2020年北海道の旅(2020717日から30日)

定年退職前にライフプラン休暇というものがあり、オートバイで北海道の旅に出かける。

〇第1日目
 霧雨の中を大阪から名古屋港まで走り、太平洋フェリーで40時間、苫小牧に向かった。夜7時の出港、さっそくフェリーのお風呂に入り、畑でとれたきゅうり、トマトをのせたオードブルで乾杯。

〇第2日目
 きょうは1日中、フェリー、太平洋はうねりがあり、読書しようと思っていたが、無理だった。寝ているか、食べるか、風呂の40時間だった。

〇第3日目
 苫小牧に午前11時に、フェリーを降りて、太平洋沿いにオートバイで南下、民家も少ない、途中で、海岸線の定食屋をみつけ、ブタタン定食をいただく、とても美味しかった。新日高、サラブレットの里を抜け、荻伏で海沿いの国道を離れ、サラブレット牧場の間を抜け、日高山脈に向かう。未舗装のダートに入る、あまりよくない、でこぼこや落とし穴もあり、アップダウン、崖も通過する。長い、結局21キロもダートが続き、やっと神威岳山荘についた。そこにいた登山者に情報を求めると昨年、「ぺテガリ岳に登った。登山道は手前の分岐をいったところ、今年は川の水量も少なく渡渉は楽なようだ」とのこと。
 オートバイに、着替えやジャンバーなど不要なものを置いて、それ以外の23日の食料、装備、ツエルト(簡易テント)、きたきつねのエノコック病の感染を避けるために飲料水3リットルを担ぎ、入山する。
 まず、沢を渡渉する。沢靴がいいとの情報もあったが、装備を軽量化するために登山靴のみにした。靴が濡れることも気にせずに、登っていく。地図には道がない、沢沿いにつめ、峠を越える、時々、沢の二股ではGPSで方向を確認する。便利な時代になった。2時間ほどで峠に出る、今度は急な笹の覆い被さった沢を下る、林道に出たのは午後550分、ここからは林道を1時間半くらいかと思っていたよりフェリーから登山口への時間がかかったので、ヘッドランになるか、ぎりぎりの時間だった。
 峠越えの沢筋では、ヒグマが出てこないか、様子をみながら、熊鈴をならし、たまに大声を出したりしていたが、林道では蝦夷カモシカをみたりしたが、段々と単調な林道歩きにぼっとしていた時、笹ががさっとゆれてかと思うと、林道から5メートルほど横の木にヒグマがよじ登り、こちらの見ているではないか、こちらもふいのことで、びっくりしたが、セオリー通り、ヒグマをみながらあとずさりをゆっくりして、ヒグマが動かないことを祈った、ヒグマはこちらの様子を見ている感じで、木からは降りてきそうにはない。ヒグマの視界からやっと逃れたところで、どうするか?考える。どう考えても林道を進むことはできない。引き返すにはも日没はすぐ、ツエルトはあるが、ヒグマの棲むエリアでビバーク(緊急宿泊)は怖い、地図をみると川が林道と沿って流れている、少しさきにでも川と林道が近づく地点があるので、取り合えず川沿いに下り、遭遇地点を過ぎたあたりで、再び、林道に戻ることにした。濡れることも気にせず、川の渡渉を繰り返し、しばらく下り、地図であたりをつけたところで林道をめざす、少し藪があるが、林道には戻れそう、ヒグマが出てこないこと願いながら、なんとか林道に這い上がることができた。時間はすでに午後640分を過ぎていた。薄暗くなってきている、林道を急ぎならが、声をあげて歩く、7時には暗いのでヘッドランをつけて歩く、午後7時半にやっとペテガリ岳小屋に到着した。
 中にいた登山者はすでに就寝中で申し訳なかったが、ヒグマと出会いこんな時間になってしまったこと、夕食を摂りたいのでバーナーを使うことの了解を求めた。何人かが、「どうぞ、して下さい」「大変でしたね」と声をかけてくれた。夕食は味などわからない、かきこんで食べてすぐに寝た。生きていてよかったと思った1日だった。

