前日の夕方から降りだした雨は夜明け前には上がり、朝めざめると、まぶしいほどの秋晴れだった。山国の信州は、どこを歩いていても山に囲まれ、山がすぐ近くにある。山が近いと空も近くかんじられるのは何故だろう。手をのばせば空色の絵の具が指先に付きそうなくらい、空が近くかんじられた。
空の近くに建つ「無言館」は、戦場に散った画学生たちの遺作や遺品が収められている。今の時代でも芸術家はどこか変わり者の目で見られるが、軍国主義の時代に美術を志す青年たちは、なおさら少数派であっただろう。画家のタマゴたちは、自分のよき理解者でもあった親姉妹や妻や恋人の肖像画を愛惜を込めて描き残している。その中でも、出征前に描かれた清楚な裸体画が心に留まった。戦前の純潔教育のもとで育った素人の若い女性が、キャンバスの前で裸体になる行為は(作品化された裸体は他人の目にもふれる)、たやすい決意ではなかったのではないか?
愛し合う二人が別れを惜しみながら、迫りくる死に抗おうとする緊張感が伝わるような裸体画だった。
無言館を出たあと、本館である信濃デッサン館を訪ねた。蔦に埋れたデッサン館には、村山槐多をはじめ夭折の画家たちの作品が収められている。死と向き合うのは孤独な作業だ。自分ひとりで立ち向かわねばならない最後の闘いだ。槐多は、洗面器に血を吐きながらキャンバスに向かいつづけ、22才で亡くなったという。
ひっそりと静かなデッサン館から出ると、テラスでお茶を飲んだ。とてもあたたかな秋の午後だった。紅葉の木々に風が吹くと、落ち葉が空に舞い上がってはキラキラと降ってきた。切り取って持って帰りたくなるような美しい秋空だったが、空を切り取る術は知らず、かわりに落ち葉を拾って帰った。
2002年11月 うらたじゅん
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