続・フラスコの中の真実 7






芥は学の部屋を出た後、学園とは別の場所にある芥と学の研究所に向かっていた。

今まで目を逸らしていた事実と決着をつけなければならなかったのだ。


二人の研究所は相沢の研究所に比べると規模は小さなものではあったが
こだわって作っただけの事はありその辺の大学病院よりも設備は整っていた。

廃屋になっていた小さな医院をみつけた時から芥は
ここが気に入っていた。
人通りもまばらな通りの奥。
木々に埋もれたここは一見表からはわからない程だった。

誰にも邪魔をされず静かに研究に没頭したかった芥には
ここは心の休まる学との二人だけの場所だった。



芥は研究所に入るとフラスコや顕微鏡といった器具たちが綺麗に羅列
された部屋を通り過ぎ、その奥にある一番セキュリティの厳しい
保存室へと足を踏み入れた。
ここはIDカードと芥か学の声門がなければ立ち入る事の出来ない所だ。

冷たい冷気が冷やりと芥の全身を覆っても芥は顔色一つかえなかった。
そのまま迷うことなく芥は目的のものが保管されている棚へと向かいそれに、
手を伸ばそうとした。
が、その瞬間、芥は眉間に皺を寄せていた。
自然と体が小刻みに震えていたのだ。

『バカなっ。オレは何を恐れている。』

芥は自分に叱咤するともう1度液体窒素に浸されたそれに触れた。
2度目は指の振るえを抑える事ができたが指が容器から離れなかった。

『なぜだ。なぜ、オレはまだあいつを超えられないのか。』

自分への怒り、腹立たしさ・・・芥はそう言ったものすべてを
振り払うようにそれを地面にたたきつけようとしたが、思いとは裏腹に
容器は芥の指に吸い付いたように離れなかった。

芥はペタリとその場に崩れ落ちると恨めしく手の中にあるのその液体
を睨みつけた。




『オレと学が生まれた場所・・・』


芥は冷えた体とは裏腹に心臓は焼け付くような熱を感じた


『ひょっとすればオレと学の方が今もまだここに保管されていたやもしれぬ。』

それでも、離れてしまうぐらいならずっと一生ここでお前といるのも
悪くはなかっただろうか?
お前を縛り付けて、ただひたすらにずっとオレだけの存在であり続ける為に。

小さな保存容器にたった2人、名前も命さえも与えられぬ
その受精卵に芥は己と学を重ねていた。


芥はそんな事を考えた自分を自嘲するように笑った。

『こうやって生まれ、生きているからこそ出会えたのではないか』と。


しばらく物思いに耽っていた芥はようやく思い立つとそれを持ち運び用の
保管ケースに収めた。ある人物に渡すために。










その人物に芥が会えたのはそれから3日後のことだった。


「芥くん、待たせたね。君から連絡をもらうなんて。驚いたよ。」

綾野に喫茶店で待たされた芥は苦虫を噛んだように顔をしかめた。

「どうしたんだい。ひょっとして学くんと教授の事・・?そのことなら・・。」

「違う。」

芥は慌てて綾野の言ったことを否定した。が綾野には
芥の内心は手に取るようにわかっていた。

「君の気持ちはわかってる。でも今ほんの少しだけでいいんだ。学くんを教授に・・・。」

「違うといってるだろう!!」

芥はバンっと手に持っていたスーツケースをテーブルに叩くように
置いた。
周りのお客に注目されても芥はそんな事に動じようとはしなかった。
芥の心を占めているのは学だけなのだと綾野は心中で苦笑した。


「芥くんそれでこれは?」

「オレがあの男に悟られぬようにひそかに作っていた研究所の事は
お前も知っているだろう。」

今まで穏やかだった綾野の表情が真剣になる。

「オレはあの男の研究所が遅かれ早かれああなってしまう事を何となく予感していた。」

「だから、君は自分の研究所を独自で?」

「オレはあの男のやり方についていく気はなかった。何より自分の研究を
あの男とともに心中させる気などなかったしな。
だから誰にも悟られぬよう極秘で研究所を作ったのだ。
なのにあいつの生体窒素保存がオレの研究所にいつの間にか保管されていた。」

それを聞いた綾野の表情が大きく揺れた。

「君がそれに気づいたのは?」

「あの男の研究所が崩壊したあとだ。」

「じゃあこのスーツケースの中身は・・。」

「想像通りだ。」

絶句する綾野に芥もため息をもらし繭を潜めた。

「なぜこれがオレの所に保管されていたのかオレにもわからん。
が、オレのものでないものをこれ以上研究所に置くわけにいかない。」

ようやくそこで綾野は口を開いた。

「つまり、僕から教授に返して欲しいと?」

「すきにしたらいい。」

綾野はそれを受け取るとなんともいえぬ思いに囚われていた。

教授は用心深い男だ。自分の研究はいつでも
一部も残さず爆破できるように資料も研究もすべて教授が
保管していた。教授は誰も信じてはいなかった。

誰よりも彼を理解しようとした綾野も相沢にとってはただの利用できる
道具でしかなかったのだと今でも思う。

そんな教授が自分が死してのちもこれだけは残して置きたいと思った
ものがこれだったというのだろうか。
芥の研究所なら絶対安全だと確信があったのか?
こうして芥が自身で破棄出来ないことまで読んでいたというのか?

誰よりも相沢という男を知ってるつもりの綾野であったがその
執着心と深い心理にぞっと凍る思いがした。

そして先ほどから綾野の心の中で警戒音がなっていた。

これは教授に渡してはいけない。けれど綾野自身もこの中身を破棄することは
おそらく出来ないだろう。
綾野にとって最もかけがえのない香野もまたここから生まれてきたのだから。


綾野は芥から行き場所のないスーツケースを受け取るしかなかったのだ。



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あとがき

香野くん登場まで行きませんでした(汗)
次回は教授と綾野ちゃんも登場予定。