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        〜そして未来へ07



     
それからどれくらい眠っていただろう。
ヒカルはかなり長い間寝ている気がしたし流石に空腹も感じ始めていた。


遠い意識の中で玄関の扉が開いた音がした。
アキラが帰ってきたのだろう。
意識を起き上がらせようとしてもまだ体が重かった。

足音とともに寝室の扉があいた。

「アキラおかえり、」

眠気まなこにヒカルが布団の中から声を出すと相手が小さくため息をついた。

「ヒカル大丈夫か?」

その声はアキラの声ではなかった。
ヒカルは半開きだった意識が完全に覚醒した。

「親父!?」

ガバッと布団から飛び起きると。
そこにいたのはアキラではなく本因坊だった。

「なんで親父がここに?」

「ああ、まあ色々あってな。」

本因坊の顔には疲れが映っているようだった。

「色々って?」

「名人が倒れたんだ。」

「なんだって!!」

ヒカルにとってはまさに寝耳に水だった。

「それで名人は、大丈夫なんだよな?」

「容態のことはお父さんにもわからない。
連絡が入ってすぐ学園にいたアキラくんを病院に
向かわせた。
その時アキラくんがお前の事を気にしていたから
ここに来たんだ。」

「そっか。それでアキラからはその後連絡はないの?」

「ああ。お父さんも連絡待ちってところだ。」

ヒカルはアキラの気持ちを考えるといてもたってもいられなかった。
ヒカルは慌ててベッドサイドに置いていた自分の携帯を取った。
何か連絡が入っているかもしれない。
だがアキラからの履歴はなくヒカルは表情を落とした。


「それでお前の方は、風邪はどうなんだ?」

本因坊はヒカルを見て内心ため息をついた。
ヒカルの首筋にはそれとわかる痕が残っていた。

昨夜久しぶりにヒカルはここに帰ってきたのだから察しはつく。
おそらくヒカルの体調不良もそれが一因なのだろう。


「あんまりお前の体の具合が悪いようならお母さんから連れて
帰ってくるように言われてる。アキラくんもその方が安心だろう。」

ヒカルは口を尖らせた。

「いいよ、オレもガキじゃねえんだし。
それに今は朝より体調もいい気がする。
腹も減ってきたから、もう大丈夫だって。」

「ひょっとして朝から何も食ってないのか?」

ヒカルは内心冷汗を掻いた。
起きるまで気づかなかったが日はとっくに沈んでいた。

「あはは・・・。」

笑って誤魔化そうとしたが親父は誤魔化せなかった。

「お前はほうっておくとそうだな。」

ヒカルは子供の頃から体調を崩すとほとんど食事を取らなかった。
食べたくなくなるのだ。
よく母さんに水分だけでも取りなさいっと宥められたが、
それだってやっとといった感じで、そんなヒカルをよく知っている本因坊は
深い溜息をついた。


「何か作ってやるからもうしばらく寝てろ。
薬も摂らないと明日は仕事があるんだろ?」

明日は対局ではなかったがスポンサーのセミナーで
指導碁をする仕事が夕方から入っていた。

「うん、そうなんだ。」

しばらくして親父に呼ばれて行くと、食卓にはおにぎりに味噌汁
に卵焼きが並んでいた。
それにヒカルは目を丸くした。

「親父って飯作れたのな、」

「当たり前だ。一人暮らしだってしたことあるんだ。」

そういった後本因坊は頭を掻いた。

「とは言ってもおにぎりはアキラくんがお前に作ったものだが、」

「そっか、あいつ結構料理うまいんだぜ、見かけによらねえだろ、」

「いや、アキラくんは何をやってもきちんとこなすだろう。
それよりお前の方だ。
どうせ家事はアキラくんにまかせっぱなしなのだろう。」

「あはは、」

ヒカルは苦笑いするしかなかった。




2人で夕飯を済ませた後ヒカルを心配した母さんから電話があった。
今にもここに乗り込んできそうな勢いの母さんに
親父は「アキラくんが帰ってくるまでここにいるから」と言って宥めていた。


その後、親父の携帯にアキラからのメールが入った。
[父は落ち着いています。最近の無理がたたった過労のようです。
ご心配をおかけました。 塔矢 アキラ〕

アキラらしい簡素で誠実なメールだった。
同じようなメールがヒカルの元に届いたのはそのすぐ後の事だった。
ただヒカルのメールには「父に付き添うから帰宅が明日になる。
すまない。」と追記されていた。


ヒカルは胸をなでおろした。

「良かったな、親父。名人たいしたことないみてえで、」

「ああ、」

本因坊は渋い表情のまま未だ携帯画面を眺めていた。

「親父どうかしたのか?」


ヒカルの問いかけに本因坊は返事を返さなかった。
しばらくの間の後、その沈黙を無視して立ち上がろうとしたヒカルに
本因坊はようやく声を掛けた。

「ヒカル、」

本因坊は今度はしっかりとヒカルを見据えていた。

「何だよ。何かあったのか?」

「じいちゃんの病気のことなんだがな・・・」


一瞬の沈黙の後、

「癌なんだ。」
搾り出すような声だった

「えっ?」

ヒカルは何を言われたのか一瞬理解できなかった。
じいちゃんは入院はしていたが見舞いに通った病院でも元気にし
ていたし、検査の結果もなにも悪くなかったって本人も笑って
いたのだ。

「でも手術したら治るんだろ?」

「いや、もう手遅れなんだ。だから手術はしない。
もって3ヶ月がいいところだろうって、」

「嘘・・・だろう、」

ヒカルはその瞬間思考を止めてしまいたかった。
親父の言った意味を考えたくなかった。
じいちゃんが3ヶ月先にはいなくなる。
そんな事・・・とても。

言葉を失ったヒカルに本因坊がぽんぽんと頭を撫でた。
その手は震えていた。

「親父・・・。」

「ヒカル、人はいずれ死ぬ。じいちゃんだけじゃない。
オレも名人もお前だって」

「そんなのわかってる。」

「だから、人は残こすんだろう。自分の意志を未来に子孫に。」

「それはオレとアキラの事を言ってるのか?」

男同士だってこと、お互いに一人っ子だってこと、
それはヒカルにもアキラにものしかかる現実だ。

「そうだ。」

本因坊ははっきりとそういった。

「お前がここにいるのはそうやって引き継がれてきた
命と意志があったからだ。自分の命は自分だけのものだなんて
思うのはうぬぼれというものだろう。」

ヒカルは唇をぎゅっとかんだ。


「オレ今頭の中ごちゃごちゃしててよくわかんねえよ。
爺ちゃんは病気の事知ってるのか?」

「ああ。だから退院したんだ。自分は最後まで弟子
や子供たちと碁を打っていたいって。
それにばあちゃんがいるからな。」

「ごめん、オレそんなだったら今日何が何でも学園に行けばよかった。」

本因坊はもう1度ヒカルの頭を撫でた。

「そんなひどい顔してたら爺ちゃんに会えないぞ」

「うん。」

ヒカルだってそんな事わかってる。
わかっているけれどこの感情を押さえらないのだ。

「ごめん。オレ一人になりたい。親父は今日ここに泊まるのか?」

「ああ、アキラくんが帰ってくるまでここにいるって母さんに
言ったからな。」

「じゃあ布団ださねえと・・・」

「構わない。適当にやるからお前の気持ちに整理がつくまでゆっくり
考えたらいい。」

「うん、ありがとう。」




     






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