〇第4日目
 ペテガリ岳アタックだ、コースタイム登り6時間、下り4時間のロングランだ、天気はよかったが、暑い、頂上に向かう長い尾根はいくつもの小ピークがあり、時間がかかり、体力の消耗も激しい、だいたいコースタイムどおりに進むも疲れを感じる、目標にしていた頂上の手前の最後のピーク1301メートルに、5時間かけてもあと少しのところで届かなかった。下りも登り返しが多く体力の消耗が心配、山頂へはコースタイムで1時間半、もうひと登りとは思ったが、とてもその時間で行けそうになく、帰りの消耗を考えると、単独行で、日高の山深く、携帯どころか無線も届くかわからない中、バテバテになるよりは、無理せず下山することを判断、午前9時半前だったが、下りはじめた。思っていたとおり、下りも時間がかかる、足もパンパンになり、踏ん張る力があまり入らない、結局、5時間で登ったところを下りも5時間かかってしまった。判断はよかったとは思うが、トレーニング不足、準備不足を痛感した。日高の女王峰は遥か遠くて、残念だったが仕方ない。日高山脈の雄大さは十分に感じることができた。

〇第5日目
 前日、ペテガリ岳を登った2人の登山者と一緒に、グマと遭遇した林道をすすむことにした、3人だと少しは心強い、何事もなく、林道から峠への踏み跡をたどる、笹が覆いかぶさる泥壁を登り、峠に、そこからは沢を下る。峠まで2時間半、峠からは1時間半で下山、前日の疲れがまだあり、沢下りも結構、大変だった。オートバイに停めていたところに戻り、装備を積み込み、また、ダート20㎞を走り、サラブレッドの牧場に出た。浦川の街に出て、日高昆布ラーメンを食べた。昆布だし、だしをとった昆布、さらに、昆布を素揚げがトッピングにのっていた、これは日高らしい美味しいラーメンだった。
 天気がよかたっら襟裳岬に寄ろうと思ったが、いまひとつだったので、天馬街道を通り、日高山脈を越え(長いトンネルを抜け)、帯広まで移動した。登山時間3.5時間、バイク180キロだった。
 帯広では、下調べしていた天然温泉たぬきの里というスーパー銭湯、ドミトリー宿、コインランドリーもあり、そこでお世話になった。帯広割があり、1500円で泊まれた。洗濯をして、夜は、帯広の居酒屋に行った、厚岸の岩ガキをいただき、「じゃバタいかの塩辛のせ」を初めて食べた。これは酒のみは最高の組合せに思える。居酒屋2軒、帰りにジャズバーの看板をみつけ入った。なかなか洒落た店だった。

〇第6日目
 天塩岳に移動、入山予定だったが、天気予報は雨模様だったので、山に行く気になれず、予定を変更して、旭川のスーパーホテルを予約して、のんびりツーリングにすることにした。途中で、南富良野の道の駅でゴールドラッシュコーンとエゾジカの肉入りコロッケを食べた。トウモロコシは最高に美味しかった。
 移動の途中で、芦別岳の登山口にあるキャンプ場を確認、広くできれいなキャンプ場だ、ただ、ヒグマが出没しているらしい・・・
 富良野を通過したので、スキー場を見ていった。ちょうど、昼食時間だったので、富良野新プリンスホテルの最上階でズワイガニ添えトマトソーススパを食べた。添えられてミニサラダのトマトが赤、オレンジ、緑の三色が入っていてきれいだった。1600円はお得な感じ、午後からは雨が降ってきたので、休憩なしで旭川に向かって走った。
 ホテルの受付の女性に、美味しい居酒屋を聞いた、一押しの「居酒屋千金」にうまく入れた。刺身盛り合わせを2千円で、あわび入りでお願いしたら、あわびが1個まるごと、ウニ、甘えび、ほっきがはいっていた。締めには、洒落たバーを見つけ、マティーニを飲んでホテルに帰った。

〇第7日目
 天気予報が悪かったので、旭山動物園に行ってみた。見せ方が凄くよく、予定外の観光だったが行ってよかった。昼食は、旭川ラーメン青葉本店で味噌ラーメンを食べた。富良野のバックパッカーズの宿「ログ由縁」に泊まった。富良野の農協COOPで、夕食、富良野の地ビールと富良野ワインを1本買った。同宿はフランス人女性2人と英国人の男性1人がいた。こういう時は英語できたらいいなと思った。

