楽平に連れて行かれた対局室で俺はいきなりみんなの注目を浴びた。
俺は挨拶する事すらできず楽平に強引に引っ張られイスに座らされる事に
なって・・・。
とりあえずリュックを肩から下ろしたが、楽平の急な行動で自分のトランクは
事務所に置いて来てしまっていた。
だが、その場に楊海はおらず言葉の通じない楽平にそれを伝え
るのは難しい事を悟るととにかく今は対局して楽平を納得させる
事にした。
楽平のセットした時計は北斗杯の持ち時間と同じ1時間30分。
対局は俺の中押し勝ちだった。
が、楽平の読みの深さには正直驚かされた。楽平は手を戻しながら
自分の読み間違いを指摘する。
「××××・・・・・・・・・・」
「××・・・・・」
何を言ってるのかはわからないが囲碁の検討のことなら広東語がわからなくても
理解できた。
周りにいた棋士達も加わり真剣な口調で検討する棋士に俺も自分の1手の意味を
指差して意見を求めた。
楽平は相変わらず俺を睨みつけるように見ていたが、やがて小さくため息をついていった。
「×××イスミクン・・・」
おそらくお前のほうが伊角より強いと言ったのだろうと見当をつけた。
「対局終わったか?楽平が負けたようだな。」
話しかけてきた楊海さんに俺は笑いながら言った。
「うん。驚いた。小さくみえるんだけどこいつなかなか手強い。
そうだ。楊海さん楽平にいってくれないかな。伊角さんも昨年より
強くなってるって。
それから伊角さんと和谷が8月ごろ中国棋院に勉強しに
来るっていってたんだ。」
「へえ それは楽しみだな。楽平も喜ぶと思うぜ。」
そういった楊海さんが楽平にその旨をつたえると楽平の顔が緩んだ。
楽平は伊角の事が大好きなのだとその時感じた。。
「そうだ、お前に渡して欲しいって伊角さんに頼まれてたものがあったんだ。」
思い出して、俺はリュックから小さな紙袋を取り出した。
「これ、伊角くんからお前に・・・」
あえて俺が伊角くんと呼んだのは楽平の気持ちに合わせるためだ。
中に入っていた手紙をじっと読むとうれしそうに楽平が笑った。
その笑顔は和谷と伊角と3人でバカやってた院生当時の和谷
を思い出した。
大事そうに手紙をしまうと楽平は何か叫びながら対局室を後にした。
「楽平は伊角さんが好きなんだな。」
俺がそういうと楊海がぼやいた。
「そのようだ。北斗杯にいって伊角くんと対局したかったみたいで
必死だったんだぜ。最終的に親友の趙石に負けて悔しい思いをしてる。」
俺はおやっと思って首をかしげる。ジュニアの大会なので、伊角は出られない。
「伊角さんに北斗杯で対局?」
「いや。楽平が出ればきっと伊角くんが見に来てくれるだろうってことだよ。
そしたら対局申し込むんだって言ってたぜ。それに、今年進藤君は北斗杯に
日本代表として出ているだろ。来年こそ絶対に北斗杯にでたい楽平
はどうしても君と打って勝ちたかったのだろう。」
楽平の意志の強さはそのまま対局にも現れていた。多少強引過ぎるぐらいの
手も打ってきたし、何度もドキッとさせられる瞬間もあった。
そういえば和谷も絶対来年は北斗杯に出るって言っていた事を思い出した。
それこそ、楽平と和谷が対局することにでもなれば非常にオモシロそうだ。
そしたら自分の対局どころじゃなくなるかも・・・
想像すると可笑しくて実現したら良いのにとは思ったが塔矢はもちろん
俺や社も北斗杯の座を和谷に譲るほど甘くない。
和谷と小さな和谷にエールを送りながら自分にも活を入れた。
「そうだ。俺のトランク・・・・」
俺は突然事務所に置いてきた荷物の事を思い出してイスから立ち上がったら
その場にいた人たちから対局を申し込まれた。
「えっとだけど俺荷物が・・・荷物置きに行ってからでもいいかな?」
「トランクだったら俺と王が部屋に運んだよ。」
「えっ本当ですか。楊海さんすみません。」
そういって次の相手と対局するためもう1度イスに座ったら楊海が
心配そうに俺を覗きこんできた。
「それより進藤くん疲れてない?なれない長旅にいきなり楽平との対局だろ。
ここにいる連中とは明日から何局だって打てるんだ。無理しない方がいい。」
「楊海さんありがとう。でも俺はここに勉強しに来たんだぜ。顔や名前も早く覚えて
もらいたいしさ。」
碁石を握った俺に楊海はため息をつきながら言った。
「やれやれ、伊角くんもそうだったが君も相当勉強熱心だな。
まあ、そうでなければここではやっていけないけどな。」
「はい。」
そう返事を返したが、楊海の言葉の意味を俺はこの時まだ理解していなかった。
その後、何人かと早碁を打って、
ようやくその場を開放されたのは夕食が始まるという6時半だった。
「楊海さん、すごいなここって。」
食堂を案内してくれた楊海に俺は感嘆の声をあげる。
「なにが?」
「ここに居ればあの棋士達といつでも打てるんだよな。それに
なんかさ、日本の棋士とは雰囲気が随分違うような気がする。」
日本のプロ棋士たちが決してサボってるとかと真剣さがないとか
そういったことではない。ただ、ここの棋士たちは勝ちたいと
いう意志が非常に強い。
強い相手だと知っても決して怯んだり奥する事もしない。
「そうだな。中国棋院の棋士は本当に必死だ。日本のように棋院のシステムが生
ぬるいわけじゃないからね。ここは生活するのに何の支障もないしある程度の
自由もあるけれどここにくるまで苦労した人は多い。しかも成績が悪ければ落とされる。
日本棋院では段位が下がる事はないだろ。みんな熱心になるわけさ。」
「うん。俺 なんかすげえやる気が出てきた!」
こうして、俺の中国棋院での生活がはじまったのだ。
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