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1.トルコ航空のショック・シートがへたっている!
2.空港でショック・缶コーラが160万リラ!
3.Wedding パート1・オンボロ超小型自動車で
4.Weddingパート2・世界中から集まった友人たち

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5.カッパドキア・奇岩の中の地下都市
6.アンカラ若者スポット・ケバブの店
7.最終回・イスタンブール

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5.カッパドキア・奇岩の中の地下都市

 明けて7月24日、月曜日。フランス人ピエール、ドイツ人スベンと私たち姉妹の計4名は、タクシーをチャーターして憧れのカッパドキアへ。かなり遠いらしく朝7時出発の約束をしていたのですが、ちょっとしたアクシデントがあり結局9時に出発。
 4時間くらいかけてやっと世界遺産に登録されているカッパドキア地方へ。テレビや本ではよく目にする光景ですが、やはり目の前に広がるとスケールが違います。自然の驚異というか、何かとても不思議な空気が漂っていて言葉がありませんでした。
 外観ももちろん驚きなのですが、キリスト教とイスラム教が勢力争いをした長い歴史を持つ土地のため、奇岩がほとんどキリスト教徒や宣教師が隠れ住んだり、祈りを捧げた礼拝堂だったりと、砂漠の中に今でも人々の生活の気配が残っており、その雰囲気にびっくりです。 (実際、数年前まで人が住んでいた地区もあったそうです。)

 中は礼拝堂として使われていたものは、素晴らしい宗教画が壁画として残っていたり、祭壇やステンドグラス?様のものもあったりしてとても興味深いものでした。中は礼拝堂として使われていたものは、素晴らしい宗教画が壁画として残っていたり、祭壇やステンドグラス?様のものもあったりしてとても興味深いものでした。
 住居用の方は地下都市様になっていて、敵が攻めてきた時に侵入を防ぐ大きなドーナツのような非常扉(小さな石を動かすと自動的に動いて閉まるようになっている)や、地下7階とかでも新鮮な空気が流れるように工夫されている仕組みなど、わくわくどきどき、とーってもおもしろかったです。
 地下通路で隣町につながっているという話もあるらしく、何百人もの人が地下都市で暮らしているなんて、これほどわくわくする話はないですよね。

 いくつかの奇岩の中はカフェになっていてお茶が飲めるのですが、なんとトルコのリビングはクッションとカーペットをひいて日本のように床に座るのです.靴をぬいで床に座るとやっぱりほっとしますね。思わずくつろいでしまいました。
 後で知ったことですが、寝るときも布団で寝るらしく、トイレも和式に似ているし、トルコはやはりアジアの一員なのでしょう・・・

 この日一日で、十字軍とか歴史の中にでてくる本当に古く遠い話の痕跡が目の前にあらわれ、かなりカルチャーショックを受けました.当たり前の話ですが、あれって本当にあった話なんですよね。滅多に見れない貴重なものを見れた幸運に感謝します。

 それにもう一つ。トルコってとてつもなく広い国だと実感しました。日本に住んでいると外国ではどこでもその広さに驚きますが、アジア大陸って大きいですよね。どこまでも荒野が続き、野ざらしのパイプラインが無造作に放置されていて、聞くと、ロシアからの天然ガスのラインとのこと。他人の国のことですが、悪人とかがいて途中で細工をしてしまったり、そんな心配はいらないのか少し考えてしまいました。映画の見すぎでしょうか?

 それに星!なーんてきれいなんでしょう。あれが銀河ですね。
 便利な生活もいいけれど、都会の生活ではなくしてしまったものも本当に多いですね。カッパドキアからの帰り道、私たちは不便で体力的にもきつかったけれど、とてもトルコが好きに なっていました。

それでは今回はこのへんで・・・またメール書きますね。おやすみなさい。

山田 裕美

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6.アンカラ若者スポット・ケバブの店

 さてお待ちかねの??トルコ報告です。
 世界遺産カッパドキアへの長い長い日帰り旅行から帰った次の日。最後までアンカラに残った私たち姉妹は、新婚のTurgut夫妻の案内でアンカラ観光へ・・・アンカラ観光は日曜日の披露パーティーの前にもTurgutの恩師の案内のツアーに参加していたので、今回は若者の集まる人気スポットというところへ・・・

