喫茶店【ドン】
  
高松転勤をきっかけにそれまで趣味らしいものが何もなかった私は、
将棋を趣味にしよう、目標初段!
と思い立った。将棋は小学生の頃からルールは知っているもののたまにNHKの放送を見 るぐらいで趣味といえるほどのものではなかった。かつて、一度だけ関西将棋会館道場へ 行った事があり、その時、数局指して「今後は3級で指してください。」と言われそのく らいの棋力だったのだろう。
高松なら将棋会所くらいはあるだろうと電話帳を見ると、事務所からそう遠くないところ に讃岐支部と言うのが有ったので早速電話して行くことにした。 喫茶店横の階段に讃岐支部の看板が掛かっていた。階段を上がりかけたがチョット不安も あり喫茶店でコーヒーを飲んでいこうと思い直す。入ってみると数組が将棋を・・・? そう、この喫茶店が讃岐支部だった。(かつては2階でやっていたらしい。)すぐにここ の常連になった。

しかし、平手はおろか駒落ちでもぼろぼろ、あまりの弱さに自分でもあきれるくらいだっ た。で、
駒落ち対策:佐藤庄平7段の駒落ちシリーズ(2枚落ちと飛香落ちは紛失)
対振り飛車:大内8段の「57銀左戦法」(一度紛失、再度古本屋で入手)
居飛車対策:沢田?「横歩取りは生きている」(紛失)

この3冊を順次購入。こうして初段を目指してガンバることにした。


  喫茶店【ドン】の仕組み
  
ここは、他の将棋クラブと違い段級を使わない。県代表になれば四段と認めるのみで免状 の段位は飾りとしか思っていない?この4段をランク1として順位をつけていき
ランク1差−下手先手又は香落ち
ランク2差−角落ち
ランク3差−飛車落ち
ランク4差−飛香落ち
ランク5差−2枚落ち
ぐらいの感じだった。マスターの気分によりリーグ戦が行われることがある。 上位組、下位組それぞれでのリーグ戦、ランクにより手合いを決める駒落ちリーグ戦等々。 一番思い出に残っているのは、ある年の年末に行われたトーナメント戦。
このトーナメント戦は帰省していた小林健二八段、ここの有力メンバーもほとんど参加するとい う豪華なものとなった。私の初戦はなんと小林八段、手合いは三枚落ち!2枚落ちの2歩突っ切 りのつもりで指していったがなんと、45歩を突き遅れ上手から44歩と止められてしまう。 この後、何度かチャンスはあったものの完敗!緊張から指が震えるってのを初体験。初戦敗者の み復活戦参加の権利によりその後、順調に勝ち進みベスト4へ。ここで事件発生。 準決勝が始まって直後、ママさんが、「電話だよ。」と私に・・・。ママさんの顔色が変わって いたので電話に出ると、愛妻からで、なんと、泣き声で・・・。結局この局は序盤からぼろぼろ で勝負にならず。3位決定戦は不戦負けで帰宅。愛妻の泣いた原因?とんでもない事件でした。 嫁姑って永遠のライバルなのね。


  喫茶店【ドン】の人々 (昭和60年頃だよ)
  
喫茶店【ドン】は、高松市内中心部のアーケード街の東端から路地を少し入ったところに ある。(ただし、もう十数年以上行っていないので「あった」の可能性も・・・。)

支部長:T谷氏
讃岐支部の支部長を務めていた方。当然、県代表として全国大会に何度か行っている。 米長九段と同じ時に同じ大学に入ったのが自慢らしくよく話題にしていた。そのくせ振り 飛車党なんだなぁ。ランク1

長老:T沢氏
最強メンバーのひとり、朝日アマの予選以外は対外戦には出場しなかったかな?
故太田学氏にライバル心を燃やしてたかな、で噂では、西日本支部名人位を獲得したこと があるとか・・・。当然ランク1
この方には二枚落ち、飛車落ちをよく教えていただきました。いつも、10時過ぎには現れ て(競輪のある日は12時頃)みんなが集まるまでは棋譜を並べたりしてた。 へぼ同士で、『あの本にはこれで居飛車良しって書いてあったけどなぁ。』等と言ってい ると、『棋書に書いてあるのは嘘ばっかりや!』と長老は一言。

