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北近畿びと<No.26>豊岡市日高町在住の武田 利雄さん★ | 北近畿のグルメ・イベント情報は「kininaru北近畿」 (kininaru-kitakinki.com)

管理者は、日本陸連上級公認コーチ(COACH4)、日本スプリント学会会員、国体監督(17回)で多くの
研修会や合宿、遠征に参加させて頂き、勉強する機会を得ることができました。
退職してからは、あこがれのスプリント王国アメリカへ世界陸上やオリンピックの選考会となる全米選手権
へも数度訪れました。


そんな中で
100m世界記録の変遷を、陸上競技を通じて私の出会った選手とともに紹介します。

10秒0
(手動計時)
1960年当時の世界記録は10秒0。ドイツのアルミン・ハリー
  反応時間が早すぎて10秒0で走った時、レース後フライングとされ再レース。
  再度10秒0で走った伝説の選手です。号砲への反応は歴代最高でしょう。
  現在の写真判定装置の不正スタートの判定は、リアクションタイムが0.1秒未満だったら自動的にリコールの
 号砲が鳴り不正スタートとして呼び戻されます。
  当時の映像を見ると、他の選手に比べて圧倒的に早い。現在のシステムだったら不正スタートと判定されたか
  も知れません。
1964年東京オリンピックの決勝ではボブ・ヘイズ(USA)が10秒0で走っています。
  当時はサブ計時として使用していた電気計時では9秒9台だったと言われています。
  400mリレーのアンカーで5番手でバトンを受け取ってからの上体を前後に揺さぶって走りあっという間にトップに
  なった「ごぼう抜き」は伝説となっています。この時のバトンを受け取ってからフィニッシュまでの時間は8秒6だっ
  たと言われています。
1960年からメキシコオリンピックの年までの8年間で10人が10秒0をマーク。「10秒の壁」と言われていました。                    

9秒9(手動計時) 

1968年、メキシコオリンピックの代表選考会となった全米選手権で3人の選手が準決勝でマーク。
 ジム・ハインズロニ−・レイ・スミスチャーリー・グリーンです。
この3人がメキシコオリンピック代表に選ばれました。

9秒95(電気計時)
メキシコオリンピックの決勝で9秒95の世界新記録をジム・ハインズが樹立。

  1995年夏、日本とアメリカの交流会が
アメリカのシアトルでありました。

日本選手を引率した私は、
ワシントン大学のコーチ宅にホーム
ステイする機会を得ました。
 このコーチが後の北京オリンピックの
アメリカチームのヘッドコーチ。
オリン・リッチバーグ
1968年の全米選手権(オリンピック選考会)
人類初の9秒台!しかも3人が!
(Speed Nightと今でも語られている)
オリンは決勝で彼らと一緒に走りました。

同年に開催されたメキシコオリンピック
の100mの入賞者が後に
世界中からアメリカに集合したとき
このサインを皆で書いたそうで、
その色紙のコピーをもらいました。

1960年代後半から1970年にかけて
活躍した100mのトップ選手の集合です。

左下:兵庫県の選手団(向かって左端が武田)
右下:ホームステイ先のOrin Ritchburg
        (USA
National Coach)
  

9秒93:9秒95は1983年、アメリカのカルビン・スミスによってに短縮されます。(コロラドの高地で)

9秒92〜9秒84
1988年から1994年までアメリカのカール・ルイスリロイ・バレルの2人で交互に更新します。
9秒92:ルイス(1988年)9秒90:バレル(1991年)、9秒85:ルイス(1991年)
9秒84
:バレル
(1991年)。2人はヒューストン大学を拠点にするサンタモニカトラッククラブの選手で、
当時は短距離のオリンピック金メダリストが4人所属していました。
(ソウル大会200m:ジョー・デローチ、バルセロナ大会:200m:マイク・マーシュ)
バルセロナオリンピックの4×100mは(マーシュ、バレル、スミス、ルイスで)圧倒的な金メダル。
ルイスはオリンピック通算9個の金メダルを獲得しています。(ボルトは北京大会4×100mの金剥奪で8個)

  
 カール・ルイス左)、リロイ・バレル(中)と。バレルは世界選手権100mメダリスト(M・フィン)と結婚。ルイスに貰ったサイン(右)
バレルの息子は2017年の全米選手権で大学生ながら9秒91で入賞しています。
    
