姫路・蒲田アルプス
                             2025年01月26日(日)

英賀保駅4m 10:31―10:51本徳寺西山廟所 9m―11:02山崎山配水池
57m―11:08 山崎山P86―11:28夢前トンネルの上(昼食)77m
11:56―P81―12:16苫編山△156.6m 12:21―13:03井ノ口山P157
13:15-―13:42籾取山△200.1 m 13:51―高岡山―14:05鬢櫛山P186
14:07―14:21 下山路分岐111m―14:33 下山口15m ―
14:41JR播磨高岡(解散)


英賀保駅のホームに22名集まった。
北口に出たいので、跨線橋を
渡ったが工事中で閉鎖になっていた。
現在、改札口は南口にしかなく、
西側の跨線人道橋を登って
北側に出た。
そこで自己紹介を行って22名
集まったことを確認した。

山手に見える墓地は本徳寺西山廟
で蒲田アルプスの取りつきは、
お墓の中の石段を登らなければ
ならない。


本徳寺西山廟は亀山本徳寺
(山電亀山駅の東側にある)のお墓。
かっては英賀本徳寺と言い、
播磨一向宗の拠点であった。

天正8年(1580)羽柴秀吉の
英賀攻めのあと、秀吉の命で
亀山の現在地に移転させられ、
のち西本願寺派になる。


ちなみに東本願寺に属する本徳寺は
真宗大谷派姫路船場別院本徳寺である。

石段が続き最後の108段の石段を
登ると「山崎山登山口」の
道標があり
ここから山道に入る。
急な道でロープを頼りに
登っていくと、山崎配水池の
大きなタンクの前にでる。

次のピークが山崎山(大鷹山)で、
南に展望が広らけ、広畑の町並み
から海まで見える。


山崎山の案内板によると、
「山崎構居跡 (英賀保)」
英賀三木城の一族 山崎惣右衛門の
守るところであったが天正八年(1580)
羽柴秀吉は英賀攻略にあたって 
弟・秀長を遣り山崎山に
陣を敷かせた。
この時、惣右衛門は武勇を
尽くすも大勢に囲まれ討死
したとされる。
この時 圧倒的な軍勢で
短期間に 攻め立てたの
であろう。

ここには城跡らしきものが
残っておらず
「長さ十四間 横六間 陣小屋を掛」
とある。
山崎山(大鷹山)の山頂には
「城之台」の石碑があるのみ。

ソーラ発電の大きなパネル
を過ぎて、冷たい風が吹く
雑木林の中を行くと、
夢前トンネルの上当たりで
昼食になった。
展望は効かないが斜面に
陣取ると風よけになった。

昼食も済んで元気に歩くと、
大きな岩の上に出た。
そこから飾磨の発電所や
工業地帯がみわたせる。


つぎのピークを目指して
急坂を登ると苫編(とまみ)山
である。


苫編山の山頂には三等三角点がある。
(点名苫編 165.63m)
山頂からは東側に展望が開け、
姫路の街並みの真ん中に姫路城の
白い姿が見えた。






鉄塔を過ぎると井ノ口山(157m)である。
鉄塔には「→ハート岩 50m」
表示があるので、ハート岩を
探した。

「ふりかえってハート岩」の
表示もある。
果たしてハートに見えるでしょうか。











ここから西島、男鹿島、家島の
家島諸島から、クラ掛島まで
見渡せた。
クラ掛島は海水浴でよく見た島。

この井ノ口山の真下は
新幹線の西庄トンネルである。
井ノ口城北曲輪の表示がある。


この先は急坂を下りて、鞍部まで
くると喘ぎ登り返す。
登っていくと岩の上に
白い反射板が見えてその後ろに
鉄塔があった。


籾取(もみとり)山の山頂に着いた。
四等三角点(点名籾取200.12m)がある。
また「伏見宮貞愛親王殿採蕨之跡」の石碑がある。
伏見宮貞愛親王は皇族で陸軍軍人。










岩の尾根が続く。
この岩は今から7000万年前の
白亜紀後期にできたもので、
相生層群伊勢累層と呼ばれる
地層である。
主に凝灰岩などの流紋岩質火砕岩
から構成されている。
幸い滑りにくい岩なので助かる。








西側の展望が開け夢前川が
南に流れ、新幹線の架橋が
夢前川を夢前川渡って
西に走っている。

高尾山の山名票を見つけた
が通過した。




見晴らしの良い尾根道を
渡って鬢櫛山(びんぐしやま)
(186m)着いた。


鉄塔の巡視路を下りていく。
下山路が左右に分岐している。
先頭はどんどん下りて行って、
どちらに行ったのかわからない。
左に下りるとうまく合流できた。
金網のフェンスに沿って
鉄の階段を下りると道路に出た。
ここで人数を確認し、
解散になった。

JR播磨高岡から姫新線で
姫路にむかった。
低山ながらup,downの繰り返し、
露岩の尾根など登りごたえの
ある山だった。




















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