番外編 君がいる5

 



その晩オレは不思議な夢を見た。



1本の満開の桜の下。ただそこだけがスポットライトを浴びたように
照らし出されていた。

その木の下に碁盤一つと碁笥が二つ。
いまにも対局を待つようだった。

いつの間にかその碁盤を挟むように佐為と塔矢先生が
座っていた。
楽しそうに語っている会話はオレには聞こえない。

わからないけどふとその二人の視線がオレに向かられた。

気づくと俺は手に扇子を握り締めていた。
俺はその扇子を迷わず佐為に渡した。

佐為は微笑んでそれを受け取るとその場を包む風が空気が
色が変わった。

桜吹雪が舞う。広がった視界は緑の野に青い空になった。





二人は申し合わせたように碁を打ちはじめた。


『パチ、パチ』


碁石の音だけが流れている。
オレは食い入るようにその対局を見守った。




ひらひら桜の花びらが舞い降ちる。
碁盤の上にオレにも。



「進藤!!」

聞きなれた声に突然呼び止められてオレは振り返った。

そこには小さな塔矢がいた。
小さいといっても体がってわけじゃない。
うまく言えないが普段の塔矢よりもずっと小さくて陽炎のように儚気な
存在だった。

「塔矢、お前いつからそこに?」

塔矢も食い入るように二人の対局を見つめていた。
オレはこれが夢だってことをわかってた。
だから素直に言えたんだと思う。

「塔矢、あれが佐為だ。綺麗だろう?」

「ああ。」

塔矢は先生の碁を目に焼き付けようとするように必死に見つめていた。
オレはどうしていいのかわからず塔矢の手を握った。
ほのかに温かいその手にホッとした。

あまりにも夢の塔矢の存在が頼りなく儚かったから。
このまま消えちまいそうな気がしたんだ。
震える塔矢の指もきつく俺を握り返してきた。






終局を迎えた。  



勝ったのはやっぱり佐為だった。あの時と同じあと半目という激しい碁だった。
二人は満足そうに肩を並べるとやがて遠い空を仰いだ。
俺は息をのんだ。また行ってしまう。
そして本当にこれが最後の別れになってしまうような気がした。

けどオレが佐為を呼び止めようとした瞬間、塔矢の方が先に声を上げていた。


「お父さん。行かないで。僕を置いていかないで、」

オレの手をふりほどくとまるで小さい子供が泣きつくように
塔矢先生の元に駆け出していた。

「いやだ。いやだ。」

駄々っ子のように泣き叫ぶ塔矢の頭を先生は優しくなでた。
そうして俺の方に向きなおして、何かつぶやいた。

聞こえなくても塔矢先生はオレに『アキラを頼む。』と言ったんだ。



頬から溢れ落ちた涙を拭うとオレはそれに大きく頷いた。



佐為はその様子を微笑んで見ていたが、桜の花を仰ぎ見た後
遥か空を見上げた。

塔矢先生がもう一度佐為と肩を並べるため歩き出す。
「待たせたね。」とでも言うように、顔を見合わせて。



佐為の手にはもう扇子はなかった。
それはオレたちの中にあるんだ。



はっとした塔矢が俺を振りほどいて二人の元へと走り出す。

「おとうさん。いやだ。僕も連れて行って。」

走り出した塔矢の後を追ってオレも走った。
走っても走っても塔矢先生と佐為への距離は縮まなかった。
つんのめった塔矢をオレは渾身の力で抱きしめた。


「塔矢、お前は行くな。オレの傍にいろよ。」

塔矢は驚いて俺の顔をみる。オレはもう1度言った。

「オレのそばにいてくれよ。アキラ・・・ずっとこれからも。どこにも行くな。」

現実にはいえない絶対に言えない。言っちゃいけない。
ずっと心の奥底に隠してきた本心。

「オレはお前が好きだ。」

無理やり奪った唇に声も体も震えた。



「ほら、」

そっと佐為と塔矢先生を目で追った。
涙で曇った視界をごしごしこすった。

最後まで見届けていたかった。
消えていく二人を見送りながら俺の腕の中で嗚咽をあげる塔矢に言った。


「俺たちにはこの身がある。これから先ずっとこの命がある限り
・・・オレはお前の傍にいる。」



腕の中の暖かい感触が消えて行った。

 

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