〇第8日目
 この日は、空知川をリバーカヤックで15キロ下った。Wokkys(ウッキーズ)のガイドツアーは、ガイドとマンツーマンのツアーだった。集合は、ハイランドふらののラベンダーの畑が素敵だ、ますは、終了点に移動し、オートバイをそこにデポ、そこから車で移動し、出発点へ、堤防の上からカヌーを滑らし、水辺へ、支流のワンドのようなところで漕ぎ方の練習、シーカヌーから2年ぶり、リバーカヤックは6年ぶりだったが、すぐに慣れた。その後、中州をカヤックを引きづって移動、いよいよ本流に、川幅もあり、緩やかな流れではあるが、スタートからは、少しさきに白波のたつ、瀬がみえる、「いきなりか」と思ったが、最初の瀬に入る、こつはわかっている、カヤックをまっすぐにすること、漕ぎ続けること、オートバイのダートと一緒で進む力がある方が安定する。なんとか乗りきる、空知川は緩やかな流れと瀬が時々あらわれるカヤックで下るには、とても理想的な川だ。北海道・富良野の自然は本当に素晴らしい、きれいな水、水辺のみどり、曇の間から見えた青い空、カヤックのあとは、集合場所だったハイランドふらのラベンダーの丘の上にある展望露天風呂を楽しみ、おみやげを買いに富良野市内によった。牛乳ソフトクリームを食べた。富良野で宿泊するとメロン1個もらえるキャンペーン中で、メロンをいただき、富良野農協COOPに移動し、おみやげにメロンゼリーなどを買い、メロンとともに宅急便で大阪に送った。夕食は、ログ由縁に戻り、フライパンでほっけの一夜干しを焼き、富良野産のトマト、きゅうり、中札内産の枝豆、カニ入りシュウマイに、大雪地ビール、昨日の富良野ワインだった。

〇第9日目
 フラノトレッキングサポート遊馬で乗馬をした。乗った馬は、ジルバという雌で、少しおばあちゃんだった。引綱で練習するが、S字がうまくできない。そのあと牧場の外周から車道をわたり、林道、森の散歩道まで1時間の乗馬を楽しんだ。実は、横にずっとスタッフがついて、アブがとまると馬は止まって、取ってくれと催促する。スタッフの方がアブを追い払うとまた歩いてくれた。サラブレットに乗ると、目線はすごく高くなり、新鮮な感覚を味合うことができた。
 そのあと、美瑛のパッチワークの丘を少し走り、天塩岳の登山口にある山小屋をめざした。乗馬1時間、バイク140キロ、ダート9キロだった。
 山食の夕飯は、旭川のスーパーで買った「豚さがり」のパックで一人焼肉を楽しんだ。独りぼっちかなと思ったが、夕方近くに4組ほど小屋に入ってきたが、小屋は二階建てで、分散して場所取りしたのでソーシャルデスタンスは大丈夫だった。

第10日目
 夜明けとともに、天塩岳をめざして登りはじめました。整備された登山道で、旧道から連絡道、新道へと登っていった。沢から尾根に上がり、尾根から頂上をめざした。順調にコースタイムより短い時間で山頂に立てた。天気は今ひとつだったが、近くの山々は見えたのでよかった。ヒグマのうんちは3回目撃したが、気配は感じなかった。標高1500メートル足らずでも、緯度が高いので、3000メートル級の景色で、前天塩岳の頂上直下では、コマクサ、しかも白いコマクサも咲いていた。12時には下山することができた。
 この日は、旭川のキャビンホテルを予約したので、ダートを下り、オートバイ70キロを走り、ホテルにチェックインし、洗濯をしてから、もう一回、居酒屋千金に行き、北の幸を堪能した。次の朝は早く出発したいので、キャビンホテルの最上階のラウンジでマティーニを一杯だけ飲んで9時には寝た。