 さすがトルコの首都。繁華街は結構な人出です。スカーフを巻いた黒づくめの人がいると思えば、パリの街角にいたような最新ファッションできめている人もいます。昼食はやはりケバブ。本当に今回の旅行ではいろいろなスタイルのケバブに挑戦しました。ドネルケバブ。これは店先に吊るされてぐるぐる回っている肉の塊から少しづつ肉を削りとるスタイル。シシケバブ。これはサイコロステーキ状にカットされた肉の塊を串に刺してサーブするスタイル。

 今日のランチはファーストフードのケバブ。Turgutによるとその店は若者に大人気とのこと・・・ちなみに彼の新妻は26歳で彼は36歳。彼は新妻のTulayのことを若い人達と呼んでいます。というわけでこの店もTulayの推薦らしいのですが・・・
 この店のケバブは、フランスパン様のパンに野菜やらケバブをこれでもかと詰め込んだものです。口が裂けるかと思うくらい大きく口を開けなければならないし、パンは固くて口の中は傷だらけになるし、おまけに大きさは、小さなバケット1つ分くらいあって・・・降参という感じです。ただ一緒に頼んだトルコの代表的な飲み物のアイランは期待をはるかに超えたものでした。ヨーグルトを水で割って塩で味付けしたものですが、日本でTurgutにごちそうしてもらった時とは全く印象も違いとても気に入ってしまいました。やはり40度を超えるトルコの夏にぴったりの飲み物なのでしょう。今年の夏、もし40度を超えることがあったら作ってみようと思います。

 ランチの後、繁華街を歩いているとやたらと目につくのが、甘いお菓子を店頭に山積みにしたお菓子屋さんです。多種多様何となく見たことのあるようなものから、全く味の想像もつかないようなものまで、とても好奇心をくすぐられましたが、残念ながらお腹にはスペースは全く残されていなかったので今回は諦めることに・・・次回こそ・・・
 そういえばトルコの男の人ってとても甘党。もちろんTurgutも日本にいる時も、どこかで食事をした後は必ずハ−ゲンダッツを探していたような・・フランス人の友人もそうですが男性で甘党の多い国ってもしかしたら料理大国??

 そして、明日からはとうとう妹と二人でイスタンブールなので、今のうちに両替をと考え銀行に連れて行ってもらうことに。今回はTurgutと一緒なので大丈夫と安心していたのですが、何とこの大都市の銀行でさえ日本円のトラベラーズチェックは通用しません。パスポートを見せろと言われるのはわかりますが、購入時の控えを見せろとか、別々に保管するから控えの意味があるのに何か言っていることが意味不明でびっくりです。

 今回の旅行ではこの両替が結構大変で、カッパドキア旅行では、田舎の銀行でトルコ人の助けを借りたにもかかわらず、米ドルのトラベラーズチェックの両替に1時間近くもかかり、私たちの後ろには長蛇の列、おまけに何をしているのか見に来る野次馬で黒山の人だかり。とんだ見世物です。本当に個人旅行者には大変な国です。もちろんトルコリラなんて日本では両替できないし、いったいどうしろというのでしょう?

 やっとの思いで米ドルの両替に成功した私たちは、アンカラで一番大きいというモスクへ。このモスクは大きいですが、結構新しいらしく30年前くらいに建ったものだそうです。 とても綺麗で荘厳な雰囲気に包まれていましたが、なんと1階は巨大なスーパーマーケットになっているらしく、隣の駐車場には買い物客の車がひっきりなしに出入りしていました。 ただし流石内部は静寂に包まれ祈りの場といった感じです。感心していると係りのおじさんと思しき人が何か怒っている様子.何とそこは女人禁制だったとのこと。トルコ人のこの人たちといて、なんで怒られなければいけないのか不思議に思っていると、何とこの2人はモスクにはほとんど来たことがなく、モスク初心者だったことが発覚。驚きました. まあトルコ人だからってトルコのこと何でもわかるわけではないですよね。

と今日はそろそろこのへんで。 また続きは近いうちに。 おやすみなさい。

山田裕美

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7.最終回・イスタンブール

 それではトルコ報告の最終回です。お待たせいたしました。

 翌7月26日。トルコ航空国内線にて一路,東洋と西洋の合流点、憧れのイスタンブールへ。イスタンブールの第一印象は”わー忙しそうな街だなー”でした。空気自体はもあーっと暑くけむって、喧騒の中に異国の匂いがして・・・香港イスラム版みたいな・・・ 何となくでもわかっていただけると嬉しいのですが。