M武氏
通称:おもじゅう・・由来はしらないけど・・体形的には重(おも)重(じゅう)か?
当時、県下No.1の実力者。この方にも2枚落ちから飛車落ちでお世話になりました。進 学塾の経営者なんだけど、ご本人は受験生時代に受験参考書の代わりに将棋の棋書を読ん でいたっていう面白い方。塾じゃ、どんな授業をしてるんだろう?当然ランク1

T田さん.1
バスの運転手の方。居飛車党になったのはこの方の影響もあるかな?飛車落ちから始まり 特に角落ちは相当数教えていただき、最後は『もう、角じゃ手合い違いだ。』と言ってい ただきました。ランク2

T田さん.2
ライバル!最初は居飛車急戦派の仲間で、山田定跡や棒銀の情報交換をよくしてたのに、 なぜか四間飛車党に転向した裏切り者。ランク5

K石氏
大工の親方、じゃなくて建築会社の社長!棋力はたいしたこと無いんだけど気力は大。 T田さん.1と3人で将棋の後、居酒屋で将棋談義や愚痴のこぼしあいをしました。
ん、将棋仲間と言うよりも飲み仲間か?ランク5〜6

M上氏
この喫茶店の経営者兼マスター。焼きそばと焼きうどんは美味しかったです。私を居飛車 党に導いた張本人。ご本人も居飛車党で、この方の存在がなければ今の私(将棋好きに関 する)は無かったかも。ただ、いつも矢倉でこっぴどく痛めつけられたため、私は矢倉が 嫌いにもなっちゃった。そのおかげか、ひねり飛車好きになりました。ランク2

ママさん
M上氏夫人兼この喫茶店のチャーミングなママさん。
中瀬奈津子(現藤森女流2段)さんが女流アマ名人になったときの決勝の相手だった方。 惜しくも、後一歩で女流アマ名人を逃してしまった。実力的には私とちょぼちょぼか、チョ ット強いかな。ただ、中飛車一本槍でつぼにはまったときは天下無敵。ランク4〜5

スイッチ氏
たぶんここのNo.1(ただし体重で)好調時は、壊れた (スイッチの)スピーカーの様に近所迷惑なほど大声で五月蠅い方。逆に調子が悪いとひ っそりしょんぼり。声の大きさでその日の好不調が判り、その棋力差も角1枚以上有るん じゃないかと思えるほど。ランク5

おまけ:よたんぼA氏
将棋は、まったく指さないが、掃きだめに鶴って感じのここのお嬢さんをかっさらって行 った方。結婚前に、酔っぱらった状態でよく電話を掛けてきてたので、みんなからこんな あだ名を付けられたらしい。
注)(2005.10.01)
よたんぼと思っていたら正しくは、酔いたんぼ → たんぼ が正解だった。掲示板でた んぼ夫人が真相を明らかにしてくださいました。感謝・・・。

追記:(2005.10.01) 喫茶店【ドン】は、マスターご夫妻が引退され、喫茶店は閉店されたそうです。 また、讃岐支部は、当時の支部長の関係者の方が引き継がれているとか。


