地上の星  4





ガードレールを飛び越えて瞬は走った。
沙織が示した道の向こうに、はっきりと兄の姿があった。

歩みを進めるたびに
大きな岩や起伏の激しい段石に足を取られそうになる。

瞬は、着慣れないYシャツの袖をまくり、迷うことなくスラックスの
裾を破いた。
そうしてただひたすらにその人のもとへと向かった。



樹海に入ってどれくらいたっただろう。
すでに日は西に傾き、薄暗さが森を覆っていた。

瞬の目の前に見覚えのある鍾乳洞が現れた。
以前兄と戦ったことがある場所だ。

瞬は上がった息をつぐとようやくそこで足を止めた。

覆い茂る木々が高くて空は見えない。
鳥や虫の鳴き声だけがこの世界を支配しているような気がした。
瞬はその音の中に微かに水の音をかんじた。

急に喉の渇きを覚えて水の音に導かれるように向かった。


瞬の予想通り、鍾乳洞の裏手に湧き水が溢れていた。
瞬はしゃがみこむとわき水をすくって飲んだ。水は瞬の体の中を
駆け巡っていくように潤した。

その直後、瞬の背後でバシャっと水の跳ねる音がした。
小川に魚でもいるのかと振り返った瞬は心臓が止まるのでは
ないかと思うほど胸の鼓動が高鳴った。
 
「・・兄さん、」



一輝はただ瞬を見下ろすように近くの岩場の上から見つめていた。
が、そのまま何もなかったように瞬に背を向けると歩き出した。
瞬は慌てた。また置いていかれてしまう。

「待って、兄さん。」

兄の背を追いながら瞬は早口で言った。

「兄さん、ごめんないさい。僕がこんな所まで来て怒ってるのでしょう。
兄さんの迷惑になるようなことはしないよ。
兄さんの目ざわりになるようなことはしない。
だから・・・。」

前を歩いていた一輝が立ち止まり、追っていた瞬も立ち止まった。

ホンノ数メートル先にいる兄の背。
この手を伸ばせば届きそうなところにいるのに。なのにこんなに遠くに感じるのは
なぜだろう。瞬は痛くなる胸を拳を作ってぎゅっと抑えた。


「ついて来い。」

一輝が瞬に言ったのはただその一言だけだった。
それでも瞬は胸の奥が熱くなったような気がした。

「はい、」

瞬は頷くと一輝のその大きな背を追った。


足場の悪い道(もとより道はないが)を一輝は軽やかに歩いていく。
瞬は必死にその後を追った。
しばらくして着いた先には本当に小さな、申し訳ないほどの小屋があった。
その小屋の周りには木の枝や野草が積まれ、生活水だろうか?
バケツには水が汲まれていた。

それはある程度の生活臭を漂わせていた。

一輝はその小屋の扉を開けた。
瞬は一瞬その部屋のあまりの散在さに苦笑しそうになるのを
ようやく抑えた。一輝もそんな瞬をわかってか、無言のままに小屋へと
招き入れた。


小さな木のテーブルにはサバイバルナイフと山菜が散らばり、兄が作ったのだろう
木の椅子と木の細い棒が数本があった。
それから煤けた小さな暖炉と壁にくくりつけられるように置かれた小さな板のべっド、その上には薄汚れた毛布1枚。

天井からは兄さんの洗濯物と一緒にきのこや山菜がぶら下がっていた。
兄が普段から一人でここに生活しているということが瞬にはわかった。

一輝はここに来て小さくため息をついた。

「まもなく日も落ちる。今日は仕方がないが明日には下山しろ。」

「嫌だよ。僕兄さんと一緒にいる。」

「いつまでも子供みたいなことを言うな。」

有無をいわさぬ物言いに瞬は唇をかんだ.

兄さんに受け入れてもらえたと思ったらいつもこれなのだ。
でももう言われたまま素直に引き下がる昔の自分じゃない。

「いつまでも子供だって思っているのは兄さんの方だよ。僕は僕の意思で
ここに来たんだ。沙織さんに背中は押してもらったけれど」

自分の意思・・・瞬はそういってしまった後、でもと迷う。
それでは兄の意思はどうなるのだろうかと。
瞬は言葉を慎重に選んだ。

「でも、もし兄さんが邪魔だっていうなら、明日下山するよ。」

瞬の声は微かに震えていたかもしれない。
一瞬の間の後一輝は短くため息をついた。

「ここの生活は厳しいぞ。」

「大丈夫だよ。そんなのは。アンドロメダ島で鍛えられたから、」

「何もない所だ。」

瞬はそれに微笑んだ。

「そんなことないよ。何より・・・兄さんがいるじゃない。」

会話をしながら暖炉に木を汲めはじめた一輝はもう1度ため息をつくと
ぶっきらぼうに言った。

「好きにしたらいい」と。

「はい。」

瞬は破顔した。

 
                                                  5話へ






目次へ