2004年夏 北海道の17日間の山旅 その1 大雪山

 在職20年のリフレッシュン休暇を使い、オートバイでツーリングしながら、山を楽しむ北海道一人旅の17日間の記録

1日目(715日) 出発―舞鶴《125
 
大阪2005―名神・舞鶴道125舞鶴港 2230 2300乗船

 守口市が門真と合併するかが、問われ、住民投票の実施が決まり、市民運動とかかわったその住民運動などで、出発を2日ほど遅らせ、日程も2日ほど短縮したのが、残念だったが仕方ない。この日も、夕方6時過ぎまで労働組合の事務所で仕事を片付け、家に帰り、あわただしく出発の最終準備をする。必要なものなどは1ヵ月以上まえ、いや、1年前から集めていたが、はじめの長旅(大学の合宿山行以来)で、やたら荷物が増えてやっと単車に積めた状態だった。2005分出発、中国道を走るが、雲行きがよくない、夕立のような雨が降りだし、赤松サービスエリアで雨具を着る、稲光もあり、前途多難な旅のスタートなのかと思ったが、雨はひどくならず、綾部を越えたあたりではやみ、順調に舞鶴港に到着、真夏のツーリングは夜の出発もいいものだと思った。フェリー乗り場には、たくさんの単車の列ができていた。おそめの手続きとなり、最後に船内に上がることになった。大きい荷物は単車のところに置けたが、要領がわからず、不便を感じることもあった(ゴムゾーリは船内必需品)
 23時過ぎに乗船し、2430分の出発だ、2等室(10人ごとの船室になっている)に、寝る場所を確保し、さっそく風呂に入ることにした。なかなかの風呂で、スチームサウナもあった。ビールを飲む、寝る。

2日目(716日) 舞鶴 130― 新日本海フェリー −2030 小樽港

 朝風呂からはじまり、朝食バイキングでから生ビール、あまりのごちそうに、こっそりナプキンで昼食のあてを確保、そして、朝寝となった。昼は船の先端にある展望ロビーで、失敬したあてとビールで昼食、また、昼寝、よく寝れるものだと思った。寝るのに飽きたら、今度は最後尾のオープンデッキで、読書としゃれこむ、船旅は気持ちがなんかリッチになる。フェリーは、信じられない速さで進む、今年の7月から投入された世界でも最速フェリーらしいが時速50Kである。デッキから海をみるとまるでモーターボートのようないきおきで、波を切っていく、その潮風と日本海のゆうやみをみながらの昼寝は最高、これこそ旅の気分、航海はほとんど陸地がみえないが、積丹半島をまわりこむあたりでは、はっきりと陸地が見え、小樽の夜景をみながらの入港はロマンチックな雰囲気だ。 
 最後に乗船したから、最初に下りれるかとおもいきや、やっぱり最後まで待たされた。21時過ぎ、夜のふけはじめた小樽市街と入っていった。
 宿は、インターネットでみつけた杜の樹、バックパッカ−ズ専門の宿で、オーナーも気さくな人でおいしいすし屋を紹介してくれた。お風呂も時間外でOK,お酒も飲めて3000円は格安(今回の旅で一番高い宿だった)、初日からまた来たい宿となった。

3日目 717日(土)小樽―旭岳青少年村《214k》 旭岳アタック

 
小樽540−高速−旭川北IC 830−旅行村キャンプ場 930― ロープウェー駅1055−旭岳―1400 1420−ロープウェー駅 1630

 旭岳アタックをめざし、早朝から出発、高速で旭川をめざすが、ガソリンが足らず、砂川SAで1時間ガソリンスタンドの開店待ちとなる、その間に朝食、ハレー軍団も同様に足止めになっていた。単車のツーリングは早目の給油は大切、旭岳は足馴らしでロープウェーを使用するか迷って上がったが、幸いにも点検中で動いていない、しかたなく足で下から登りはじめたが、これがよかった。針葉樹林の森を抜け、湿地帯もあり、なかなかのコース、むしろ、ロープウェー駅より上は森林限界となり、高山植物こそあれ、火山性の瓦礫の山のあまり面白みのない急登だけだった。しかし、人が少なく、素晴らしいチングルマの群落などさすが北海道のスケールを味わった。山頂では記念写真の一瞬だけ景色を楽しむこともできたがすぐにガスって、あまり記憶に残るところまでいかず、ガラ場の長い登り、金庫岩、ガスの噴出などが印象に残った。裾野の広さ、森、池が点在するのは素晴らしい景色であった。 温泉を楽しんだあと、キャンプ場での夕食は、旭川のコンビニで買ったジンギスカンだった、森の中でいいところだったが、虫に追われ、夕飯は雨となり、楽しむところまで行かず、そく寝る。

      北海道の17日間の山旅 その2 クワンナイ川遡行からトムラウシへ