温暖化防止という名のエゴ

09/9/6

最近環境問題を考えるようになった人間がよく口にするのが
「私たちの地球を守る」
という言葉である。

しかし、地球環境を昔から考え、生きてきた人々は知っている。
地球環境を考える際に基本となるのは
「地球は人間たちだけのものではない」という事を。

地球温暖化が心配される中でCO2濃度に注目が集まっているが、
現在のCO2濃度は異常値と言えるだろうか。

参考までにグラフを示す。



このグラフは前期カンブリア紀(約5億7千年前)から現代までの
大気中の二酸化炭素濃度を表わしたものである。

グラフを見ていただくと解るように、
永い地球の歴史からしてみれば現代のCO2濃度は低いほうである。
こういった事実があるにもかかわらず
二酸化炭素濃度の増加を問題視するのはなぜだろうか?

それは、未知の領域に対する恐怖感があるからではないだろうか。

人類が地上に現れたのは今から約360万年前の鮮新世である。
この時代のCO2濃度は現代よりやや高い約450ppmとされる。
一方、多種多様な生物が繁栄したジュラ紀のCO2濃度は1200〜2300ppmとされる。
ではこの時代、地球は異常だったのだろうか。
生物が繁栄できる環境を異常と言う人は少ないだろう。

地球の歴史でCO2濃度が現代よりももっと高い時代があるからといって、
CO2濃度を増やしても問題がないか、といえばそうではない。
CO2濃度450ppm以上の地球環境で人間が生きていけるかどうかは分からないからである。
これはCO2濃度増加による気候変動に適応できるかどうかだけではなく、
その気候で活発に動き回るウィルスや細菌に対抗できるかという問題も伴うのである。

「地球を守ろう」だとか「地球にやさしく」だとか、
まるで地球のために何かしてあげると言わんばかりの態度だが、
結局のところ自分たち人間が生きていける環境を守るためなのである。
地球環境を守る事は地球のためではなく人間のため、
つまり自分たちのためなのである。
自分たちの生活を便利にするために地球環境を破壊してきた人間が、
自分たちの生活圏を守るために地球環境を守ろうとする。
それは自分勝手なエゴなのかもしれない。
しかし、生きるためには避けられない道であろう。

今一度再認識したいのは、
地球温暖化対策は地球のためではなく自分たちのためであるという事である。





参考文献

ブディコ 『地球大気の歴史 - その進化と未来を探る』 朝倉書店





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