大阪で亡くなった86人

<2005年10月22日、追悼記念碑“彰往察来”除幕式にて、大阪で亡くなった方を記した木札>
木札はいつもは碑の内部に収められています。
****** <それぞれの遺族> ******
波連峰 | 鄭福海 | 玉煥章 | 彰有明 | 邱士興 | 魏克明 | 劉蘊珍 | 泰書聚 | 李闖 | 張振林 | 昌玉福 | 雷智玉 | 安治川 | 李登起 | 曹嗷 | 李世祥 | 卓本海 | 王玉才 | 呂明訓 | 藤永田 |
申金柱 | 焦富寛 | 沈増文 | 宋保学 | 王連 | 築港二 | 不明9 | 築港一 | 婁紀民 | 陳二倉 | 張進栄 | 李志法 | 于如意 | 丁心義 | 紀正■ | 杜光明 | 孟慶太 | ■明全 | 袁廷斌 | 川口 |
張栄福 | 段梅 | 白同愛 | 唐宜室 | 李覚民 | 杜占営 | 汪尚元 | 張耐民 | 李蘭子 | 周青元 | 朱金鼎 | 申尚喜 | 姚光俊 | 楊老合 | 范雲公 | 范白娃 | 孫振末 | 張維清 | 李慶玻 | 梁俊林 |
■増錫 | 張王佩 | 邵懐中 | 安小心 | 何虧子 | 石洛東 | 袁朝信 | 王更申 | 魏五輩 | 田現立 | 袁景林 | 曹亭軒 | 何宝爾 | 単景文 | 邵永修 | 顔孔仁 | 王志玉 | 斉双印 | 武振起 | 楊振芳 |
葛鳳徳 | 伏木 | 侯彦君 | 馬慶林 |
可能なかぎり、大阪で亡くなった人々の遺族と手紙のやりとりをしました。
そこから浮かび上がる事実を見つめます。
写真の木札は中国の簡体字ですが日本語の漢字に改めています。
名前が青色(または紫色など)の人は、その遺族の消息が分かっている人です。
クリックすると、それぞれの方のページに移ります。
(■は対応コードの制約で表示できない漢字です。写真の方を見てください。)
(それぞれの方のページ内で「証言、手紙」は別ウィンドで開きます。
閉じると元のページに戻ります。)
最上段の左端「波連峰」は、その後遺族との連絡により実名でないことが分かりました。
詳しくは「波連峰」のページを見てください。
****** <遺族の消息について> ******
大阪で亡くなった方々の遺族の消息を知る一番もとになっているのは、
強制労働をさせた企業・統制団体が外務省に提出した資料「事業場報告書」です。
提出は日本の敗戦の翌年1946年春。
外務省はそれをもとに「外務省報告書」(極秘)を作成しました。
国際的な戦争犯罪裁判に掛からないようにするための対策です。
その本質を全うするためその後長い期間、これらの資料を
外務省は一切公開せず、「存在せず」、とし続けました。証拠隠滅です。
それよりはるか以前、
1950年代その資料が密かに民間に漏れ、
当時の市民団体がガリ版刷りの名簿を完成させました。
それらの名簿は53~64年の遺骨送還の時に中国に届けられました。
それから長い時間が経ち、
名簿は、87年と90年に復刻版が明石書店から発行されました。
別の目的で作成された極秘資料が、
今日の各地の調査と取り組みの基礎となって行きました。
皮肉なことにというかせめても幸運なことにというか、歴史の綾ということかもしれません。
大阪でも92年から、名簿を基にして調査が始まりました。
何度もの訪中調査と中国の河北大学の協力も得て、
大阪で亡くなった人の遺族の内10人ほどの消息がようやく分かりました。
始まりから10年を経て2003年、追悼実行委員会が、
復刻版名簿を基に昔の不確かな住所宛に手紙を出してみました。
中国の郵便局の心を込めた協力により、新たに12人の遺族から返信が来ました。
遺族からの手紙により、
不正確であった名簿の間違いなどが判明しました。
どのような人であったのか、どのように連行されたのか、
また遺族の方々の半世紀の間の様子や現在の声などが少しずつ分かってきました。
多くの遺族が、
身寄りが何処に連れていたのかも分からず、探しようもなかったのです。
たくさんの人のたくさんの努力とたくさんの時間の中で
大阪で亡くなった方々のことが少しずつ判明してきました。
歴史と私たちと遺族との共同作業といえます。
このページでは、どういう方が大阪で亡くなったのか、今分かる限り紹介します。
亡くなった方々一人一人を忘れないために。