2022年10月23日(日)第1回「P-manカップ」を
 丹波自然運動公園にて初めて開催しました。
 TEAM P-man主催で、初めての手作り大会。
 試行錯誤の中での大会運営ではありましたが、
 選手参加延べ人数98名・スタッフ15名と
 非常に沢山のランナーさんに参加して頂き
 大成功で大会を開催することが出来ました。
 
 中には反省点もありましたが、その点は次回
 第2回大会に生かしたいと思います。
 第2回は2023年9月開催予定です。
 次回も沢山の方の参加をお待ちしています!!
 
 
 夢の舞台 大倉副会長(札幌)編
 
 ここまで色々ありましたが、素晴らしい機会を頂いた京都陸協、南丹市陸協、職場、家族には感謝いたします。
 何の実績もない私が、審判としてオリンピックの舞台に立てた事は奇跡でした。ダメもとで応募して奇跡的に
選考して頂き、無事にNTO(ナショナル・テクニカル・オフィシャル)試験に合格し、実地研修として2019年9月15日
マラソン代表選考会(MGC)に参加させて頂いた。
 そこから、暑さを理由にマラソン・競歩会場が札幌に移転。新型コロナウイルスの感染拡大による大会1年延期等
色々な事が起きました。コロナとの生活も1年経ったが、それでも収束の見えない中、札幌でのテスト大会(北海道
札幌マラソンフェスティバル2021)にも審判で参加し、テストを行った。
 自宅においては、連日届くメールチェック、オンラインミーティング等で情報共有が図られた。そんな中で辞退者も
出てこられ、配置変更でマーシャルへ移動となりました。正直、マーシャルの「マ」の字も知らないのに・・・

 そうして数々のハードルを乗り越えオリンピックが開幕。開幕すれば日本人選手のメダルラッシュに沸き、大会
中盤からはいよいよ陸上競技も開幕しました。競技開幕から少し遅れ、ロード担当の私は8月ようやく札幌入り。

 札幌到着後は、大通公園に行き現地視察。各国の国旗が立ち並ぶ中、ゴールゲート、選手控室等々確認し興奮しました。
IDカード、ユニホームなども受け取り、いよいよと身が引き締まりました。

 翌日マーシャルチームの皆さんと初対面。マーシャルの仕事はスタート、ゴールエリア付近のなんでも屋さんといった感じ。
ウォームアップエリアの設置、管理。リタイア者、搬送者の誘導。ゴールエリアで選手受け入れ。ゴールテープ持ち。等色々です。
ゴールテープ持ちは女性の方が担当され、少し残念(笑)

 8月4日には競歩のリハーサルが行われた。コースを規制し、地元大学生にコースを歩いてもらいテストを行う訳ですが、学生
にとっても貴重な体験だったと思う。各審判員とも競歩の審判経験は少なかったのですが、緊張感を持って本番想定の経験を
出来て非常に良かった。空き時間にもミーティングを重ね、翌日の競技に備えました。

 宿泊先のホテルについては、札幌すすきののど真ん中にありましたが、個室で外出禁止。食事も部屋で弁当を食べるという
感染対策の生活を送ることになります。

 競技は8月5日16:30男子20㎞競歩。翌6日5:30男子50㎞競歩、16:30女子20㎞競歩と、まずは競歩からスタートします。
スタート時間が5:30であるという事は…審判の集合時間は深夜2:00(笑)挨拶が「おはようございます」なのが面白かった。

 競歩では、日本人選手2名のメダル獲得、入賞とあり、非常にやりがいもあった。しかし暑さ対策として会場を札幌へ移した
ものの、稀にみる猛暑続きで、選手にとっては過酷なレースだったと思う。競歩ではアップエリアの設置、管理に始まり、
スタート前の会場管理。スタート後はメディカルカーで運ばれてくる選手の対応、ゴールエリア付近の管理を任されました。
メディカルカーで運ばれてきた選手は3レース中で1名だけだったが、それはもう壮絶なものだった。また目の前で失格を言い
渡された選手の対応は、選手の無念さも伝わり非常に緊張しました。
 競歩選手の歩きも間近で見る事が出来たが、想像を超えるスピードで歩いていた。1㎞を4分前後で歩くのだから、普通の
人が走るより十分に速い。マラソンだと3時間を切るスピードで歩いているのだから普通ではない。オリンピアンのすごさを
目の当たりにしました。

 そうして競歩が終わり、女子マラソンを翌日に控えた夕方のミーティングで、女子マラソンのスタート時間が1時間早まると
決定…そんな急な変更を、ましてオリンピックでする事になるとは夢にも思わなかった。すでにレースに備え休んでいる選手
もいる中で、これから知らせに回るというから驚きでしかなかった。

 8月7日、この日も結局2:00集合で女子マラソン。時間変更になったものマニュアルを1時間繰り上げ対応。審判員、組織
委員会、ボランティアの皆さんのおもてなし精神が存分に発揮され無事にレースが進行した。マラソンでもスタート、ゴール
エリアの対応を行ったが、バッハ会長、橋本会長等、重鎮の方々が来られ、その対応はさすがにドキドキした。橋本会長に
直接声を掛けて頂いた事は非常に嬉しかった。

