If ・・・(もしも)6章 
忍びよる影1




7月も半場を越し、期末テスト最後の教科を終えた学はチャイムの後思いっきり体を伸ばした。

夏休みを待たず梅雨明けした空はどこまでも青く、コンクリートには焦げるような太陽の日差しが
照りつけていた。

夏が来たのだ。
テストの結果も出ていないのに気分は既に夏休みへと飛んでいる学の心
は躍っていた。
中等部の方はテストが終わってもぎりぎりまで授業があるので廉が自由になるのはもう少し先になる。


「早くこねえかな、夏休み、」

学をにへら〜っと顔を緩ませて青い空を見上げた。




テスト期間中とりあえず自粛していた部活も今日から
再開で学の足取りは軽かった。
部活再開と言っても活動をするのは学と廉ぐらいだ。

学はまだ誰も来ていないだろう化学室をガラっとあけた。

「ちわ〜っす。」

学は化学部に誰もいなくても必ず「ちわ〜っす」と声を掛けた。
廉が化学部に来るまでの1年、一人の部活だったわけだから
ほとんど独り言だったがそれでも欠かすことはなかった。

ところが誰も居ないと思って空けた化学室には芥がいた。


「あれ?芥、珍しいじゃねえか、こっち来るなんて、」

芥は腕を組むと長くため息をもらした。
その上芥の視線はいつにもなく冷たく、それは芥が美形である分凄みがあった。
流石に学もあたふたした。

「えっと、オレまた何かしたっけ?」


芥は約束ごとや時間にはうるさく学が少しでも破ると容赦しなかった。
学は咄嗟に「自分が何かしでかしたんじゃないか」と思考を駆け巡らせた。


「オレがたまにこっちに来ると不味いことでもあるのか?」

「へっ?」

学は自分が芥の約束を破ったわけじゃない事がわかるとほっと息をついた。

「なんだ、こっちに遊びに来ただけなのか?オレまたなんか
やっちまったかと思ったじゃねえか。」

学が口を尖らせると芥は口元を緩めた。あの芥が笑った?学は珍しいものを
みたように芥の顔をまじまじと見た。

「芥?」

だがそれは一瞬の事だった。

「テスト明けで時間も出来ただろう。この資料に目を
通しておけ。今週末から泊り込みで実験を手伝ってもらう。」

「泊り込み?研究所でやるのか?」

「そうだ。」

研究所というのは相沢教授が仕切っている広大な研究施設の事だ。
相当にセキュリティが厳しいこともあって学のパスで入室できるのは限られた
部屋だけだった。
それでも研究所には普通では入手できない機材や薬品が取り揃えられていて
学には宝の宝庫だ。


普段なら無条件で大喜びする学も、小さく頬杖をつくとため息をもらした。
芥と研究所に入るといつも1週間ぐらいは平気でこもる事になるのだ。
楽しみにしていた廉との時間が遠のいてしまう。

「なあ、芥、それ週明からじゃ駄目か?」

「何かあるのか?」

「いや、特にあるわけじゃねえケド、ちょっと買い物とかしようと思ってたからさ、」

言い訳をしてみたが芥には通用しなかった。

「そんな用なら予定通りする。押しているからな。」

芥に念を押されて学は頷くしかなかった。








廉は期末試験が終わってからどこにいくでもなく校舎内を
徘徊していた。
そうしてたどり着いた屋上で、照りつける日差しの中
ぼんやりと行きかう生徒たちを見下ろした。

試験がおわった生徒たちの足取りは軽い。
喧騒や笑い声も屋上にも届いてくるほどだ。

廉は深く深呼吸すると溜息を漏らした。

このまま化学室に行けばいいのだろうが、あれからなんとなく学とは顔を
合わせづらかった。
といって学の事が気にならないわけじゃない。
むしろあれから余計に意識するようになってしまっていた。