 地元の財閥の家に招待されました座高なら負けません オリンピック100m決勝並の選手らの日々の練習風景。 
   
 左はバルセロナオリンピック優勝者:マイク・マーシュ  テレツ氏はグランドでも教室でも判りやすく熱い指導でした。

1993年、1995年の春に日本スプリント学会の一員としてヒューストンを訪れました。
サンタモニカトラッククラブのコーチ、ヒューストン大学の教授であるトム・テレツ氏の理論を学ぶために。
テレツ氏の教えは以後の日本の短距離の記録更新に大きな影響を及ぼしました。
(当時の日本記録は10”20 井上 悟)

9秒83
バレルの記録9秒84を1996年、ジャマイカ出身のカナダ選手ドノバン・ベイリーが更新します。
電気計時が採用されて以来、初めてアメリカ人以外の選手が世界記録保持者になりました。

9秒79
9秒8の壁を突破したのはモーリス・グリーン(USA)。
1999年アテネ国際グランプリで一気に0秒04更新の9秒79
グリーンはシドニーオリンピックで10秒87。金メダル獲得。

   2012年のロンドンオリンピックのアメリカ代表
選考会で引退したモーリス・グリーン会いました。
競技会終了後、アディダスのバーベキューに
誘われて参加しました。
多くの食材や飲み物が準備され、ハンバーグ
を作って食べました。コーラを飲みながら。
室内に入ると
ソファにくつろぐ肥ったおっさんがいました。
よく見るとモーリス・グリーン!。
一緒に写真を・・・。
”OK”でツーショットが撮れました。
競技会では
スタート前、肩にブルドッグの刺青をし、
フィニッシュ地点をにらみつける狂気漂う
あの顔、風貌はありません。
気さくなおっさんでした。

9秒77

2005年アテネで開催されたスーパーグランプリでアサファ・パウエル(ジャマイカ)が樹立。
パウエルは2007年に再度の世界新。9秒74にまで引き上げた。

   
 2015年北京で開催された世界陸上の事前合宿のためジャマイカチームは鳥取に来ました。
パウエル選手(赤パンツ)はプレッシャーに弱く、結局大舞台で金メダルを獲得できませんでした。

9秒72
2008年ウサイン・ボルト(ジャマイカ)がニューヨークのリーボック・グランプリで樹立。
以後ジャマイカ旋風、ボルトの時代が続くことになる。
9秒69
人類初の9秒6台は2008年の北京オリンピックの決勝。ラスト20mは横を向いて「欽ちゃん走り」
でも9秒69の信じられない世界新。2位を2m以上離しての優勝。最後まで真剣に走っていたら・・・ 
どんな世界記録だったか?
9秒58
2009年、ベルリンでの世界選手権。最後まで真剣に走りました。9秒58
ボルト選手は一人で世界記録を9秒74から9秒58まで引き上げました。なんと0秒16も。
1968年のJ・ハインズからM・グリーンまで31年をかけて短縮された記録を一人で、
しかもわずか2年で更新しました。まさに異次元の短距離界のスーパースターです。

  残念ながらボルト選手に会ったことはない。
でも彼のコーチから指導を受けました。 

2015年、
日本スプリント学会主催の研修会で
ボルトの所属するRacers Track Club
のコーチであるシャン氏が大阪で講演
と実技指導をしてくれました。
実技のモデルに桐生、江里口、福島千里選手。
講演ではジャマイカが短距離の強い歴史的
背景やトレーニングの概念など、
翌日の実技では基本の動作を。
短い距離だったけどモデルの選手たちは
「きつい」と漏らしていました。

番外編

   

2014年全米選手権
左:ロロ・ジョーンズ 100mH 
         BEST 12”24

上:リチャードソン 110mH 
   2011年 世界選手権 金メダル
   2012年 ロンドン五輪 銀メダル



   
 劉翔(中国)110mH12"88(元世界記録)  A・メリット(USA)12"80現世界記録保持者)
   
 伝説の2人:走高跳の背面跳びの考案者フォスベリー(左)と走幅跳で当時の世界記録を
         50cm更新し21世紀の記録と言われた8m90 を記録した
「鳥人」B・ビーモン(右)
        2人は1968年メキシコオリンピックの金メダリスト
(2012年全米選手権で)