名人戦三次予選決勝に勝った僕は検討も取材も そこそこに棋院を飛び出した。
誰よりも進藤に先に伝えたくて その足で進藤の病院へと向かっていた。
面会時間は9時まで。ぎりぎりの時間だった。
だが病室を前にして僕は目の前が真っ暗になった。 病室に進藤の名がなくなっていたのだ。
僕はナース室に駆け込んでいた。
「すみません。302号室の進藤ヒカルくんは!!」
患者の対応に追われていた看護士が何事かと僕を見た。
だが人にかまっていられるほど冷静ではいられなかった。
「進藤君のご家族の方ですか?」
「いえ 違いますが・・。」
「進藤君は3日ほど前から白血球の数の減少で無菌室に 入っていて。 ご家族の方でないと面会は・・・。」
申し訳なさそうにそう言ったナースに僕はとりあえず息をついた。
今回のことで白血病に関していろいろと自分なりに調べていた。 治療として無菌室に入ることも取り入れられていたことは 知っていた。
「その無菌室はどこにあるのですか。」
「4階のちょうどこの上ですが・・・。」
「ありがとうございます。」
僕は4階に上がってみた。ガラス張りの部屋にはカーテンがかかっていて おそらくこの向こうに君がいるんだろうと思うと冷たいガラスに もたれかかっていた。
今はただこの向こうに君がいるのなら僕はもうそれだけでよかった。
面会時間の終了を告げるアナウンスに僕はやむなくその場を離れようと して僕を見ている人影に気がついた。 進藤のお母さんだった。
「塔矢くん 来てくれたの。」
彼女は涙ぐんでいた。
「ヒカルくんの様子は・・・」
「心配かけてごめんなさいね。
今はだいぶ落ち着いていてね。塔矢くんよかったら ヒカルに会って行ってくれないかしら。」
「いいんですか?」
「ええ。あの子喜ぶわ。」
彼女の取り計らいもあって10分だけ面会の時間を許してもらえること
になった。
全身を覆う白衣と手袋をつけて無菌室に入ると ビニールのカーテン越しに進藤は小さな男の子と一緒に碁を打っていた。
「進藤?」
「塔矢・・・。」
思っていたより元気な声がかえって来て僕はほっとする。
「その子は?」
「俺と一緒でさ・・・」
こんな小さい子も白血病なんだと知って僕は愕然としたが 進藤も男の子も病気のことなど微塵も感じさせないほどに
無邪気に碁を打っていた。
「9路盤?」
「ああ こいつ昨日からはじめたところ。でも結構 筋が良くてさ。俺の弟子にしようかなって。」
冗談ぽくそういった進藤に男の子が得意げに笑う。
「本当 裕也プロになれる?」
「もちろんなれるぜ。諦めなければな。それより裕也もう9時回ったぜ。 また明日にしよう。」
「うん。ヒカルお兄ちゃんおやすみ・・・」
男の子は手馴れたようすで僕がいる方とは反対のカーテン側から
飛び出して隣の部屋へと入っていった。
急に静かになった部屋に点滴と治療のための機械音だけが 響いていた。
「塔矢 名人リーグ入りおめでとうな。」
「知ってたのか?」
「気になってさ、和谷に電話したんだ。ここ電話使えるんだぜ。」
そういうと進藤は部屋の入り口にある電話を示した。
「お前和谷のやつに俺の事話しただろう。」
リーグ入りを果たすまでここにはこないとそう約束した日、
僕は和谷くんに進藤のことを電話をしていた。
少しでも進藤がさびしい想いをせぬようにと思ってのことだった。
「和谷のやつ この3週間で5回も病室に来たんだぜ。はじめて来た時は
もうわんわん泣いて・・・散々俺に愚痴ってたいへんでさ、 ・・・2回目に来たときは、 越智と伊角さんも一緒に来て。越智に俺お守りもらったんだ。
ご利益あるからって・・・勝負運はなくなるけど病気は絶対治るからって。
絶対俺に土つけてやるから戻って来いって。ハハ・・ 越智のやつこんな時でも嫌味なんだぜ・・。
伊角さんはどんな時でも伊角さんだよな。二人をなだめてさ。
でも俺なんかすげえうれしかった。」
普段より多すぎるほどの進藤の会話に不安を感じて そっとカーテン越しに手をのばした。
進藤は少し戸惑ってやがてお互いの指がカーテン越しに 触れた。
「僕がここに来ても君はそう思ってくれるか?」
「当たり前だろ。」
その時だ。部屋にコールの音がこだました。
「すみません。面会時間そろそろ・・」
時計を見ると10時前にもなろうとしていた。
「進藤今度来るときは君の親戚にでもなってくるよ。」
そういった僕に進藤は小さく笑った。
「ああ。じゃあ俺の弟にでもなる?」
「僕の方が兄だと思うけどね。」
「俺の方が3ヶ月早いだろ!」
いつまでも名残惜しい気持ちが残って動けない僕に進藤は 自らカーテンを開けた。
「進藤いいのか?」
「お前が帰らないからだろう。」
僕はあわてて2重扉まで向かった。 ふっと進藤がため息をついたのがわかってもう1度振り返った。
「それじゃあ次は君の双子の兄弟にでもなってくるよ。」
「ずいぶん似てねえ双子だよな。でもまあそれで譲ってやるよ。」
お互い噴出して、なんとかそれを振る切るように
ドアを閉めた途端・・・・そこは現実の世界で、
離された空間に僕は拳をあげていた。
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