからさオレ・・・あの日に・・・かえりたい。狼だったころに、」
「学?」
芥はなぜか、学が生まれた日のことを思い出していた。
それは遠い昔の出来事のような気もしたしホンの昨日の出来事のような
気もした。
母の腕に抱かれた小さな狼。オレの弟。
温かくて柔らかくて、そして何よりも愛しい存在だった。
小さな小さな体を丸めて身を寄せ合って寒さを凌いだあの頃。
住む場所を追われて飢えを凌いだあの頃。
けれど今思えば芥はあの頃が一番穏やかで幸せだったような気がした。
みるみる冷たくなっていく学の体を芥は温めるように頬をよせ
自身の体で温めた。
それでも学の体は冷え心臓の音も弱くなっていく。
「ガク ガク・・・オレを一人にするつもりか!!
頼む後生のお願いだ。親父、学を連れて行くな。」
芥の叫びは狼の遠吠えのように夜空に響いた。
やがて芥の叫びが嗚咽に変わり
夜はこの時になってようやく芥に声をかけた。
「たった一つだけそいつを助ける方法がある。」
芥はようやく顔をあげて夜を凝視した。
らんは芥を勇気付けるように頷くと言葉を続けた。
「その子に生きる意志があればね。」
それは夜とらんが選択するはずだった道だった。
だからこそどんな姿になってもこの二人には生きて欲しい。
一緒に生きぬいて欲しかった。
たった一つの方法を夜の口から聞いた芥はしばし考えに耽るように
目をつぶった。
『確かにそれもいいかもしれぬ』
芥はそうつぶやくとまだ温かさの残る学を抱き上げて立ち上がった。
そして部屋から出ようとしたところで立ち止まった。
「この研究所は30分後に爆破させる。
そこのフラスコに入った薬には魔力を封じる力がある。
昔お前たちが飲んだものよりもずっと強力にしてある。
おそらくそれを飲めばもう2度と今の姿になることもなかろう。
それでもよければくれてやる。」
芥なりの礼のつもりなのだろう。
芥はそれだけいうと立ち去っていった。
芥の足音が暗闇へと同化していくのを見届けたあと夜とらんは
ガランと何もなくなった部屋を見回した。
部屋にあったはずの男たちの骸もらんの返り血を浴びた
あとも消えている。すべて幻だったと言うように。
「らん」
夜は小さくため息をつくとわざと膨れっ面を見せた。
「たくよ〜勝手なことをしやがって、らんにはお仕置きが必要だな。」
「ええっ?だってあれは夜が・・」
腕を振り上げた夜に殴られると思ったのからんが体をすくめると夜は
ただチュっと頬に優しくキスをしただけだった。
「よる?」
らんが夜を見上げると夜は柄にもなく照れたような笑みを浮かべて
らんの体をぎゅっと抱きよせた。
二人は何も言わなかった。
ただ一秒の時間も惜しむように全ての隙間も埋め尽くすほどに強く抱き合った。
芥の言った30分のタイムリミットが近づくと
夜はようやくフラスコを握り、らんも決心したように夜をみつめた。
「よる、僕お別れはいわないよ。」
「当たり前だろ。らん、これからもずっと一緒だ。」
「うん。」
「らん 愛してるぜ。」
「僕も・・。」
夜はフラスコに入った血のように赤い液体を含むとらんの唇に這わせた。
らんは冷たい液体が体内へと流れ込むとくらりと意識がダブルような
感覚を覚えた。
「らん ほら 行こう!!」
差し出された手を掴むと夜とらんはただひたすらに出口へと向かって走った。
途中で背後に爆発の音が響いたが二人が振り返る事はなかった。
ザザザザザッ
規則正しく聞こえる波の音、 熱い砂の感触 眩しい日の光
そして確かに掴んだ手はしっかりと互いの手を握ってる。
近づいてくるけたたましい轟音に二人の意識が覚醒していく。
胸の奥から熱い想いがこみ上げてきて空はその胸に力いっぱい直を
抱きしめた。
直の瞳を堪えても溢れてくる涙が零れ落ちた。
「ナオ、愛してるぜ。」
「くぅちゃん。オレも」
高い空に泳ぐヘリには兄ちゃんと七海ちゃんの姿があった。
長い二人の闇はようやくあけたのだ。