白と黒 その日の夜2 駅に着くとすでに改札に塔矢は待っていた。 「わりい。こんな時間に急でさ。」 塔矢はオレの顔をまじまじとみると小さくため息を漏らした。 本当は言いたいことがあったのだろうが、それを飲み込んだのだろう。 「別に構わないよ。ところで君は何処か出掛けていたんじゃなかったのか?」 塔矢が歩き出したのでヒカルも後を追う。 「ああ、うん。和谷の所。本田さんと伊角さんの合格祝いやって たんだ。」 「伊角さんって確か全勝してプロ試験に合格した・・・?」 「そうそう、お前もプロ試験で打ったことあるだろう? 今度紹介してやるよ。」 「楽しみにしているよ。」 ヒカルがそういったのは塔矢にとっても将来ライバルになるだろうと 思ったからだ。それを塔矢も察したようだった。 足早に歩く塔矢の後を追うと髪が少し濡れているようだった。 その髪にオレはそっと手を伸ばした。 「お前、もしかして風呂上りだった?髪まだ湿ってるじゃねえか。」 驚いたように塔矢が振り返った。 オレが電話したから慌てて駅まで迎えにきたのかもしれない。 その瞬間ヒカルの指を通して塔矢の震えが伝わってきて 思わずオレは髪から手を離した。 「ごめん!」 だが、塔矢はヒカルの謝罪を勘違いしたようだった。 「構わないよ。一人で棋譜並べしていただけだし。」 塔矢の横顔が揺れる。 オレはそういった塔矢に違和感を感じた。 先生が中国に行って、1人暮らししてると言ってたけど。 気丈なやつだけど、塔矢だって寂しいと思ったりするのかもしれない。 そう思うとこんな時間に連絡を入れたのもまんざら悪くなかったかもしれない。 「そっか。じゃあさ、今日オレお前んち泊まっても構わねえか?」 「僕は構わないが、君のご両親には許可を取ってくれないか?」 「わかった。」 ヒカルはそういうと携帯を取り出した。 今日は和谷の部屋で伊角さんや本田さんのお祝いをするといって 出てきたから特に泊まりになっても心配はしないと思ったが 連絡することに越したことはない。 お袋から外泊の許しを貰うとオレは塔矢に向かってVサインした。 「許可もらったぜ。なあ、塔矢今日は徹夜しようぜ。」 調子に乗ると塔矢が顔をしかめた。 「進藤、徹夜は無理だ。僕は明日研究会に午後からは仕事もあるんだ。」 「そっか、」 「もし君に明日の予定がないなら、午前中塔矢門下の研究会に来る?」 「げっ?塔矢門下の研究会・・・。」 オレはそれはちっとまずいとばかりに顔を横に振った。 それに塔矢が苦笑した。 「そんなに塔矢門下を毛嫌いすることはないだろう。」 「いや、そのいい勉強にはなるだろうけどさ。緒方先生も来るんだろう?」 「君は緒方先生が苦手なの?」 「苦手っていうか・・・。」 佐為の一件があってからオレは緒方先生を避けていた。 佐為が・・・消えてからもだ。 オレにはまだ緒方先生と向き合うほどの棋力はない。 いつかは佐為を追い越して、緒方先生にも塔矢先生にも堂々と 挑みたい。 そう強く思う反面、佐為が一番だと思う自分もいる。 「オレ森下門下だし。お前と個人的に付き合うのはいいんだけど 塔矢門下の研究会に顔を出すのはちっと気がひけるんだ。」 オレの言い訳に塔矢は納得したようだった。 「そういえば森下門下生は塔矢門下をライバル視していると聞いたことがあるよ。」 「ライバル視か。そんな生易しいもんじゃねんけどな。」 オレは苦笑いするしかなかった。 「そうなんだ。」 塔矢は察したのだろう。くすくすと声を出して笑っていた。 そんな風に笑った塔矢の顔を見るのはオレははじめてだった。 「ここなんだ。」 塔矢に案内された家はまあオレが予想していた家そのものだった。 日本家屋の落ち着いた佇まい。塔矢名人らしいといえばいいだろうか。 オレはわくわくしながら玄関を上がった。 「お前ん家すげえな。やっぱお前ってお坊ちゃんだよな。」 塔矢はそれにため息をついた。 「進藤、もっと言い方があるだろう?」 「ひょっとして庭とかあんのか?あの水が入って竹がコンって鳴る やつとかあったりする?」 「鹿威しのこと?そんなのないよ。」 「ないのか?」 塔矢はひどくおかしそうに笑った。 「期待してるみたいだけどごく普通の家だよ。」 ヒカルは心の中で「絶対普通の家じゃねえと突っ込みを入れた。 広いし、何よりも家から木の、碁盤の薫りがするような気がした。 そんなことを言うと塔矢に笑われちまいそうで言わなかったが。 「なあ、お前の部屋ってどこ?上がっていいか。」 「構わないけど、君が期待するようなものはないよ。」 塔矢に通された部屋は純和風の部屋だった。寝っ転びたくなるような。 そんな部屋の真ん中に立派な碁盤が一つ。打ちかけ(おそらく棋譜打ちを していた)になった石が並んでいた。 「どれどれ、何の棋譜だよ。」 「それは・・・。」 塔矢は気まずそうに顔をしかめた。 オレはこの布石に見覚えがあった。 「ひょっとしてオレがお前とこの間打った?」 塔矢が慌てて片付け始めたのでオレは笑った。 「別にいいじゃねえか。オレもよくお前の棋譜並べるぜ? 昨日もお前と打った棋譜並べたし。もっともお前の棋譜を並べると 直接打ちたくなるんだけどな。」 石を片付けていた塔矢の手が止まる。 「僕もこの棋譜を打ちながら君のことを考えていた。」 照れくさくなるようなことを言われてヒカルは困ったように笑った。 塔矢はこういうことにひどく正直でまっすぐだ。 「だったら今から打とうぜ。」 「ああ。」 望むところだと言わんばかりに塔矢は石を握った。 その日の夜 3話へ
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