WHO is EIICHI OHTAKI ?

大瀧詠一って誰?とおっしゃる方も多いでしょう。

年に数回しか人前に出ない方ですから...

まずはバイオグラフィーから始めましょうか!

大瀧詠一大瀧詠一:本名、大滝栄一。

1948年7月28日、岩手県江刺市に生まれる。東京に上京し就職するも退社して布谷文夫や中田喜直、彼を通して細野晴臣と知り合う。細野宅での勉強会を通じて松本隆や鈴木茂らと交友を広げる。その後エイプリル・フールが解散し1969年9月元エイプリル・フールの細野晴臣、松本隆らとヴァレンタイン.ブルーを結成、ギタリスト鈴木茂を加えて活動を始める。バンド名をはっぴいえんどと改め1970年レコード・デビュー。はっぴいえんどの活動と並行してソロ活動を始める。1971年11月にセカンド・アルバム『風街ろまん』発表後にソロ・アルバム制作の話が持ち上がり、1972年12月『大瀧詠一』を発表、ソロ・デビューをはたす。ほぼ解散状態だったはっぴいえんどにロスでの海外レコーディングの話が持ち上がり、渡米。ヴァン・ダイク・パークスやリトル・フィートらとレコーディングを行う。1973年1月に3枚目にしてラスト・アルバム『HAPPY END』を発表し1973年9月21日の[CITY LAST TIME AROUND]はっぴいえんど解散コンサートをもって解散する。1973年に三ツ矢サイダーのCM制作を手始めに本格的ソロ活動を開始、CMソングの制作も意欲的に行う。1975年プライベート・レーベル「ナイアガラ」を設立しエレックと契約、シュガー・ベイブのアルバム『ソングス』と大瀧の『ナイアガラ・ムーン』をリリースしたが、エレックが倒産、日本コロムビアに移籍する。山下達郎、伊藤銀次らとナイアガラ・トライアングルとして『ナイアガラ・トライアングルVOL.1』をリリース。シュガー・ベイブは解散、山下と伊藤銀次もナイアガラを離れて行く。『多羅尾伴内楽団VOL.1』、ナイアガラ初の女性ソロ・シンガーをプロデュースして『夢で逢えたら/シリア・ポール』、『多羅尾伴内楽団VOL.2』、『ナイアガラ・カレンダー』、ベスト盤『DEBUT』、『レッツ・オンド・アゲイン』と怒濤のリリースをしたのち日本コロムビアとの契約が切れ、2年の沈黙(自身のレコードのリリース)の後に、CBS・ソニーに移籍、1981年不屈の傑作「ア・ロング・ヴァケーション」を発表。驚異的なベスト・セラー・ヒットを記録、佐野元春、杉真理らとの『ナイアガラ・トライアングルVOL.2』を発表、2人を大舞台へと送り出した。その後はソング・ライター、プロデューサーとして、またDJとしても活躍したが、レコードのリリースは久しく絶えたままだった。が、1997年11月27日シングル「幸せな結末」を13年振りに発表、チャートの最高2位まで上がる大ヒットを記録。再びプロデューサー等の活動も再開した。オリジナル・アルバムとしては『EACH TIME』を1984年にリリースして以来絶えています。1991年と2001年にはアルバムをリリースすると予定はあったようですが、1991年は仮に終わりました。2001年に期待がかかっているのです。これがいわゆるナイアガラーの2001年問題なのです。またれよ『2001年ナイアガラの旅』すべては仮か?もしくは・・・。と言っているうちに時は流れ、『2001年ナイアガラの旅』も流れてゆきました。

2013年12月30日没。ご冥福をお祈りいたします。


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