★★★★★ ラカーユの星雲星団
18世紀フランスの天文学者、Nicolas Louis de
Lacaille (1713-1762)は、1751年に南アフリカのケープタウンに行き、1年間観測して南天の恒星カタログを作ったが、42個の星雲星団もリストした。
■ラカイユの恒星カタログに含まれる南天の星雲
Lacaille's "Catalog of Nebulae of the Southern Sky"
ラカイユは、14個ずつ3回にわけて星雲星団のカタログを出している。Lac
I: 星雲 、Lac II: 星雲のような星団 、Lac III:
星雲のような星の集まりである。が、彼の分類は本当の姿の違っているものがあるが、とても小さい0.5インチ屈折(1.3cm)で観測していたので、無理もないだろう。
Lacaille D NGC Name
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Lac I.1 * 104 球状星団
Lac I.2 * 2070 タランチュラ星雲
Lac I.3 * 2477 とも座の散開星団
Lac I.4 * 4833 はえ座の球状星団
Lac I.5 5139 オメガ星団
Lac I.6 * 5236 M83銀河
Lac I.7 * 5281 ケンタウルス座の散開星団
Lac I.8 * 6124 さそり座の散開星団
Lac I.9 6121 M4球状星団(さそり座)
Lac I.10 * 6242 さそり座の散開星団
Lac I.11 * 6634 いて座
Lac I.12 6656 M22球状星団(いて座)
Lac I.13 6777 くじゃく座
Lac I.14 * 6809 M55球状星団(いて座)
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Lac II.1 とけい座の12個のアステリズム(04:03.7
-44:27)
Lac II.2 とも座のアステリズム(07:26.3 -34:08)Cr140星団か。
Lac II.3 * 2516 りゅうこつ座の散開星団
Lac II.4 * 2546 とも座の散開星団
Lac II.5 IC2391 ほ座の散開星団
Lac II.6 ほ座(08:46.6 -42:34) Tr10星団か。
Lac II.7 * 3228 ほ座の散開星団
Lac II.8 * 3293 りゅうこつ座の散開星団
Lac II.9 *IC2602 りゅうこつ座の散開星団
Lac II.10 * 3532 りゅうこつ座の散開星団
Lac II.11 ケンタウルス座(11:23.0 -58:19)のアステリズム 8星
Lac II.12 * 4755 みなみじゅうじ座の散開星団
Lac II.13 6231 さそり座の散開星団
Lac II.14 6475 M7
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Lac III.1 がか座(05:03.3 -49:29)の7等の恒星HD32806
Lac III.2 * 2547 ほ座の散開星団
Lac III.3 ほ座IC2395か(08:42.2 -48:04)
Lac III.4 *IC2488 ほ座の散開星団
Lac III.5 りゅうこつ座(10.43.0 -60:01)のCr228か
Lac III.6 * 3372 イータカリーナ
Lac III.7 * 3766 ケンタウルス座の散開星団
Lac III.8 * 5662 ケンタウルス座の散開星団
Lac III.9 コンパス座(15:22.6 -59:12)のアステリズム 3星
Lac III.10 * 6025 みなみのかんむり座の散開星団
Lac III.11 * 6397 さいだん座の球状星団
Lac III.12 6405 M6
Lac III.13 6523 M8
Lac III.14 インデアン座(21:31.4 -58:35)アステリズム3星
ラカーユは、250年ほど前に活躍したフランスの天文学者です。教会の仕事につきましたが、科学に興味があったので天文学を勉強しました。当時、1メートルの長さを正確に決めるために地球の大きさを測る調査がフランスで行われていて、1739年から2年間観測しました。1751年から南アフリカのケープタウンに滞在して約10000個の星を観測しました。その結果をまとめた星図に新しい14個の星座を作りました。
ラカイユは、1713年3月15日に現在のベルギーとの国境に近いRumigny村で生まれた。10人兄弟だったが、修道女になった3人の姉妹とラカイユ以外は早死にした。父はVendomeの公爵夫人の家族の一員であったが、父が亡くなるとラカイユの生活は貧しくなった。しかし、Bourbon公爵の援助でパリのthe
College de Lisieuxで神学を学ぶことができた。
やがて執事の地位を得たが、自然科学に興味を抱くようになった。パリ天文台でJacques
Cassini (Cassini II) や Jean-Dominique Maraldi (Maraldi II)とともに働き始め、1739年から40年にかけて測地調査に加わった。この調査にはカッシーニの後援で採用され、フランスにおける子午線の長さを測る一環として、1739年にNantesからBayonneを調査した。測量は2年かかった困難なものであったが、成功にはラカイユの勤勉さと技術によるところが大きい。
ラカイユは、1741年にパリの王立アカデミーに入った。Mazarin大学で教えるようになり、小さな天文台を与えられた。良い観測器具を探し始めた。観測を計画的にすすめ、定期的にアカデミーに報告した。地球の軌道、視差、惑星の軌道、彗星、そして星表。数学、天文学、光学などの教科書も書き、それらは翻訳して外国でも使われた。
アカデミーにいるとき、ラカイユは当時よく知られていなかった南天の星を調べることに興味を持った。1676-1678年にかけてE.ハレーが行った観測だけで詳しい資料がなかったからだ。1750年に喜望峰での観測を志願した。この仕事では月と太陽の視差を決めることや南アフリカにおける子午線の長さの初めての測定、10000個の星の観測しなどが行われた。
ラカイユは1750年10月21日にパリを出発した。そして喜望峰に向かうためにM.Dapres船長のLeGlorieux号にLorientに乗船した。船は11月21日に出発。出発してすぐに船酔いに悩まされ、3週間は続いたとラカイユは書いている。12月はじめにマデイラを通過、1751年1月26日にリオデジャネイロに着いた。そこで1か月滞在する間、ラカイユは地理学的、天文学的な観測をたくさん行った。2月25日に南アフリカに向けて出帆、4月20日に喜望峰に到着した。ラカイユは天文台を作り、1751年8月6日に南天の調査を始めた。
1752年8月はじめまでの約1年間、天の南極から南回帰線の間の9800個の星の位置を測ったが、その中に42個の星雲状天体を表にした。さらに240個の基準となる星や星図を描くために必要な肉眼星1930個の正確な位置を測った。
現在でも使われている14個の星座を含む15個の星座を作り、アルゴ座を4つの星座に分けた。また視差を求めるために月と太陽と金星と火星の位置を多数計測した。
1752年に喜望峰の周囲の探検を行い、さらに1753年3月8日にはLePrusieux号に乗船してインド洋の2つの島を調査に出かけた。モーリシャスとレユニオン島だ。4月にモーリシャスに着き調査した。これらの調査を終え、パリに戻ったのは1754年6月28日であった。
彼が観測した約10000個の南天の星と星雲状天体42個が含まれるカタログ(Coelum
Australe Stelliferum)は、死の翌年、1763年に出版され、そこには新しい14個の星座が設定されていた。星図は
『フラムスチード天球図譜』
にも採録されている。ラカーユが観測した全ての恒星を含む完全なカタログは、19世紀になってからイギリスのフランシス・ベイリーによってなされた。
月面の直径67kmのクレーターと小惑星9135番にラカイユの名前が付けられている。
http://www.delphes.net/messier/xtra/Bios/lacaille.html
http://www.delphes.net/messier/xtra/history/lacaille.html