 街は旧市街と新市街に分かれており、旧市街は多くのモスクを含む古い建物が狭い斜面に折り重なるように建ち並び、離れて見るととても絵になり、遠い昔にタイムスリップしたような気分になります。もちろん昔の景色を知っているはずもないのでとても不思議なのですが、そんなノスタルジックな気分にさせる何かがあるのです。

 イスタンブールでの宿は、イスタンブールでも最も古いホテルの1つで、アガサ・クリスティも常宿としていたペラ・パレスです。このホテルはもともとオリエント急行でイスタンブールに到着した外国人のために建てられたもので、ロココ調の博物館のような伝統を感じる建物です。
 実際、館内にはアガサ・クリスティの部屋とか、建国の父アタチュルクの部屋などが当時のまま保存されており、またほとんどの部屋のドアには、以前に泊まった有名人のネームプレートがつけられているという凝りようで、数年先にはホテルは閉められ本当に「博物館」になってしまうのだそうです。

 アンカラでは、エアコンもない網戸もない水もでないとホテルでは少し苦労したのですが、この年代もののホテルは、設備は古いですが何の不自由もなく快適でした。
 ここに来る前、日本人の旅行者には設備が古くてあまり人気がないと聞いていたのですが、折角イスタンブールまで来たのなら超近代的豪華ホテルより、営業している博物館のようなホテルのほうが絶対おもしろいと思うのですが・・・どうでしょう?

 観光スポットはアンカラと違い目白押し・・・

 まずは、後期のスルタンが住んでおり国民的英雄アタチュルクの執務室もあるドルマバフチェ宮殿。ボスポラス海峡にのぞむその美しい宮殿は、ナポレオンやエリザベス女王などをはじめとする各国からの贈り物に豪華に飾られ、その絢爛さには目をみはるものがありました。トプカプ宮殿に比べ新しく保存状態も良いので、スルタンの強大な権力と財力はそれほど昔の話ではないと、歴史を身近に感じるには最適の見学スポットです。

 そしてもちろんイスタンブールといえば、旧市街にあるブルーモスク、アヤソフィアにトプカプ宮殿。満月の夜に月をバックにブルーモスクを見るというのが結構真剣な目的だっただけに、大変な期待とともに巨大なモスクの前に立った時には、その美しさに感動しました。(昼でしたが・・) そしてまた内部のタイルが美しい! 流れる荘厳な空気もこれこそ祈りの場だー!とか何とか、日本人の私には感動の連続でした。
 アヤソフィアに、イスタンブールのたどった苦難と混乱の歴史を思い、トプカプ宮殿のハーレムに、アフリカから連れて来られ一生女性達の世話をさせられていた人たちのいたことを知り、複雑な心境になるなど、本当にいろいろなことを見聞きし考えさせられた2日間でした。

 トプカプ宮殿といえば、話によると、その内部にはまだ調査されていない財宝がたくさんあるとか・・・ 現在展示されている財宝だけでもじっくり見るのには1週間必要などといわれ、最初は宝石の大きさや数の多さに驚いていた私でも、最後には、ただの石?と思わず錯覚してしまうほどすでにたくさん、有り余るほど展示してあるにもかかわらずです。
 さらに驚いたことには、その全体の調査の予定も今のところ全く未定とのこと・・・そのおおらかさ、スケールの大きさ。まさに恐るべしトルコです。
 そう言えば、観光地の前で必ず「こんにちはー」と変なイントネーションで話し掛けてきた人たち。断られても断られても全く気にせず自分の経歴をまくしたて陶器やカーペット屋に連れ込もうとする、バイタリティあふれる、自称日本に留学したことのあるトップセールスマンの若者達。彼らはいつも自信に溢れ、いわゆる客引きの暗いイメージはなく、とても親切でどこまでが商売なのか?わからなくなるほど確かにおおらかでした。もしやそのおおらかさこそトルコ的?な気質の1つだったのでしょうか・・・まぁ留学先が富山や栃木などだったのは気になりましたが・・・

 トルコの人たちの暮らしについて、トルコは貧富の差が大きい国だと言われています。確かにそうだと思います。アンカラでも超がつくような高級高層マンション地区があったと思うと、地震の時は危険だなと思われるような小さな家の連なる地区もあり(説明によると政府が提供した家なのだそうですが)・・・外車に乗り最新のファッションに身を包んだ人もいれば、ファーストフードを食べている私達に手を出してくる赤ちゃんを抱いたジプシーもいる。ただ総じてとてもおとなしくシャイで、目上の人や家族を大切にし人には親切。トルコの人に対してそんな感想を持ちました。

