First love 8



     
母と入れ替わるように父が3階へ上がってきたのは
そのすぐ後だった。

「アキラくん。 今君のお父さんから家に戻って来るようにと
電話があってね。」


その言葉に血の気が引いたように塔矢の顔が真っ青になった。

「親父今からって、まだ日中じゃん。それに塔矢は自転車で来たんだぜ。」

「それは心配ない。私が送っていくと名人には伝えた。
自転車は車に積んでいこう。食事をゆっくり済ませてからでいい。
終わったら下に降りてきなさい。」

それだけ言うと階段を下りようとした親父を慌てて俺は呼び止めた。

「なあ、それって・・・親父と名人の仲が悪い事と関係あんのか?」

親父は困ったようにふっとため息をつくと足を止めた。

「ないとは言えんだろうな。」

はっきりとは言わなくてもそれがどういったことかぐらい
俺にだってわかる。

青ざめて唇をかみ締める塔矢に俺は何とかしたい一心で
食い下がった。

「それって俺たちには関係ない事だろ?親父たちのことじゃねえか。
親父たちの仲が悪くたって俺と塔矢は友達だし良いライバルなんだ。」

「ヒカルの言い分はもっともだ。だが、今日アキラくんはここに来る事を
言わずに家を出たらしい。そうだね?」

「はい、ご迷惑をかけました。」

絞りだす様に言った塔矢に親父がやさしく言った。

「迷惑なんて思ってないよ。ただご両親が心配されていたから。
これからは名人の許可が降りたらいつでも家に来たらいい。
私もヒカルも歓迎するから・・・」

「はい。」

「じゃあ下で待ってる。」

階段を降りていく父の後ろ姿が消えると塔矢が俺に言った。



「進藤 ごめん。」

「何言ってるんだ。俺お前に謝られるような事されてねえ。」

「でも・・・君の両親に迷惑を掛けた。」

「親父は迷惑なんて思ってねえっていっただろ。気にするなよ。
それより俺お前のほうが心配だ。帰って名人に怒られたりしねえ?」

「大丈夫だよ。」

力なくわらった塔矢の声は乾いていた。おそらく俺に心配させないように
そう言ったのだと感じると余計に心配になってしまう。

「進藤 せっかく君のお母さんが入れてくれたお茶とタルトだけどとても
食べれそうにないんだ。」

「わかった。じゃあタルトは持って帰れ。」

俺は下に引いてたナフキンに塔矢と自分のぶんのタルトを包み込むと
無理やり塔矢に手渡した。

「進藤!?」

「名人を説得できたらまたこいよ。」





駐車場に降りると親父が塔矢の自転車を荷台に積んでいるところ
だった。



「本当にご迷惑を掛けました。」

そう親父に頭を下げた塔矢の肩を親父がそっと叩いた。

「なあ 親父俺も一緒に行っていい?元はと言えば俺が塔矢を
誘ったのが悪かったんだ。名人には俺が謝る。だから俺も
連れて行ってよ。」

「何を言ってるんだ。僕の方が先に君に会いたいと言ったんだ。
君は悪くない。」

お互い庇いあう二人を本因坊は微笑ましいと思いながらもそれを表に
出す事はしなかった。

「お前が来ても余計に話がこじれるだけだ。心配するな。お父さん
を信じろ。名人とはおいおい話をするから。」

「でも・・・」

「ヒカル 大丈夫だ。」

そういわれると俺は引き下がるしかなかった。

「わかった。親父頼んだぜ。」






車がゆっくりと家を離れていく。塔矢の表情が心細げで俺は
胸が締め付けられそうになる。

車を見送った後ぼんやりしながら午後の授業を受けるために
自分の部屋に戻ると打ちかけの碁盤が目に入った。


そうだった。授業が終わったら続きを打とうと塔矢と約束してたんだ。



碁石を片付けようとしてやり切れない想いで手が止まった。

片付けられない。


塔矢 絶対この続き絶対打とうな・・・












車が自宅の前で止まると僕は緊張で体が震えた。
そんな僕に本因坊が話しかけてきた。

「すまなかったね。アキラくん。」

「・・・・・・?」

「私と君のお父さんの仲が悪い事で嫌な思いをしただろう。
さっきもヒカルが言っていたようにそれは私と名人の問題だ。
君たちには関係のない事だ。おいおい名人とは話をするから。」

優しい言葉に涙が出そうになる。
なぜこんな優しい人を父は嫌うのだろう。
一緒に車を降りた本因坊が呟いた。

「ここに来たのも随分久しぶりだな。」

「うちに来られた事があるのですか?」

「ああ。随分昔、君のおじい様が生きていらしたころにね。」

お互い何か言おうとした所で、二人の様子をモニターで見ていたの
であろう父が先に玄関を開けた。


「名人ご無沙汰しております。」

深々と先に頭を下げた本因坊に向けた父の視線は冷たかった。

「申し訳ありませんでした。うちの息子がご子息を
連れ込んでしまったようでこれからは・・・」

言葉を続けようとした彼の言葉を能面のような顔をした
父が冷たくいい放った。

「二度とこういうような事はない様に君の息子によく言い聞かせ
ておくんだな。」

あまりな父の態度に泣きたくなる。ひどい。ここまで送って来て
くれた人に、優しくしてもらったのに・・・

「父さん 進藤の家に行きたいと言ったのは僕です。
迷惑を掛けたのは僕の方です。」

「いいからお前は入りなさい。」

「嫌です。話を聞いてください!」

「話は家の中で聞く。とにかく入りなさい。」



家に入ろうとしてでも僕はどうしても父に言われるまま家
に入るのが嫌で玄関で一端振り返ってそして、本因坊に向って
深々と頭を下げた。



「ご迷惑をお掛けしました。ヒカルくんによろしく伝えてください。」


僕が家に入ったあとで大げさなぐらいの音を立てて
戸が閉まった。


「酷い・・・父さんなんでそんなことを。」

父の顔は今までに見たこともないぐらい怖い形相だった。
僕は背筋がぞっと寒くなる感覚に襲われる。



「アキラ 今後一切彼とは付き合うな。メールのやり取りもするな。
いいな。」

「なぜ!彼は僕の大事な友達なんだ。」

だが、父は僕の言う事など何一つ聞いてはくれない。

「昼からの授業が始まっている。早く部屋に戻りなさい。」

感情がついていかず逃げるように
部屋に入った僕をもう一つショックな出来事が待ち構えていた。



彼からもらったメールが全部削除されていた。
昨日もらった住所やアドレスさえも・・・・
だれがこんなことをやったかなんてわかりすぎている。


自分のプライベートに踏み込んできた父が許せない。

彼と過ごした時間がまるで夢だったのではないかと
思う。


僕は彼に手渡されてずっと握り締めていたタルトを
そっとひらけてみた。

強く握り締めていたため形を留めぬほどにそれは崩れてしまっていた。
涙がこぼれだす。

今すぐ君に会いたい・・・
その気持ちは涙が溢れ出すように止まらなかった。



その日アキラは午後の授業には出なかった。

     
      


W&B部屋へ

9話