癒しのこころ

 

このページをごらんの方、「癒し」って、何でしょう・・・?

 心には「明るい心」・「楽しい心」・「嬉しい心」・「悲しい心」・「憎む心」・「怒りを秘めた心」等など、いろんな心が

 あります。 プラス思考、マイナス思考なんて言葉がよく聴かれますが、実際はどうでしょうか?

 人によって心の感じ方は様々で、同じ思いは1つとして無いように思います。

 同じ心でないからこそ、自分とは違う心に惹かれもしますし、逆に同じ心を探し安心したりもします。

 だから、その方によって「癒され方」は心と同じに様々であり、1つも同じ物は無いようです。

 貴方は、自分の「癒し」を見つけられますか?

 

私の癒しにとって大切なこと

私が今まで思った「大切なこと」はすごく沢山あります。

<健康>
私は日頃すごく元気なつもりでいるんですが、病気で3回も入院した経験があります。
やった病気自体は、人に話すのもお恥ずかしいようなつまらない病気だったりします(命に別状はありませんし)が、それなりに病人ゆえの不自由さと言うものは経験いたしました。おかげでご病気されている方の苦しさの一端は感じ取ったのではないかと思っています。
病気と言うものは、「体」だけでなく「心」も共に侵されていくように思います。(ホント、健康って素晴らしい!!)
だから、同じように「心」が病むと「体」も病んでいく、「心」と「体」は1人の人の中に共に共存しています。
「病気」をしたとしたら、治療しなければいけないのはどちらか一方でなく、共に癒すことが必要なのだと、私は感じました。
身近な人の「心の病」を見て、少しだけ知ってみたくて勉強もしてみました。
病は先入観でなく、理解と思いやりを持たずに接することはできませんよね。
でも、「心の病」は暗くて深くて・・・まさに「闇」という言葉が当てはまるのです。
命がけでないと、私に人は救えない。そんな思いでした。

<言葉>
「言葉」はコミュニケーションの1つですが、私はすっごく大切なものだと思っています。
私自身「言葉」の足りなさから、誤解を招くことも多々ありますし、「言葉を操る」などは大変難しいことだと感じています。
人を幸せにすることもできますし、「言葉」1つで人を殺すこともできる、そんな力が「言葉」にはあります。
使い方を間違えれば、「言葉」は実際の刃物なんかよりよっぽどの「凶器」にも成り得るのですよ。
「言葉」は「光透波」。
私自身もそうですが、現代人は「光透波」を乱用しすぎている、そんな気がするのですが・・・皆さんはいかがですか?
できればもっと大切に「言葉」を使うことができたなら、本当の「癒し」を生むことがてきるのではないでしょうか?

<あきらめない>
もちろん何事にも「限界」はあるのですが・・・「ただあきらめる」のと「精一杯やって満足してあきらめる」のは後悔度が違いますよね?
自分がやり抜きたいことは言い訳せずに頑張る。でなきゃ、とっととあきらめる。
ただ、「あきらめ」たらその時点で終わってしまうから、後悔するのがいやなら頑張るしかない。
でも、頑張りすぎると「心」は悲鳴をあげるので・・・時にサボる。それくらいなら丁度いいかな。へへ。

さあ、うるさく書きましたがこの先は・・・それぞれに続きのページを設けます。
ここまでで十分過ぎるという、しんどい方は「ご苦労様でした」です。はい。

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