 ただし旅行中、絶対に油断は禁物です。ほとんどは良い人でも中には悪い人もいます。それは日本でも同じことですが・・・。海外旅行中の日本人は100%警戒かまたは無防備か。何となく偏っているような気がします。というのももちろん自分も含めての話なのですが・・・

 イスタンブールに到着した当初、ガイドブックや他の日本人旅行者からの話などから、私達は100%警戒モードでした。ホテルのコンシェルジュに絶対安全だからこのタクシーに乗れと言われても”いいや、このガイドブックにタクシーには乗るなと書いてある”などと反論したりして・・。
 ところが最初は”何だか遠回りされてるんじゃない?”とか”運転が怪しげだ”などと疑心暗鬼で、わからないのをいいことに日本語で散々失礼な疑いをかけたタクシーの運転手さんが、実はとても親切な人だったり、その後しつっこく話し掛けてきたので無視していた少年や、トプカプ宮殿で怪しげなガイドと思ったおじさんも、結局親切な人たちで、というようなことが重なるにつれて警戒ばかりの自分を反省したりして・・。ふっと油断してしまったのでしょうか。
 あんなに注意されていたタクシーで騙されてしまったのです。

 以前お話ししましたが、トルコのお金はすべてアタチュルクの印刷された色違いの紙幣です。その上0がたくさんついていてとにかく紛らわしい。たしか1000万トルコリラとか500万とかだったかがどさーっと財布に入っている状態です。
 その時はたしか何百万プラス端数の支払いだったのですが、何百万を先にドライバーに渡して残りの端数を財布の中から探している間に、何百万をすりかえられたのです。何十万に・・・最初は何が何だかわからず本当に間違えて渡したのかなとも思ったのですが、そういえば何十万なんていうお札は今までに見たことがない。色が違うので、一度も見たことがなければ簡単に断言できるのです。それは私達の財布から出た紙幣ではないと・・・ 結局かなり長い間もめたのですが、警察に行くにもそのタクシーで連れて行ってもらうしかないし、それはあまりにも危険だし・・ということで、仕方なく諦めて、見たこともない何十万札をもらって、とうとうもう一度何百万を払ってしまったのです。
 これはガイドブックにも載っていた、とても初歩的な詐欺の方法だったので、被害金額はたいしたことはなかったのですが悔しくて悔しくて、ホテルに帰ってから、タクシーは安全だと断言していたコンシェルジュに思わずあたってしまいました。ごめんなさい・・・・。

 今になって思うと、私達にも油断がありました。タクシーの中で財布の中を確かめたり・・・ 反省です。ただこれは日本人にかぎったことでもないようです。アンカラで一緒だったフランスから参加のピエール。彼はアンカラで別れる時、紙幣を小さい順に並べて、これは日本円でいくら位とか、支払いの時には気をつけてなどとしつこいくらい注意してくれたので、その時は何て親切な人なんだと思っていたのですが、後で聞いたところによると、アンカラに来る前、彼自身もイスタンブールで被害に遭っていたようなのです。

 驚くべきことですが、今回話を聞いた人は全てタクシーで被害に遭っていました。
 旅行に行く前、トルコに詳しい人が、トルコ語も出来ず個人で旅行するなら、タクシーでぼられても当たり前。そんな事は気にせず楽しむことが出来ないとトルコの旅行は楽しくないよ。と言っていましたが、本当にいろいろな意味でエキサイティングな不思議の国でした。 きっとそれがトルコの魅力なのでしょう。

 ちょっと悔しい目にも遭いましたが、今度は絶対騙されないぞー!と新たな闘志がわいてくる国。 お腹もこわしたけれど何故か元気になれた今回の旅行。もしかしたら大きなパワーをもらって帰って来たのかもしれません。 たった1週間の旅でしたが私にとってこの1週間は心に残る素敵な時間でした。
 また日本のしがらみから抜け出したくなった時、不思議の国に行って思いっきり怪しげな異邦人になってみたいと思います。 トルコはどんな怪しげな異邦人もその風景にとけこましてしまう不思議なパワーを持った国で、どんな旅人をも元気にしてしまう国なのですから。

おしまい!! おやすみなさい

山田裕美

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