氷ノ山1509m)


 コロナ禍で、みんなで行く山行がなかなか難しい夏だった。残っていた夏休みと週末で4連休があり、新潟から福島まで一人で行く計画を立てていたが、夏風邪で体調を崩し、もう少し近い信州に変更、直前まで体調が戻らず、それも変更、休みに入ってからやっとよくなったので、2日間だけ出かけることにした。わりと近いのに一度も行ったことがなかった氷ノ山に行くことにした。早朝、大阪を出ても、十分日帰り出来る距離だった。氷ノ山スキー場を通り過ぎ、東尾根の駐車場に車をおき、東尾根に取りつく、いきなり急登だったが、30分ほどで尾根上に出ることができた。そこからは緩やかな登りを緑の濃い稜線を登っていった。ブナから天然の杉林に出て、山頂直下は灌木帯になった。青空も広がり気持ちのいいハイキングになった。山頂の避難小屋には何パーティかが昼食をとっていた。鉢伏山、ハチ高原スキー場までの登山道もよくみえた。下山は、「氷ノ山越え」を経由する周回で帰ることにした。かなり急な斜面を一気に下り、すぐに{越え}についた。そこからは谷を下ったが、意外に長く感じた、スキー場の下の公園に下山した。そこから車道を登り返し、スキー場を通り抜け、駐車場まで戻った。




 養父市まで車で下り、旅館古城に泊まった。GOTOトラベルで一人では少し贅沢な料理温泉旅館だった。刺身から但馬牛やカニまでの懐石料理を堪能した。次の日は、竹田城をめざした。竹田駅の近くの観光用の駐車場から竹田城を見上げることができた。凄い急な崖の上に石垣が少し見えている。古い家並みの通りを抜けて、竹田駅に、そこから線路沿いの住宅の間を抜けていった。家の空地で野菜がつくられていたり、静かな田舎町だ。単線の踏切を渡ると登山口に、そこには従軍慰霊碑がいくつもあった。古いものは戦国時代のもの、西南戦争に狩り出され戦死した兵士、さらに、明治、大正、昭和と戦死した方の氏名がいくつかの碑にあった。昔は、山村であったこの地からも兵士が集まられ、遠い戦地で死んでいった若者がたくさんいたことがリアルに感じた。
 お城への道は、石段続いたが、ほぼほぼ登山道のような道だった。ここを攻め上るのはかなり厳しいものだ。大汗をかいて、やっとお城の直下のゲートについた。観覧料を払ったが、そこの小屋の前の大型扇風機からしばらく離れることができなかった。そこから直ぐに石垣の下に出た。青空に石垣が突き上げている。かなり古い時代の積み上げられた石垣、山の頂上をぐるりと石垣がおおい、さらに、二の丸、三の丸、本丸と石垣が積み重ねっていた。今は、何も建造物が残っていない古城、急峻な崖下にみえる城下の街並み、さらに山々の間に田園が伸びる。見渡せる景色の素晴らしさは、楽しむものではなく、たたかいのためにこの地が選ばれたのだろう。その山頂にこの石垣を積み上げる労働にだれが狩り出されたのはどんな暮らしをしていた人々なのか、その家族は、無事に家族の元に戻れたのだろうかと思いがめぐる。後で調べたら、築城には15年かかり、農民が狩り出され、畑に木が生えたと伝わっていることを知った。

 下山は、寺町に下る道に、よく整備された急な階段を下る。最後は、表米神社に出た、半円形石積型の相撲桟敷があった、大変珍しい、土俵の反対には舞台があり、能や歌舞伎が演じられていたのだろう。石段を下り、石の鳥居をくぐると、寺町通りに出た。閑静な新しい住宅街の前を通る、道と住宅の間に水路があり、きれいな流れに鯉が泳いでいた。歴史を感じるともに、今も暮らし続ける人と自然、歴史が交じり合った空間を感じた。

 線路を渡り、古い街並みの通りにもどり、車まで戻った。まだ、10時過ぎだった、大汗をかいたので、近くの「よふど温泉」によって、汗を流した。露天風呂もある日帰り温泉施設だった。平日の午前中だったが、地元の方か、結構、お風呂を楽しんでいた。昼ごはんは、美味しいそばが食べたくなり、1時間ほど遠回りして「出石そば」を食べてから、大阪に向かった。12日の旅だったが、いい夏休みになった。

2020824
守口市→東尾根駐車場8:50-東尾根避難小屋9:24-氷ノ山山頂11:20 11:50-氷ノ山越12:27―東尾根駐車場14:00-ホテル古城
825日 竹田城に登る 8:30-竹田城(353m)9:30-竹田駅・駐車場10:20

 

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