白と黒 交差点4 木曜日、待ち急いだアキラは約束より早く碁会所に向かった。 先日緒方に挑発をうけて逸る気持ちもあった。 だが進藤に問いただすことはきっと出来ない。 それがアキラの心の中をますます苛立たせているようだった。 彼へと向かっていく気持ちを留めることができなくなっている。 それは告白をしてからますます拍車をかけていた。 碁会所に入るとアキラはトクンと心臓の音が波打った。 すでに進藤がそこにいて、客と多面打ち(指導碁)を打っている姿が飛び込んで きたからだ。 「あら、アキラくんいらっしゃい。」 「市河さんこんにちわ、進藤はいつからここに?」 視線を彼の方に向けると進藤はあちこちせわしなく動きながらお客さんとの多面打ちを 楽しんでいた。 「ええっと1時間ぐらい前だったかしら?アキラくんとの約束より早くついたし いつもタダにしてもらってるからって常連さんに指導碁するって。」 そこで市河は声を細めた。 「もっとも北村さんは断って帰っちゃったんだけどね。」 アキラはそれに苦笑した。 「そうなんだ。」 進藤に指導碁のお客さんがアキラに気づく。 「若先生こんにちわ。」 進藤もこちらに気づいて笑った。 「なんだお前もう着ちまったのか?約束より随分早いじゃねえか?」 「君も手合いが早かったんだね。」 「まあな。」 進藤は本当に楽しそうに碁を打っていた。 なんだかその間に割り込みたくなくて、それでいて入りたいようなそんな気分のまま 観戦していたら、進藤が挑発するように笑った。 「塔矢お前も指導碁してやろうか?」 「進藤プロが若先生に指導碁受けるんだろ?」 客の一人に返されて「何を!」と進藤が返す。 その後の容赦ない一手が盤面に投げ込まれた。 「うわあ、」 「どうだ?」 勝ち誇った進藤に アキラは空いていた席についた。 「なんだ?本当に打つのか。」 「ああ、ここにいるお客さんたちの敵はとらないとね。」 「返り討ちにしてやる。」 進藤は空いていた椅子を持ってくると碁盤を挟んだアキラの向かいに 腰を下ろした。 二人が打ち始めてしばらくたったころには二人の気迫に 取り巻きの客も席を外していた。 二人の対局が終わるころ碁会所へひょっこりと緒方が顔を出した。 一斉に客の関心が緒方にいく。 「緒方先生がここに来るなんて珍しい。」 『ああ、近くに寄ったからな、』 「次は防衛戦頑張ってくださいよ。」 『もちろんだ。』 「応援してますよ。」 緒方はお客に軽く返しながら二人に歩み寄ると盤面を見つめた。 集中している二人は緒方には気づいていない。 盤面から僅かだが優勢なのはアキラだ。 ここからでは流石にひっくり返らないだろう。 進藤が苦虫を嚙んだように言った。 「負けたみてえだな。」 「負けました。だろう?」 アキラに言われて進藤はますます顔をしかめた。 「言いたくねえ時ってのがあるんだよ。」 それにアキラが呆れた。 「全く君は・・・。」 石を片付け始めた進藤の手が止まる。 「げっ?!」 素っ頓狂な声をあげた進藤の視線の先を 何かと思って顔を上げたアキラも顔をしかめた。 「進藤、随分失礼な反応だな」 「緒方さん?いつからいらしてたんですか?」 慌てて石を片付け始めた進藤に緒方が笑った。 「ついさっきだ。進藤が手合いが終わったらここに来るって言ってたからな。 棋院に行ったついでに拾ってこようと思ったんだが、さっさと終わった みたいだな。それでここまで追ってきたんだ。」 緒方はそういうと隣の椅子にドカっと席をおろしタバコを取り出した。 「進藤次はオレと打たないか?あのイベントの夜のリベンジだ。 もしオレが勝ったらネット碁でかまわん。saiと対局させろ。」 進藤の顔が明らかに曇る。 「先生には前にもいっただろ。オレはsaiなんて知らねえって。」 進藤の声は微かに震えていた。。 嗜めるようにアキラは二人の間に割って入った。 「進藤は知らないと言っているでしょう。」 あえてアキラはここでsaiの名を出さなかった。 「おいおい、アキラくん心にもないこと言うなよ。 アキラくんだって進藤がsaiと全く無関係などとは思ってはいないだろう。 先日だって、」 「緒方さん!!」 自身の疑念を進藤には知られたくはなかった。 まして緒方の口から明かされるなど耐え難い。 進藤はドタっと立ち上がった。 「塔矢オレ帰るな。」 進藤は笑顔で取り繕うとしたがそれは歪んでいた。 「先生、リベンジの対局は公式戦にしてくれよ。もっともオレも 先生に負けるわけにいかねえんだけどな。」 「だったらさっさとあがって来い。」 進藤は軽く一礼してから背を向けた。 進藤が碁会所から出た後、緒方はため息を吐き出すようにタバコをふかした。 「ますます怪しいな。」 怪しいというのは進藤とsaiのことだ。 アキラだってそれは感じてる。 saiの名を出すたびに彼は頑なになっている気がする。 そしてそれは自分もそうなのかもしれない。 『いつかお前には話すかもしれない』と言ったあの時の進藤に固執し、 真実を知りたいと思ってしまう。 進藤を慕う想いが募るほど、彼を知りたいという欲望も増していく。 彼の碁が彼の全てではなかったのか? アキラは自身に問うて、ため息をついた。 「緒方さん、僕も帰ります。」 「アキラくんも気も害したか?」 「少しは空気を読んでください。」 流石の緒方もそれ以上何も言わなかった。 進藤とは今週末約束を交わしている。 だが、来てくれるだろうか? 今しがた別れたばかりだというのにアキラの心はすでに明後日へと飛んでいるようだった。 交差点5話へ
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