絆 

(番外編







その寺は都内にありながら喧騒とも雑踏とも無縁で
静寂だけが支配する境内に招かれるように私はその闇に足を進めた。



足を踏み込めたその瞬間から 張り詰めたような空気と
ピリッとした感覚が纏わりつく。



ここは歴代の本因坊が眠る場所。



ひっそり静まり返った境内の奥深くまで足を踏み込れて、
長月の灯りだけをたよりに目的の場所を探す。


そこはまるでわざと人目につかないように作られたのでは
ないかという程に注意深く探さなければわからない場所だった。



ようやくたどり着いた小さな墓に供えたのは両手いっぱいのススキの穂。









はじめて『あの男』に会ったのは祖父が入院していた病院だった。


父と一緒に見舞いに行った病室で楽しそうに碁を打つ二人。
静かな病室に緩やかに流れる盤面。


父が席を外した後を追って私も席を外したのは
幼心に邪魔をしてはいけないと感じたからだろうか。


長い時間 父と二人で『あの男』が出て来るのを待って、ようやく
病室から出てきた『あの男』は父に深く一礼すると膝をおとして
私の頭を撫でた。



大きく温かな手と優しい瞳が印象的だった。
容姿も全く違うのに祖父とどこか似ていると感じたのはなぜだろう。



「君は正夫くんだったね。おじい様の子供だった頃によく似ている。
君も碁を打つの?」

聞かれてこくんと大きくうなづいた。


「そう。 いつか 君は お父さまやおじい様よりも強くなるかもしれないね。」


それだけ言うと立ち上がった彼の後姿はやはり父や祖父と同じ碁打ちの
背中だった。







二度目に『あの男』に会ったのはこの墓の前だった。



一周忌になる祖父の墓参りをするためにここに父と
訪れた。


先客だった『あの男』はまるで墓に向って
語りかけるように膝まづいて両手いっぱいのススキの穂を手向けていた。



父と私の顔を見るとゆっくりと立ち上がりやはりあの時と
同じように深く一礼をすると立ち去ろうとした彼に
父がぽつりと呟いた。


「邪魔をして悪かった。」 と

あの男は何も言わなかった。





後になって知った事だが、

『あの男』は祖父のお葬式にさえ参列してはいなかった。

祖父の生涯のライバルだった彼は
公の場で祖父と会うことを許されてはいなかった。



そして隠れるようにひっそりとここへ訪れていた事を知ったのも
ずっと後になってからの事だった。









三度目に『あの男』に会ったのはやはりこの墓の前だった。



二度目にあってから3ヶ月程の月日が流れていた。
今日のように長月の灯りだけがたよりの静かな夜だった。



だが『あの男』はもう以前の彼ではなかった。



父の友人だったあの男の息子は白い箱に入った彼を
抱えていた。



「お呼び立てして悪かった。」

あの男の息子は傍らに青年を連れていた。

(その青年こそがあの男の「孫」でアキラの父 のち名人となるのだが。)

青年は私の父をみると表情を一変させた。

「お父さん どういうことです!」

「お前のおじい様をここに納骨する。」

「ここは進藤本因坊の墓なのですか?
こんな所におじい様を納骨するなんて私は納得できない!」



傍でその様子を見ていた私は青年のあまりの剣幕に怖くなって父の
背に隠れた。



「行洋 これはおじい様が望んだ事なのだ。」

「私は絶対に反対です。こんな所におじい様を納骨するなんて。
しかもあんな奴と一緒だなんて、あんまりだ。おばあ様がかわいそうすぎる。」


父親に飛びつきそうな勢いの青年に静かに諭すように彼の父が言った。


「行洋 私が死んだら私の骨は母の所に入れてくれ。
そうすれば、きっとお前のおばあ様も寂しくはないはずだ。」



青年の大きな瞳から涙が零れ落ちた。
どんなに反対しても父の決心が変わらない事を悟ったのだろう。




月の灯りだけを頼りに墓石を動かした父に、あの男の息子は黙々と納骨
していく。




まるで月 以外の誰にも見られてはいけないのではないかというように。
この場所のようにひっそりと。



青年は父の行動に背を向けて涙を必死にこらえていた。







これが祖父と「あの男」が望んだ事なのだと言う事を子供心に理解し
そしてそれがとても悲しい事なのだと言う事を知った。







あれから30年・・・・

今日は『あの男』の命日。

ススキの穂が大きく風に揺れる。




祖父とヒカル 『あの男』とアキラくんを重ねてしまった
自分にぞっとした。
確かに似ている。だが・・・・。


親として認めたくはない。認めるわけにはいかない。

この先何があっても。




だが、二人の人生は二人だけの
もので、それは何人たりとも止める事は出来ないのだろう。
親であっても。


ここに眠る二人は決して美しいわけではない。

二人にはいつか気づいて欲しいと願わずにいられない。



突然ガサっという物音がして暗がりに視線をこらすとそこに珍しい訪問者
がいた。



「名人!?」

「君が来ていたとはな。」

「 あなたの祖父の命日ですからね。それよりあなたがここに来る方が
よほど珍しいのでは?」

「ああ 30年ぶりの事だ。」

30年・・・名人はあれからここには1度も訪れてはいなかったわけだ。
墓の前で佇んだ名人はしばらく何も言わなかった。


おそらく私のようにあの日の事を思い出しているのだろう。



「君の息子は君以上に似ている・・・・」

誰にとは言わない。お互いわかっていることだ。

「ええ。アキラくんもね。」

そう返すと名人は暗がりでもわかるほどに露骨に嫌な顔をした。



「君はあの二人の後押しをしているのか?」

「まさか、そんな風に見えるのですか?」

「見えたな。少なくともあの二人の駆け落ちまがいの事に知恵を貸したのは
君だろう。」

「あの二人は放っておくと何をしでかすかわからない状態だった。
だから助言しただけの事。」

「お陰で私は君と君の息子にまんまとやられたわけだ。」

「あの二人を今無理やり離しても問題は解決しないでしょう。
自分たちがやっていることがなんなのか自分たちで気づ
かせるべきだと私は思いますがね。」

「いつか気づくと君は思っているのか。」

「少なくともそう信じたい。ここに眠る彼らのようにはならないと。」



言葉が途切れてまた二人は墓を前に佇む。



ここに眠る二人は今何を思っているのだろうか。
望んだ通りになって 幸せなのだろうか。



それは誰にもわからない・・・。