あの時学が言った一語一句、そして触れ合った肌の感触を思い出すだけで
廉は体が芯から熱くなっていく気がした。

今もあの時の事を思い出して真っ赤になった廉は顔を大きく
横に振った。

「何考えてんだよ。オレ、」

その時、屋上に上がってくる人の足音がして廉は振り向いた。
七海先生だった。

「椎名くんテストが終わったのに浮かないですね、どうかしたのですか?」

「七海先生!?あっと別に・・・」

しどろもどろになった廉に七海先生は優しく笑いかけた。
廉は七海先生はいつも朗らかで温かいな〜って思う。
怒ったりすることなんてあるんだろうか?とさえ思う。

「先生はどうしてここに?」

「椎名くんが屋上に上がっていくのが見えたので、」

「あっ?」

「邪魔でしたか、一人の方がよかった?」

「いえ、そんなんじゃ、」

廉はあわてて顔を横に振った。
ひょっとして自分が校舎を徘徊していたのを七海先生に見られただろうかと思うと
廉は恥ずかしくなって顔を赤く染めた。
七海は廉の横に並ぶと照りつける太陽を眩しそうに手でさえぎった。



「椎名くんはそのままでいいんですよ。」

言われた意味がわからなくて廉は首をかしげた。

「椎名くんは無理をしたり、自分を偽ったりそんな事しなくていいって意味です。」

廉はどうして七海がこんなことを言うのかよくわからなかった。
でも先生が自分の事を気に掛けてくれてるのはわかった。

もともと先生という立場や目上の人と接する事に廉は不慣れだった。
けれど七海先生は違う。
うまく表現できないけれど一緒にいても疲れたりしない。むしろ安心して話せる先生だった。

「先生ありがとう、」

素直に廉がそういうと七海はこれ以上ないほど優しく笑った。
その笑顔があまりに綺麗だったので廉はドキっとした程だった。

「椎名くんよかったら保健室でも宿直室でもいつでも来てください。
待ってます。」

「はい、」

廉はなんとなく胸のオクにあった重い気持ちが消えてしまったような
気がした。いまなら学に会える気がする。



廉は七海と分かれた後、特別校舎に向かった。
相変わらずこっちの校舎は人影もほとんどない。

化学室のある3階まで上がって化学室につくと部屋には鍵がかかっていて
カーテンもしまっていた。

「ガク、今日はこないのかな?」


せっかくここまで奮い立たせてきた気持ちが折れそうになった時、化学室の中で
「ガタっ」と大きな物音が響いた。

誰かいるのだろうか?

廉はもう1度扉をたたいてみたが反応はなく、諦めようとした時うすく開いた
カーテンの隙間から抱き合っている人影が微かに見えた。


廉の体が小刻みに震えだす。
その人は見間違うはずもない学だったから、
そして相手は・・・芥教授・・・。

2人は体を寄せ合い隙間もないほど求め合うようにキスをしていた。
垣間見たのはホンの一瞬だったのにその光景は廉の脳裏に焼きついた。


怒りなのか驚愕なのかわからない感情に震えながら廉は後ずさりした。
その時音もなく忍び寄った影に後ろから羽交い絞めにされ口をふさがれた。

「やっ、」

「騒ぐな、」

声主で中原だと悟った廉は中原の腕から逃れようともがいた。
だが、中原はびくともしなかった。

「お前なんかに何もしやしないさ、ただ邪魔させるわけにはいかなくてね。」

廉はいやいやするように暴れたが中原の腕の力は増すばかりでとうとう限界がきて
床に体を落とした。

「ようやく諦めたか。市川学には近づくなといったはずだ。お前のようなヤツが近づいていい
相手じゃないんだ。わかったらとっとと失せな。
2度とあいつに近づくな。」

中原は放り出すように廉の体を放した。
廉は放心したように立ち上がるとよろよろと歩き出した。

もう何を信じていいのかわからなかった。


                                                           

                                              
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