有森 裕子さんが来た

 平成15年10月28日(水)豊岡高校に有森裕子さんが来ました。29日に「生き方を考える高校生フォーラム」の第一部で講演をされるため、前日の夕方の飛行機で来られました。
 私たち陸上競技部は練習の後、学校で迎え一緒に写真を撮ることができました。  
翌日の講演会では「よろこびを力に・・・」をテーマに話されました。下にその要旨を掲載します。

 小中高を含め、様々な場所で講演をしてきたが、高校生の手による「生き方を考える
高校生フォーラム」という場面で講演をすることは初めてである。講演を聞いて、8割の
人が前向きになって帰ってくれたらありがたいと思う。 今の私の肩書きは、私が生き
てきた過程があってのものであり、その過程は決してパーフェクトではなかった。一瞬
一瞬を大事に生きてきたことが今につながっていると思う。今日の講演ではそれをみ
なさんに伝えたい。
 私の兄はパーフェクトで自慢でもあり憧れでもあったが、私はあまりできがよくなく、
いつも親や先生から怒られていた。しかも私は生まれながらの股関節脱臼で親に迷惑
をかけた。しばしば兄と比べられたために、長所を見つけられず、自分に自信がもてなか
った。明るく元気になりたいと常に思うようになった。
 そんな私の性格を気にして両親は、小学校3年生の時の夏休みにサマースクールに
参加させてくれた。そこでとても素晴らしい体育の先生に出会った。その先生は私が欠
点だと思っていたことを、自分にしかない特徴であり長所であると誉めてくれた。一緒に
いると自信が持てて元気になれたので、その先生が担当する陸上クラブに入部すること
にした。先生にいい自分を見てもらいたいと思い、毎日クラブに打ち込んだ。その先生へ
の憧れから、小学校を卒業する時には体育の先生になりたいという夢を持つようになっ
ていた。
 中学校では好きだったという理由でバスケットボール部に入部したが、自分の失敗が
人に影響を与えると緊張するという性格上、うまくはならなかった。上達できず、普段の
生活も乱れ始めていた時に、誰もしたがらないことができたら自信がつくと思い、体育祭
の800メートル走に自らエントリーした。自己流で毎晩練習に励んだ結果、優勝すること
ができた。それは、自分で計画してその過程をがんばった初めての経験であり、自分が
人よりもできた初めての経験でもあった。この競技を通して、自分の夢を実現しようと思
うようになった。
 高校は第二志望の女子校に進んだ。陸上部に入部しようと思い、陸上部の先生に会
いに行ったが、「素人はいらん。」と何度も追い返された。しかし、あきらめずに1か月間
粘りに粘って、ようやく入部させてもらえた。高校生活は陸上で始まり陸上で終わったよ
うなものだった。
 しかし、国体にもインターハイも出ることはなかった。憧れの都道府県女子駅伝では、
1年生の時も2年生の時も補欠であった。特に2年生の時は、後輩の1年生がメンバー
に選ばれており、生まれて初めて悔しい気持ちになった。その開会式でランナーでもあ
りフォークシンガーの高石ともやさんがステージから応援の詩を読んだ。「ようこそ京都
へいらっしゃいました。ここまで来た練習のきつさ、苦しみや嬉しさを知っているのは自
分自身です。だから自分を褒めてあげてください。人に褒めてもらうよりはそういう想い
を知っている自分自身を褒めるのが自然です。」に心を打たれて大泣きした。そして練
習帳にメモして帰った。
 いつかその「自分で自分をほめたい」という言葉を最高の場で言ってやろうと思った。
そして、3度目の正直と信じて必死に打ち込んだ3年生の時もメンバーに入ることが出
来ず、またしても補欠となった。本気で打ち込んだその3年間はとてもつらく、長く感じ、
もう陸上をやめようと思い、陸上部の先生に打ち明けに行った。その先生は予想に反し、
怒ることなく、「3年間自分の教えている生徒を走らせられなかった自分もつらかったの
だ。」と言ってくれた。その時、人はひとりで生きているのではなく、必ず支えてくれてい
る人がいるのだということを教えられた。そして、いつかその先生の目の前で京都の街
を走る姿を見せるために、陸上を続けようと決心した。先生は私の一生懸命さを売りこん
で、日本体育大学に推薦してくれた。
 大学では1年生の時に実績を残せたが、2年生からは故障して全く走れない状態が続
いた。トライアスロンなども試みてみたが、うまくはいかなかった。そんな折、4年生の母
校での教育実習中に生徒と一緒に記録会に出さされ、全く練習していないにも関わらず、
私の2番目の記録を出して優勝した。そして、今しかできない好きな陸上競技をできると
こまでやってみたいと思うようになった。親もそのことに賛成してくれ、やるからにはとこ
とんやってみなさいと言ってくれた。それから実業団を探し始めたが、実績のない自分を
採ってくれるチームはなかった。そんな中、リクルートが誰でもいいという条件だと聞き、
自分からアタックした。小出監督の面接を受けるために、はるばる岡山から千葉に出向
いた。小出監督は実績がほとんどない自分を、体の素質よりも大事である「やる気」が
あると認めてくれ、入部を許してくれた。

 この話を通して伝えたいことは、みんなに目標を見つけてほしいということである。そし
て、その目標に対し、「自分が何をしたいのか」「自分がどう生きたいのか」を考えてほし
い。チャンスはみんなに対し平等にある。ある人はそのチャンスに対し、必死に手を伸ば
し、ある人はそのチャンスをただ待っているだけである。自分という人間は世界に一人し
かいない。だからこそ自分の大切さを感じてほしい。死んでしまうと何も出来ない。生きて
いること自体が幸せであり、一瞬一瞬を必死に生きていくことが、人に対して自分ができ
る最高のことである。無駄にした分は必ずあとから自分に返ってくる。みんなに負けない
ように、今日の経験もこれからの自分に活かしていきたい。みなさんも体に気をつけて必
死にがんばってほしい。

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