金時山
                             2024年07月27日(土)

公時神社入口685m 8:07−8:16公時神社705m−8:32車道790m−
8:46宿り岩 835m 8:56−9:09Ca883m−段道−9:49分岐Ca1041m
9:51−10:27金時山1210m 11:02−11:21Ca1095m (昼食)11:36
−11:49分岐−12:24宿り岩12:34−12:43車道−13:00駐車場トイレ
695m13:07−13:17金時山荘14:10−14:16仙谷バス停14:26=
14:39強羅14:53=15:32箱根湯本15:35=15:48小田原18:07=
(ひかり653)=20:12京都

午後から雷雨の予報。天気が心配。
箱根仙石原の金時山荘の朝食は8:00から。
特別にお願いして7:30からにしてもらう。
国道132号線を西に歩けば
公時神社入口になる。


金時公園公衆トイレは人気アニメ
「エヴァンゲリオン」の世界観を
デザインしたもので、
斬新さにびっくりした。



公時神社の社務所横の湧き水は
冷たくて気持ちがよい。
ニワトリの鳴き声がする。
神社には多くのウコッケイ(烏骨鶏)
が放し飼いにされている。




公時神社の本殿は赤い3つの
鳥居の奥にあるが、手前で
拝礼して登る。

坂田公時の石碑には源頼光の
四天王として大江山の酒呑童子を
討伐したと書かれている。

登って行くと奥の院の入口の
標識がある。
奥の院には、金太郎が
手鞠代わりに遊んだという伝説が残る
「金時手鞠石」や、巨石が
祀られているそうだが、パスする。

車道を横切る。
県道731号線「はこね金太郎ライン」である。


高い杉並木の道を登って行く。
高い木が多いので涼しく、
石の多い登山道は横木が
入れられ歩きやすいように
整備されている。

見上げれば野生のヤマユリ、
大きくてみごとに咲いている。




カサブランカの交配親とか。
そしてヤマユリは神奈川県の
県花だそうだ。

タマアジサイはまだ白い球の
ツボミをつけている。
ホタルブクロ、オカトラノオ、
トリガタハンショウズル、
ハコネギク? 



前に大きな岩が現れた。
この岩は真ん中で二つに裂けて
向こうが見える。


見上げると岩の上に
ヤマユリが咲いている。
これが「金時宿り石」だそうだ。
後から登ってきた人が岩のまわり
を調べている。
猛毒のカエンダケがあるそうだ。

岩を過ぎると道は西向き
になり、やや平坦。

「水切りの溝をふさがないように」
と道を整備している人からの
メッセイジがある。


標高880mぐらいまで来ると
山頂を目指して急な登りになるが、
よく整備されて階段になって登りやすい。
標高1040mで矢倉沢峠を経由して
登ってくる道と合流する。


尾根道から西側が開け
大涌谷の噴気がみえる。












やっと頂上である。
外国の人達もいて大勢の
ハイカ―でにぎわっている。
マサカリをかついで、金時山の
山名標柱の前で記念撮影。
背景に富士山があるはずだが、
残念ながら富士山は雲のなか。

見下ろすと、なだらかに広がった
広大な仙石原の先に小さな
芦ノ湖が見える。

約3千年前後期中央火口丘の
一つである神山(大涌谷の南の山)の
噴火で山体崩壊をおこし、大量の
土砂が神山岩屑なだれとなって
仙石原に流れ込んだ。

芦ノ湖はカルデラ内にあった
大きな湖に土砂が流れ込むと
同時に、早川をせき止めた結果
できた湖であるという。
芦ノ湖には観光船が浮かんでいる。


山頂には2つの茶屋と有料トイレがある。
金時茶屋(金時娘の茶屋)に入って、
掻き氷を買って外のベンチで
食べてほっとした。

案内板によると金時茶屋は、
新田次郎の小説「強力伝(ごうりきでん)」の
主人公・小宮正作の娘さんが営んでいる
名物店である。



 昭和16年、富士山測候所で
新田ら気象庁職員をサポート
していた小宮は、風景指示盤と
なる55貫(200kg)の石材を、
標高2,932mの白馬岳山頂まで
二度も担いで登った。

人間業では考えられない偉業は、
富士山ボッカ(強力)の名誉と
足柄山の金太郎のように人並外れた
力の再現を自分に言い聞かせ、
決死の覚悟でやり遂げた。
その無理が祟ったのか昭和20年
2月42歳の若さで死んだ。



金時茶屋の前に猪鼻神社がある。
ある日、金太郎は大岩を
落としてしまった。
この音にあわて驚き、
岩に当たって死んでしまった
大猪の花を金太郎はねんごろに
とむらったのである。

金時山を別名猪鼻山という。
山の形も猪の鼻に似ている
と言われる。

なぜこのような形になったのか。
金時山はカルデラの外側を囲む
外輪山の一つで35〜27万年前に
活動した玄武岩質の成層火山。
カルデラ形成前と後では
山体が大きく異なる。
カルデラ形成時に山体崩壊に
よって南側が崩壊しまったために、
現在の姿になった。
火山の中心にある火道は崩れた
南側にあったと考えられている。



この先は長尾山を越えて乙女峠
をまわって金時山荘に帰る予定
だったが、長尾山の方向は
みるみる内に雲に覆われ、
雨に合いそうなので、来た道を
降りることになった。





昼食は下山途中で済ませた。
何とか雨にあわず、金時山荘に
駆け込み温泉につかって
ほっとした。
金時山荘を出てバス停仙谷に
向かう途中、雨にあった。


戻る