朝倉氏遺跡・天子山・小鹿山
                             2024年04月11日(木)

ホテルにN氏に迎えに来てもらった。
銀行に併設されたコンビニに立ち寄り、
昼食を確保した。

足羽川沿いの満開の桜並木を
見ながら、県道18号線鯖江美山線を
南下して一乗谷朝倉氏遺跡に着いた。


鯉が泳ぐ堀を渡ると唐門が構えている。
唐門は江戸時代に朝倉義景の菩提を
弔うために建てられたものとか。

門を入ると見事な淡墨桜が満開で
出迎えてくれた。
樹高 12m 幹周り3.3m。


館跡の東南の隅には朝倉義景墓
があった。
1576年(天正4年)に村民が建てた
小祠の場所に、1663年(寛文3年)、
福井藩主松平光通が墓塔を建立した。

朝倉館跡庭園は朝倉家当主が
居住した館で、しゃがんでガラスの
床をのぞき込むと礎石が見える。
常御殿を中心に17の建物があったそうだ。


庭園の奥の階段を上がると、
南陽寺跡に出て、そこに見事な
シダレザクラが咲いている。
室町幕府15代目将軍・足利義昭を
迎え、ここ南陽寺で境内の美しい
糸桜(シダレザクラ)を眺めながら
酒宴・歌会が催したそうだ。
「もろ共に 月も忘るな 糸桜
年の緒長き 契と思はゝ」の歌が
残っている。


ショウジョウバカマ、タチツボスミレ等の
野草の花が残る土手を登る。
小高い丘から朝倉館跡が
一望できる。
桜が点在してのどかな
春の景色である。

保護用の建物(鞘堂)に囲まれた
英林塚に出た。
一乗谷初代 朝倉孝景(敏景)の墓と
伝えられる。
法名から英林孝景と呼ばれる。

下って行くと中の御殿跡の広場。
義景の母、高徳院の居館が
あったと言われ、屋敷の礎石や
池跡が残っている。

山麓を削りだして造成されたもので、
土塁に囲まれ、山側には
2mの空濠もある。

「湯殿庭園跡」は戦国時代の気風を漂わせる、
荒々しく勇壮な石組みが特徴。
湯殿がお風呂なのかは不明だそうだ。
いつ頃、誰が建て、誰が住み、
当時はどのようなたたずまいだった
のかは全くわかっていないとのこと。

1968年(昭和43年)に常御殿の
南側中庭で花壇の遺構が発見された。
日本最古の花壇の遺構。

朝倉遺跡をあとにして、天子山(あまごやま)
に向かう国道158号線を東に走り、
三万谷トンネル、小和清水奈良瀬トンネルを
抜ける。

越前大野城が見えたところで
「斜石」を左折、大野市街地の
北西部の最も奥の集落である
大野市大矢戸に着いた。



道幅の広い林道が防鹿柵で閉鎖
されているのでここに駐車する。

電気柵をはずしてしばらく歩くと
天子山登山口である。
見上げると紫色のモクレンの
花があり、かがんで
みればネコノメソウ。

登山の目安の合目の案内板、
行人岩の由来の案内板がある。
谷川沿いの緩やかな植林帯の
斜面を登っていくと林道に出て
さらに登ると一気に視界が開け、
サクラが咲いている休憩所の
広場に出た。



新しそうな小屋には「お休山小屋」
と書かれてあった。

ミヤマカタバミ、ニリンソウ、ミノコバイモ
をみてカタクリの花にであった。
エンレイソウも大きな葉のなかに
小さな花をつけている。
シロバナヤマルリソウ。

さらに登るとイチリンソウ、白い
キクザキイチゲがあった。
ツクシが頭を出し、黄色いヤマブキの
花もある。
キケンマ、薄紫色のキクザキイチゲが
増えてきた。





5合目の壊れた小屋の横を通り過ぎた。
カタクリの花が元気。
6合目通過、急斜面をジグザグに登って、
下を見ると山間の田園がひろがっている。
岩が多くなり荒れてきた登山道を、ロープを
もって登って行くと大岩その先に行人岩がある。
行人岩は帰りに見ることにして
先に進む。
展望台に到着。
頂上はどこだろうと探す。
どんどん行くと藪になり、
途中で引き返す。
すると展望台のすぐそばに、天子山の
山票が木の枝に括りつけてあった。
天子山572m。

完全に見落としていた。


雨乞い山(あまごいやま)とも
呼ばれていたとか。
展望台で昼食。
景色は最高。
大野の田園風景が一望できる。
遠くに真っ白な白山、
正面に荒島岳がかまえていて、
その麓まで昨年開通した中部縦貫
自動車道が続く。


鮮やかな褐色に黒い斑点のチョウが
飛んできた。
なかなか止まってくれないので
うまく撮れなかった
これはタテハチョウで色が武具の
紅の紐に似ているのでヒオドシチョウ
(緋縅蝶)と呼ばれる。


来た道を下る。
登りで気づかなかったキンキマネザクラが
咲いている。
シュンランは花がない。
シロハナルリソウ。

行人岩は禅宗の僧がここで
修行に励んだ所。
屋根のようにせり出した
高さ11m幅15mの大岩のなかに、
大吹雪でも雪が奥まで
入らない岩屋があり、座禅岩がある。
岩に刻まれた経文や線刻画が
たくさん見られる。


多くの修行僧が修行にきたそうだが、
尼僧も100日の行をしたとのこと。
行者が昼夜を問わず打ち鳴らしたという
鐘が再現されており、鳴らすことが
できる。

無事下山、車で勝山駅前に着く。
100台以上停められる無料駐車場
である。

「バンビライン」と書かれた金網の
フェンスの上に日蓮上人の石仏が立っている。
フェンスの間が登山口になっていて
登山届のポールもある。



「スミレサイシン」の標識があり、
そのとおりにスミレサイシンが
咲いている。
花の名前が教えてもらえる親切な標識
で助かる。

急坂を登り始める。
「ハクサンハタザオ」、
広い草原の扇状の谷を横切るように登る。
「アズマイチゲ」「ミチノクエンゴグサ」は
標識だけで花は見当たらない。
「キザキイチゲ」は菊に似た花を
1輪つけている。

「エノキ」「ミノコバイモ」、
大きな樹木の「ホウノキ」。
この辺りはカタクリの群生地だ
と言われているが、花は少ない。
鹿に食べられたのか。
2年草ぐらいのものは多くある。
尾根に近づくとやっとカタクリの
花にであった。


横木の階段も崩壊しかかった急坂を
上り詰めると第一展望台に着いた。293m。
ここから勝山の町が一望できる。

加越国境の山々は100万年前の
火山でできた。
河川が削って土砂が堆積してできた平野が
勝山平原である。



ここで引き返し下山した。
福井駅で解散した。

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