若林通信




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 2013年2月1日(金)
 2.上杉謙信

 武田信玄が、現代から見ると胃・十二指腸潰瘍と考えられる膈(かく)という病気で亡くなり、天下人レースは織田信長と上杉謙信にしぼられたかに見えた。しかし、謙信は、わずか四九歳で病にたおれてしまった。本能寺の変でたおれた信長も四九歳。奇妙な偶然だ。辞世として有名な「四十九年一睡夢 一期栄花一盃酒」に象徴されるように、謙信は大の酒好きだったが、そのために命を縮めたようだ。盃から天下がすべり落ちてしまったようだ。


 上杉謙信は三月九日、今で言えば四月のはじめに雪隠(トイレ)でたおれた。脳卒中である。言葉の中枢のある左の脳がこわれ言葉も話せないまま、その四日後に亡くなった。一度暖かくなって寒さがぶり返した時は要注意だ。寒暖の差が高血圧の大敵なのである。脳卒中の中でも脳梗塞は、何回か発作をくり返すことが多い。そして、発作のたびに重症化して行くのが特徴だ。謙信の場合も四一歳の時に軽い発作を起こし、その後は手がふるえて字を書くのが困難であった。右手に症状が出ているので、左の脳がダメージを受けたことがわかる。また、それ以前にも戦場で発作を起こして、「謙信倒れる」という風評が立ち、敵方である北条軍が喜んだといわれる。このような経過から見て、脳卒中の中でも脳梗塞であった可能性が高い。致命的となった最後の発作も左の脳に起こっているので、左の脳の中の太い血管、または左の脳を養う首の血管(内頸動脈)に病変があったのであろう。謙信の酒好きは有名だ。肖像を描かせた時に朱色の盃を描かせて、「この盃は自分の姿である」と言うほどであった。
 大酒を飲むと脱水状態になり、血液濃縮が起こって血管がつまりやすくなる。血液の中性脂肪や尿酸もふえて動脈硬化が進む。また、酒のさかなとして塩分の多いものをとりがちになって高血圧が悪化する。これを繰り返していると、血管がボロボロになり、ついには脳卒中になってしまう。おまけに謙信は寒い中、戦いのために東奔西走した。数百里を走破した年もあったようだ。高血圧と寒さは最悪の組み合わせだ。しばしば脳卒中や心臓病をひきおこす。現代でも、平均寿命を都道府県別に見ると、平均寿命の短い県は雪国に多い傾向にある。そういう所では塩分の消費が多く、それが主因だと言われている。塩分の取り過ぎは高血圧を誘発し、脳卒中や心臓病の危険性を高めるだけではなく、胃がんなどの危険性も高めるからである。塩分ひかえめは必須だ。健康ブームで運動が奨励されているが、謙信の行動を見ても明らかなように、寒い時の運動のし過ぎは自分で自分の首をしめかねない。特に高血圧の人は注意が必要だ。大酒をつつしむのは、言うまでもないだろう。
 謙信の脳梗塞の原因として可能性の高いのが内頸動脈狭窄症だ。この病気は欧米人に多いのだが、近年は高カロリー・高脂肪の食事の影響で、日本人にもふえている。首を走行する内頸動脈が動脈硬化により細くなり、ついには詰まってしまうのだ。川に泥がたまり、どんどん川幅が細くなっていくのと似ている。重症の脳梗塞をおこすのである。しかし、現代人は幸いなことに、頸動脈エコーにより全く危険性なしに短時間で簡単に内頸動脈狭窄症が有るか無いかを知ることができる。また、心房細動という不整脈でも重症の脳梗塞がおこる。そういう意味で、心房細動は悪性の不整脈だと言えるだろう。手首でふれる脈が不規則な人、胸がドキドキする人はすぐに心電図をとった方が無難と言えるだろう。謙信の死後、後継者の座をめぐって、景勝と景虎の間で内乱がおこった。カリスマ的リーダーの死後のお定まりのコースであった。そして結局、上杉は豊臣秀吉に屈することになったのである。

 以後の「歴史人物寿命伝」の予定は、徳川家康、豊臣秀吉、織田信長です。お楽しみに。


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