  喫茶店【ミロンガ】
  
倉吉は鳥取県中央部に位置する地方都市である。この街に関する私の知識は、【藤井竜王応 援ページ】の管理人はるひ嬢の生息地である、というぐら いしかなかった。
ここでの単身赴任生活も数ヶ月が経ち、この町にも少し慣れてきた。ただ、帰宅しない休日 は暇をもてあますことが多い。そんな休日のある日、近くの寿司屋で将棋世界を読みなが ら飲んでいると、この店の親父さんが、『儂も将棋は指さないけど見るのは好きで日曜の NHKはいつも見てる。こんな新聞が有るの知ってる?』と一週間遅れの週間将棋を出して きた。週間将棋は自宅で定期購読をしているので先週読んだやつだった。いろいろ話してい る内に、この近くで将棋好きが集まりよく指している、という店を教えてもらう。それが喫 茶店【ミロンガ】であった。
数日後の、時間の空いた昼休みに昼食を摂りに寄ってみた。昼休み時間だったのか二組ほど 熱戦の最中である。焼きそばを食べながら観戦すると、私と同じか少し弱いくらいか?程度 の棋力だと感じた。
その後の休日、いざ出陣!まず、カレーを頼み観戦しながら、腹ごしらえを。
食後のコーヒーを飲んでいると、マスターが『将棋を指すでしょ、あの人とやってみたら。』 と、ひとり離れて新聞を読んでいた方を指さした。早速お願いすることにした。
『どうぞ』と言われ?と思いながら私の先手で指しだした。戦形は対四間飛車棒銀、序盤に 桂得することが出き、棒銀も何とかさばけて最後はギリギリながらも勝つことが出来た。
観戦していた数人から、『強いなぁ』と言う声があった。続いて、二局目も私の先手。今度 は、対中間飛車に再び棒銀。今度は序盤で一手遅れで中央から叩きつぶされ完敗。久々の生 将棋で疲れたのでここで休憩。私よりちょっと強いなぁという感じだった。この後、他の方 と二局ほど指してこの日は3−1だったかな?
後日、マスターにこの前指した方のことを伺うと、
『あんた強いなぁ、加登脇さんに勝つのはあんまり居てないよ。』
『そんなに強い人なの?』
『今新聞に棋譜が載ってるよ。』
新聞(地方紙)の将棋欄を見ると、鳥取県大会準決勝の観戦記があり、対局者が加登脇氏! ありゃ、強かったんだぁ。なんと、2002年度鳥取県支部名人の方だった。この後、何度か教 えていただいたが、倉吉を離れる少し前に一度勝てただけで、ほとんどぼろ負け!当たり前 か。
休日になると6組あるテーブル席で10局くらい対局が行われている。マスターは観ている だけで全く指さない。名々が適当に対局者を変えて指している。大半が中飛車戦。中には、 相中飛車の強烈なやつもたびたび・・・。はじめの頃は、遠慮や戸惑いがあったが、実力が ばれてしまうと、多くの人たちと指すことが出来た。
常連の中にはチャーリーさんという英語塾の経営者も居て、青い目の方との対局も初経験し た。彼も当然中飛車党で攻め100%!いつものように居飛車でゆっくり行くと強烈な攻め を食らってしまう。ただ、受けは苦手なようで、相振り飛車にすると勝手が違うのか実力が 出せないようであった。
この店は朝5時頃から開いているそうだが、夕方5時(6時だったかも?)すぎには閉店し てしまう。
2001年夏から2002年2月まで約半年間お世話になりました。ありがとうです。またそちらに 行く機会がありましたら宜しくお願いします。ついでに、ねぇマスター、

『開店時間を少し遅らして、もう少し遅くまで開けてい てよ!』

注:寿司屋の親父、喫茶店のマスターの話し言葉はすべて 強烈な倉吉弁です。

   藤井猛竜王応援ページ

棋士応援HPの草分け。このHPの登場により、以後たくさんの棋士応援ページが出来た。 藤井九段が竜王位失冠後は、 と改題されたが、2002春から現在まで休止状態となっている。将棋関係のHPでは他の追随 を許さず、3年(?)ほどで30万ヒットを軽く越えていたはず。
管理者は当時、鳥取県中部地区No1進学校に在籍中の可愛い女子高生で、将棋、囲碁共に 全国大会出場という輝かしい経歴を合わせ持つ。県予選の棋譜が地元新聞の将棋欄に観戦記 付きで連載されたこともあるらしい。


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