夜明け前






     
名人戦最終局二日目 




俺がホテルの解説室に入ったのは対局が始まってすぐの事
だった。

緒方名人に挑戦するのは塔矢 アキラ8段。
記者室に入ると一斉に俺は注目を浴びた。





「進藤君!体の方はもういいのか?」

解説にきていた芹沢が立ち上がった。

「はい。長い間ご迷惑をかけましたが、来月から復帰します。」

「そうか進藤君帰ってくるんだ。これでまた碁界も活気がもどってくる。」



取材に来ていた古瀬村や スポンサー も優しく俺を迎え入れてくれた。


現在行われている手合いより俺の方にばかり話題が行って
俺は苦笑した。


「俺の事より名人戦の方がさ・・・」



皆がモニターへと視線を移す。
塔矢が中盤 攻撃を仕掛ける1手を放っていた。


「進藤くん 塔矢くんの今の手はどう思う?」

「塔矢らしい手だけどちょっと強引な感じがするかな。」


そう勝ちにいそいでる。初のタイトル挑戦しかもこれに勝てば
名人ともなれば塔矢の気持ちも計り知れないものがあるはずだ。


「緒方さんはこれにどう応えるだろう?」

「俺だったらここは受けないで様子見るな・・ここの石が効いてるし」

古瀬村が余裕の笑みを見せる。

「今日は楽勝だな。もと5冠の進藤君が来てくれて解説してくれただけで
記事が出来るし、週刊碁の売り上げも伸びるだろうし・・・」


古瀬村の言葉に部屋にいた者がどっと笑った。









長い長い対局の勝敗の決め手を打ったのは緒方の方だった。

「これで決まったな。」

芹沢の言葉に皆がモニターに釘づけになる。

「塔矢くんにはもう生きがないの?」

俺は反論する。


「いやそんな事はないぜ。まだ塔矢の石は死んじゃいない。」

「ほら・・・ここ」

俺が並べていた碁石を指差す。


「それで生きられるのか?」

俺は芹沢先生と何手か打つ。

「ほら。」

芹沢が息を呑む。

「なるほど・・・進藤君、非常に難しい手だ。」





問題は塔矢がそれを読みきれるかだ・・・・



息を呑むような空気の中、塔矢は持ち時間全てを使いきって
たった一つの生きにたどり着いた。





緒方先生が頭を下げる様子を見ながら俺は立ち上がった。



『塔矢おめでとう・・・・ 』



「俺 これで失礼します。」

「ええ?進藤君ここまで来たんじゃないか。 二人に会っていきなよ。」

古瀬村の勧めに俺は首を振る。

「古瀬村さん、塔矢のやつに名人位おめでとうって俺が言ってたって
伝えといて。じゃあ。」



控え室にいた記者たちが対局場に流れていく中
俺は一人ホテルのロビーに下りた。











対局が終わって記者たちが対局場に足を踏み入れてきた。

「塔矢 アキラ名人初タイトルおめでとうございます!!」

「ありがとうございます。」

僕は万感の思いが胸にこみ上げていた。

「最後の塔矢先生の読みはすごかったね。」

「あれで緒方先生が投了したんだから。」

緒方は記者のその言葉で顔をしかめた。
あの手がなければ緒方の方が勝ちが決まっていた。

「しかし、進藤君はすごいですよね。あの1手をすぐに読んだんだから。」

「進藤!?ひょっとして来てるんですか?彼が。」

自分でも驚くほど大きな声で僕は叫んでいた。

「ええ、塔矢くんの最後の1手を見届けるまで解説室にいたんだけれど
今日は帰るって・・・塔矢プロに名人位おめでとう!!って
伝えて欲しいと伝言をたのまれたよ・・・」



古瀬村の言葉を最後まで聞かずに僕は立ち上がっていた。

「すみません。少し席外します。すぐ戻ってきますから・・・」

「塔矢君 ちょっと・・・・」




記者たちが唖然とする中、ホテルのロビーに向って走った。
ここは博多だ。今から対局が終わったからといって東京に帰れる
時間でも場所でもない。



間に合ってくれ。


僕がロビーに駆け下りたところで丁度入ってきたタクシーに乗ろうと
していた進藤の背中を捕まえた。



「進藤!!」


驚いたように僕を見つめる進藤に僕は走ってきたため乱れた呼吸を
整える。



「塔矢・・お前・・・」

進藤はそんな俺を見て可笑しそうに小さく噴出した。

「塔矢 名人位 おめでとう!」

それだけ言うとタクシーに乗り込もうとした進藤の腕を僕は慌てて
捕まえた。

「進藤 今日はどこに泊まるんだ!!」

「それは・・・」

表情を曇らした進藤に僕は言った。

「君が答えないなら僕もこのタクシーに一緒に乗車する。」

「お前はこれから感想戦や打ち上げがあるだろう!」

「僕にとってはそんなもの今はどうでもいいことだ。」

「お前な・・・」

ふっと小さなため息をつくと進藤は諦めたようにいった。

「博多●●ホテルだ。」

「部屋は・・・?」

「まだチェックインさえしてねえよ。」

「わかった。後で必ず行く。」


     
      


目次へ

夜明け前2へ