西の鯖街道 石山〜名田庄坂本
2023年11月11日(日)
ホテル8:28=(タクシー)=8:35石山バス停8:45−8:48浄土寺―8:52通り堂―
8:59高架橋下―9:56小山トンネル−10:18廃村キリケア−10:54加茂神社
−12:06坂本バス停14:31=(バス)=15:06小浜15:29=(JR敦賀行)=
16:33敦賀16:42=(サンダーバード)=17:39京都
ホテル ルートイン大飯高浜に予約したタクシーが来た。
県道16号線を南下、佐分利大橋を渡り、
石山バス停付近でタクシーを降りる。
雨が降って寒いので、民家の軒先を借りて、
カッパを着る。

浄土寺を過ぎて、西方禅寺に
着くとそこに「通り堂」がある。
「通り堂」は通り抜けができるお堂で
門のようなもの。
石山城主武藤氏の関所だったそうだが、
当時あった「通り堂」の場所が
交通の障害になるため向きを変えて
西方寺の横に移築したそうだ。
県道16号線に入り、若狭自動車道の
高架下を抜けると大きな
ループに入る。
その東側の山に石山城址がある。
石山城址は佐分利川流域の
一帯を支配した武藤氏の居城。
若狭守護武田氏の家臣だった
武藤氏は、織田信長の命で
明智光秀、丹羽長秀に攻略され、
城は破却されたとされる。
発掘調査では礎石のほかに、
染付椀(わん)や青磁椀などの
土器片が出土した。
一般的な山城とは違い、戦時に
こもるだけでなく、常に生活していた
可能性が高いことも分かって
きたそうだ。
西の鯖街道の標識が要所に立てられて
いて、県道から旧道に抜けられるように
なっている。
旧道には滑り止めの溝が刻まれて、
難所だったことが分かる。
また通行止めになっている
ところもある。
県道の方も大々的な幅員拡張工事が
おこなわれている。
展望の開けたところから見ると
晩秋の景色が広がる。
うまくショートカットして、
予定より早く「石山トンネル」に着いた。
県道はゆるい下りになり、人家は無くなる。

「おおい町 名田庄切明 福井県道16号線」
の標識が現れた。
切明(キリアケ) は、坂本川上流の
大滝集落と石山坂峠の間にある廃村である。
昭和48年度の集落整備事業により2戸が
坂本へ移転したという。
道路沿いに移住し、祠があるだけで、
目立ったものはない。
坂本川沿いに歩いて、奥坂本大滝にある
加茂神社に着いた。

道路から下におりると立派な
石の鳥居があり、鳥居をくぐり
拝殿に着く。
大きなイチョウの木
からたくさんの銀杏が落ちて
散らばっている。
奥の石段を登ると本殿がある。
祭神は別雷神。
創建は康正二年(1456)。
里人らが、この地を開拓するに当り、
加茂別雷神に祈ったところ、
清浄な白滝の源に神があらわれたので
、
今の境内に社として祀つるに至ったと
言われている。
雨がしとしと降る中、県道を歩くと、
「つつじの里」と書かれた木製の標識が
要所に立っているが、「蛇頭」という
標識があった。
坂本川にかかる橋はじゃとう橋に
なっている。
「蛇頭」には昔話が伝わって
いるそうだ。
むかしこの村に大きな沼があり、
大蛇(だいじゃ)が住んでいた。
あるとき武士が来て、この大蛇を
退治した。
村の人は喜んだが、たたりを恐れて、
小さなほこらを立て、大蛇の頭を祭った。
故にそこを蛇頭(じゃとう)という。
今もお宮のそばの地蔵堂に大蛇の頭が
祭ってある。
この武士は、虫野に館(やかた)
を建てて、そこに住んでもらった。
その跡を今も殿様屋敷という。
屋敷の近くには矢竹がいっぱい
はえている。
沼は、今は水田になっているが、
腰までつかるほどの
深田である。(名田庄村の歴史)
「つつじの里」の標識に「小谷」と
書かれている地点で、県道から別れ
坂本川の「小谷橋」をわたり
西岸を歩く。
料理屋門野から国道162号線に
でると、すぐ坂本バス停である。
本日の歩きはこれまで、
バス停の小屋で長らく待つことになった。