大阪での3泊4日の仕事を終えた後 僕はその足で進藤
の病院へとむかい大学を抜けた所で向こうからやって来た
見慣れた長身に気づいた。
昨日名人になったばかりの緒方。
進藤の病室に行ったのだと思うと
胸の中に言い知れぬ嫉妬心が湧き上がった。
「緒方さん・・・」
「なるほどな。最近ますます成績は落ちる一方 研究会もさぼって何をやっているのかと思えば そういうことか。」
緒方の罵倒の言葉を僕は言い返すことが出来なかった。
今の自分の碁は荒れていた。すべてにおいて進藤の
ことばかりが先行していた。
進藤さえ生きていてくれるなら碁も何もかも捨てて
しまえると思う程に・・・。
「誰にここの事を聞かれたんです?」
父と自分しか知らないはずだった。なぜ? この時湧き上がった感情は進藤をこの人にとられて しまうかもしれないという醜い感情。
なぜこんな状況でさえ僕はそんな事を思うのだろう。
抑えようとしてもその感情は抑えることが出来なかった。
目の前にいる男にだけは進藤を取られたくなかったのだ。
「先生だよ。」
「父さん・・・?」
「二日ほど前にたまたまネット碁を観戦していたら先生と
進藤の対局を目にしてな。正直鳥肌がたった。
進藤はsaiと名乗っていたが俺はすぐに気づいたさ。 あいつの碁はますます澄んで迷いがなかった。 神の一手が本当に存在するんじゃないかって 思うほどにな・・・。
先生に問い詰めたらここの事を教えてくださった。」
鋭い視線が互いを射抜いていた。
「進藤の恋人になったつもりだろうが・・・ あいつのライバルはお前じゃない。俺だ!!」
はっきりと緒方はそう言い切った。
「俺は名人位になったが満足などしていない。 当たり前だろう。名人は進藤のタイトルだ。 進藤から奪わず誰から奪うっていうんだ。俺は 先生と進藤の対局を見てあいつが打てるなら 名人戦をもう1度やり直したいと思った。 だからここへ来たんだ。」
「そんな無茶な・・・」
そう思ったが碁打ちとして勝負師として当然の思いだった。 もし僕が緒方の立場でもそう思ったはずだ。
「無茶・・・確かに持ち時間8時間 二日にわたる対局の 7番勝負は今の進藤では無理だろう。 なら名人戦の制度を変えればいい。場所なんてどこでもいい。 病院だって俺はいい。 ネット碁だってかまわん。持ち時間は1時間だっていい。 進藤さえ納得すれば俺は棋院もスポンサーも説得する つもりでいた。」
「彼はそれになんと答えたのです。」
「進藤は、『もう1度俺の名人位を奪いに行く。』と、 『必ずもう1度挑戦者になるからその時まで名人位 を預かっていて欲しい』 と・・・そう言ったよ。」
そのとき僕はようやく緒方が言った意味を理解した。
恋人として選ばれたのはお前だが、進藤のライバル と認められたのは この俺だといったのだと。
キリリと胸が痛んで僕は拳をにぎりしめた。
勝負師としての自分のプライドを踏みつけられたのだ。
緒方の言うとおりなのだ。
僕は進藤の恋人である前にライバルであることを 選んだはずだった だからあの時緒方の部屋で彼を拒んだはずだったのだ。
僕の横を緒方がすり抜ける。
握りしめた拳の怒りは自分自身に向けたものだった。
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