10月も半ばを過ぎる頃、超冬をするために鶴たちがそう大きくはないこの
湖へとやってくる。
人里近いこの場所に鶴が立ち寄るのは珍しいとメディアで紹介されたのがきっ
かけで評判を呼びこの時期旅館を営んでいる『つるや』はことさら忙しかった。
まだ朝も明けきらぬ時間に彼は旅館を抜け出すと湖のほとりまで
やってくる。
それがこの時期の彼の日課だった。
観光客が落としていったゴミを拾いながら、彼は遠目でも一際目を引く美しい
一羽の鶴を眺めた。
「セツナ・・」
メガミだった彼女と別れてからもう何年もたっていた。
鶴の姿に戻った彼女が覚えているはずはなかった。
でも彼は鶴たちがここへ訪れると彼女の姿を探さずにはいられなかった。
そして彼女をみつけるとほっと胸を撫で下ろすのだ。
それでも心配は尽きないもので彼はセツナから目を離すことはできなかった。
鶴たちはほとんどはツガイでこのあたりの湿原でもヒナを育てる。
鶴は大抵生涯1羽の伴侶とともに過ごす習性を持っていた。
けれどセツナはいつも1羽だった。
鶴たちがこの湿原を離れていく頃、鶴たちを見送るためにやってきた
彼は一羽の鶴が倒れているのを見つけた。
一目みて彼はそれがセツナだとわかった。
セツナは釣り竿に足を取られていたのだ。
その釣り竿を外してやってもセツナは飛び立とうとはしなかった。
セツナは翼にキズを負っていたのだ。
彼は迷わずツルヤ旅館へとセツナを連れて帰った。
セツナは他のものには懐かなかったが、彼にだけは懐いた。
餌も彼からしか受け取ろうとはしなかった。
自分を傷つけた『人間』に対して警戒があったのかもしれない。
それでも『彼』に対してだけは警戒を見せなかったのは彼の優しさと
温かさを知っていたからだったのかもしれない。
数日後、鶴たちはみな越冬地へと向かうべくこの湿地を旅立って
行ってしまっていた。
息子の悟郎だったらもっと早くに直してやれるのかもしれないが・・・。
焦りが出始めた頃ようやくセツナは少しはばたけるようになっていた。
それから3週間後すっかりよくなったセツナを連れて湖のほとりへと向かった。
これ以上ここに置いていたらセツナが越冬地へ辿り着けなくなってしまうからだ。
はく息はもうすっかり白くなっていた。
「セツナ、ほら行くんだ。」
彼がそういってもセツナは飛び立とうとしなかった。
「セツナ、私はいつでもここでお前を待ってる。だから行っておいで。」
彼はポケットからハーモニカを出すとあれ以来吹いていなかった
あの曲を吹いた。
セツナはじっと首をかしげてハーモニカを聴いていたがやがて大きく翼をは
ためかせた。 l心の中で彼がセツナに大きくエールを送るとセツナは
大空へと飛び上がった。
振り返る事もなく飛んでいったセツナにもう1度大声を上げた。
「セツナ、また必ず会おう」っと。
だが、セツナが越冬地に辿り着く事はなかった。
遠い異国の地で力つきてしまったセツナに呼びかけるものがあった。
『ツルのセツナ・・・。
よくぞこの苦難を乗り越えましたね。』
セツナは聞き覚えのあるその声の主をみつめた。
光の中に美しい一人の女性がいた。
『セツナあなたの命はここで力尽きてしまいました。
けれど今度は人間セツナとして生まれ変わるのです。』
「人間セツナ・・?」
「そうです。守護天使でなく人間のセツナ・・。
聖者様は決して私たちに『愛してはならぬ』と言ったわけではないのです。
強い意志があればどんな困難や苦境にも乗り越えられる。
その想いの強さを知りたかったのです。
あなたはそれを見事に乗り越えました。
さあ今一度転生するのです。再び彼にめぐりあうために・・・。」
胸がいっぱいになってセツナの頬から知らず知らず涙がつたい
落ちていた。
「はい。今一度ツルのセツナはご主人様の元へとまいります。」
そしてセツナは小さな小さな魂となってやがて母親となる女性の体へと
宿ることになる。
あとがきもとい言い訳;
何度も言うように鶴の習性については全くのデタラメです(苦笑)
とりあえず調べてはみたんですがお話の中では使えなくて絵空事だと思って
読んでくださいませ。
まだ続きがちょこっとあったりしたんですが、とりあえずここで終わらせました。
この後悟郎が父親になるのですがなんとなくそれはまずいんじゃないかと思えてきて(爆)
タイトルの「封音」は実はなんと読むのか私にもわからず(汗)
いつもお世話になってる文叔さんの所のお題から勝手に頂戴してます(ますます汗)
でもなんとなくこの文字しか浮かばなくて・・・
このような所からですが文叔さんに感謝〜!!