第11日目
 旭川のホテルを朝4時半に出発、70キロをバイクで走り、雨竜沼湿原のゲートパークキャンプ場に、コロナのために南暑寒別山荘は閉鎖されていたので、あまり車は泊ってなかった。午前7時前に、川沿いに雨竜沼湿原をめざす、湿原の平坦な景色のイメージから緩やかな道を想像していたが、意外と急な山道で歩きづらいところも多かった。1時間半かけて湿原の入口に立つことができた。天気は時々雨で、雨具を着たり脱いだりの連続だった。とても南暑寒別岳をめざす気にはなれなかった。ただ視界は辛くも湿原を見渡せることができ、人も少ない静かな湿原を歩くことができた。展望台をめざし、ひと登りした。そこからは眼下に湿原を見渡すことができた。この景色をみたくて、ここまで登ってきた。花は、あまり多くはなかったが、タチギボウシ、オゼコウホネ、ミツガシワ、ヒオウギアヤメ、シモツケソウなどが咲いていた。アジサイも見ごろを向かえようとしていた。下山では、エゾシマリスを近くで見ることもできた。
 12時過ぎに下山し、バイクで次の山、夕張ヒュッテをめざしたが、昼食によったラーメン屋で情報を確認すると夕張ヒュッテも閉鎖されていた。近くの滝川市内の旅館はもともといっぱいで断れていて、その日の泊るところがなくなった。地図でみると夕張へのルート上にある唯一の街は芦別市で、そこの観光協会に電話で宿の紹介をしてもらう、ホテルは高いのでいやだった、民泊も3軒紹介してくれた。順番に電話して、2件目の「さだ子の家」で、泊めてもらえることになった。この日のバイクの走行距離140キロ、ダート20キロ、山行時間5時間だった。夕食は、芦別市の道の駅で買ったトウモロコシ、トマトに山食で済ませた。この民泊は、近くの農家が経営していたが、大きな一軒家をひとりで貸し切り、しかもビリヤードなどもついている豪華な別荘のような家で、3,500円は超お得、オーナーがトマトの差し仕入れをしてくれた。

第12日目
 この日も、夜明けとともにオートバイを走らせ、夕張岳をめざした。芦別から夕張まで70㎞以上、民家がほとんどない国道、車もほとんどない中、7時前に予定通りに登山口に着くことができた。前日の雨のために、ダートには大きな水たまりもあり、バイクも靴もドロドロになってしまった。馬の背コースから登る、笹が多い被る急な登りが続く、そこを抜けると針葉樹林の尾根を登っていき、谷から上がってくる冷水コースと合流する、この辺りは傾斜も緩く、樺の林に変わっていく、また、急な登りがあり、前岳を見あげる原生林を進んでいく、望岳台からトラバース気味に登り、笹が被さってくる登山道を登っていくと、先行していた北海道の登山者が戻って来た。ヒグマがいて、登山道を進もうとすると唸ってくるとのこと。しばらく待機しているうちに別の二人パーティーも追いつき、進もうか、戻るかを相談、しばらくしてから、4人で音を出しながら進んでみようとなり、ヒグマのいたあたりまで進んだ、鈴や笛を鳴らしても、「どうも動かない、唸っているようだ」と北海道の登山者が言い、「きょうは下山する」という、当然、自分も下山することにした。
 またしても、登頂が出来なかった。長く北海道に来ていたのに頂上まで行けたのは天塩岳だけ、ペテガリ岳は体力不足、暑寒別岳は天候とコロナで小屋が閉鎖されて雨竜沼湿原まで、夕張岳はヒグマ、登山は登頂がすべてとは思わないが、「あまりいい出来ばえではないな」という思いはあった。それでも、北海道の自然を堪能したいい旅と思い、下山、その日の宿、フォレスト夕張ユースホステルをめざした。ガソリンスタンドでドロドロになったオートバイを高圧噴射できれいにすることができた。
 夕張ユースに着いて、山で使う道具をすべてラックにきれいに収めた。4回目の洗濯もできて、荷物整理をした。食料もほとんど消費したので、やっと荷物がコンパクトにできた。夕飯は、農園もやっているユースなので、野菜たっぷりの食事、大切りの夕張メロン付き、朝ご飯も、野菜がたくさん使った料理だった。建物も大きなログハウスで、明るい部屋、食堂は吹き抜けと高級ペンションという感じだった。ライダー割にしてもらい6,100円は最高!また来たい宿だ。

第13日目
 夕張から新日本海フェリーに乗るために小樽へ、小樽では有名なあんかけ焼きそばを食べてから、積丹半島神威岬をめざしてツーリング、北海道に来て13日目で一番よい天気、神威岬ブルーをみることができた。北海道の旅の最後に素晴らしい景色を堪能して、小樽に戻りフェリー待ち、走行距離は260キロだった。
 そして、6年前に小樽でお世話になったライダーハウスのオーナーに教えてもらった寿司屋通りから少し曲がったところにある「郷土料理おおとみ」さんを訪ねる、今回で4回目、やっぱり美味しい、酢の物のおまかせ800円、赤貝、ほっき貝、生タコ、ズワイガニ、イカが入っていた。蒸し物は、カニ、ホタテ、そいが入って800円、かき揚げは半人前にしてくれたがボリュームもあり、海鮮の焦げた香り、野菜たっぷりだった。締めに、ウニなどのお寿司をいたただき生ビール、冷酒を飲んで5千円台とはうれしい。

〇第14日目
 フェリーの旅、ゆったりした1日だったが、最後がしんどかった。舞鶴に午後9時過ぎに到着、そこから2時間、真っ暗な道を走り、午後11時半過ぎに自宅に到着、最後は130キロ、通算約1700キロを走った北海道の旅は無事に終わった。

行動記録登山時間、宿泊先
1日目 717日(金)大阪11:31-名古屋港16:29 出港19:00  走行距離150㎞《太平洋フェリー》
2日目 718日(土) フェリー           《太平洋フェリー》
3日目 719日(日)苫小牧10:43-荻伏-ダート21k-神威山荘手前駐車場15:45-峠越え-ぺテガリ山荘19:23 
 走行距離130K・3h  登山行動4時間  《ぺテガリ山荘》
4日目 720日(月)ぺテガリ山荘4:13-ぺテガリ山頂手前1300mピーク9:23-ぺテガリ山荘14:42    登山行動 9時間40分 《ぺテガリ山荘》
5日目 721日(火)ぺテガリ山荘5:04-峠越え-ゲート8:55-ダート21k-天馬街道-帯広14:23  登山行動 3時間30分 神威から帯広 163k  《天然温泉たぬきの里》
6日目 722日(水)帯広9:05-南富良野道の駅-富良野新プリンスホテル-旭川15:50   走行距離 193㎞ 《スーパーホテル》
7日目 723日(木・祝)旭川-旭山動物園-富良野  走行距離 100㎞ 《ログ由縁》
8日目 7月24日(金・祝)富良野リバーカヤック(wokkys/ウッキーズ) 走行距離30㎞ 《ログ由縁
9日目 725日(土)富良野-フラノトレッキングサポート遊馬(乗馬)-美瑛の丘-旭川-愛別町-天塩岳登山口 走行距離140㎞ 《天塩岳ヒュッテ》
10日目 726日(日)天塩岳ヒュッテ4:39-連絡道-新道-天塩岳8:10-前天塩岳-天塩岳ヒュッテ12:05 13:00-ダート9k旭川15:00 登山時間7時間300分 走行時間70㎞ 旭川ホテルキャビン》
11日目 727日(月)旭川4:00-ダートミックス10k-雨竜沼湿原ゲートパークキャンプ場6:38-雨竜沼湿原入口8:40-展望台9:43-雨竜沼湿原入口1030-雨竜沼湿原ゲートパークキャンプ場11:55-芦別市15:30 登山時間5時間 走行距離140㎞ 《民泊さだ子の家》
12日目 728日(火)芦別市-ダート10k-夕張岳登山口アタック-夕張岳手前1400m付近-登山口-夕張市 登山時間5時間 走行距離143㎞ 《フォレスト夕張ユースホテル》
13日目 729日(水)フォレスト夕張ユースホテル―小樽-積丹半島・神威岬―小樽港-すし・おおとみ-小樽フェリー乗船23:30  走行距離260㎞ 《新日本海フェリー》
14日目 730日(木)-舞鶴港20:45-帰阪23:00 走行距離130

        走行距離 1689

        登山時間  35時間