 8月8日、この日は3:00集合で男子マラソン。こちらは定刻にスタートすることになる。ようやく、幾分涼しい空気になった。
男女マラソンともアップエリアの管理。リタイア者の対応。ゴールエリアの対応。等色々な役割を担った。コースの特性上
ゴールエリアを2回通過する為、ゴールエリアではリタイア者も多かったし、運び込まれてくる選手も非常に多く忙しかった。
ゴール時は選手への水渡し役。笑顔で飛び込んでくる選手、満身創痍で辿り着く選手様々で、修羅場であったが、この場所
での任務であった事が非常にラッキーであった。沢山の選手に一声かけて水を手渡したが、もっと英語を話せたらと思った。
正直誰に渡したのか覚えていないが、キプチョゲ選手に渡すときは興奮した!一山選手、大迫選手は、非常に満足そうな
表情だった。服部選手のゴールは壮絶で、一番に駆け寄った写真をスポーツ新聞に撮られていて、後でびっくりした。 

 連日夜中2:00集合とかきつい日もあったけれど、普段の夜勤に比べたら好きなことをしているのだから全く辛くなかった。
すごく充実の1週間を経験させてもらった。何度も英語が話せたらと思った。そして日本の常識は、海外の人には全く
通じないと思った。

 今回ご一緒したマーシャルチームのメンバーは最高な方々でした。皆さん普段はマーシャルなどやったことのない方が
多かったが、コミュニケーションを図る中で、気付いたことはどんどん実行できた。それが出来る人が分かって配置されて
いるようにさえ思えた。また事務方スタッフの方も大変だったと思う。組織委員会への批判をよく目にしたり聞いたりしたが
現場の方々は本当に大変だったと思う。審判員が帰った後もまだ残り、審判員が2:00に集合した時にはすでに会場に
おられたが、あの人たちはいったいいつ寝ていたのだろうか…

 今回経験したことを伝承し、各地のスポーツ振興の役に立ててくださいと言われた。当然の事だと思うが、今私に何が
出来るのか分からない。とにかく人の役に立てる事はやっていこうと思う。

 残念ながら、諸事情でパラリンピックに行くことが出来ず残念だったが、この経験は一生の宝物にしていきたいと思う。
 
 夢の舞台 内藤会長(東京)編

2021年、延期されていたオリンピック・パラリンピックがついに実施されることになりました。私は陸上競技の
跳躍種目(走高跳、棒高跳、走幅跳、三段跳)の審判として参加することになり、意気揚々と東京へ向けて出発した
のです。しかし、本当は内心不安だらけで複雑な心境でした。失敗しないだろうか。英会話は通じるのだろうか。
「京都の内藤審判員、世紀の大誤審。世界記録が公認されません」とか



 7月29日、いよいよ陸上競技の開幕です。タイマー係、粘土板係、砂場係、副審等の役割を主任が割り振りされ
色々な経験をさせてもらいました。特に走幅跳、三段跳のタイマー係は緊張しました。タイマー係とは選手の試技
時間を計るのですがそれと同時に試技中の風力も測定しなければいけないのです。日本では風力は別の審判員が計測
する二人体制が普通ですが、オリパラでは一人で、それもスマホより一回り大きい位の機械に操作ボタンがいくつか
付いていて、それを押し間違えると大変なことになるのです。さらに、残り時間が15秒になると黄旗を挙げる作業も
入ってくるので、冷静な操作が要求されます。それ以外の係は結構気楽で競技を見て楽しむ余裕もありました。
何とかミスなく大会を終えることができ、今はホッとしています。

 競技以外のことでは、宿舎となるホテルは国立競技場の道を挟んだ目の前にあることでした。審判の役割により
ホテルは分散され、跳躍チーム、投擲チーム、その他主任級の審判は私と同じ三井ガーデンホテルですが、それ以外の
審判は新宿方面の3つのホテルに分散されていました。部屋もセミダブルのベッドが2つあるツインの部屋を一人で
使います。一泊5万円也。

朝はバイキング形式の朝食が5時から準備されていますが、その分国立競技場集合が6時半とか結構早かったです。
一番苦労したのが昼食と夕食でした。競技場内の審判控室に大きな冷蔵陳列ケースがあり、そこに準備されたものを
食べるのですが、2週間サンドイッチ、野菜サラダ、カットフルーツ、ヨーグルト、ショートケーキ、飲み物
(コカ・コーラかアクエリアス、いろはすのどれか)で毎回変わるのが、サンドイッチの種類と、野菜サラダの
ドレッシングとフルーツの種類。審判員も選手と同じで勝手に街中をウロウロできないのです。そのため、時々ホテル
の自動販売機でカップ麺やおにぎりを買って食べました。もちろん、アルコール類の自動販売機もあるので、一日の
終わりには毎日一人で反省会をしました。夕食はホテルに持ち帰り食べるのですが競技が終わるのが夜の10時で、
そこから表彰等があると競技場内に入れず、後片付けや次の日の準備を済ませてホテルに帰ると11時を過ぎることが
ほとんどでした。それから寂しい夕食が始まるのです。

 
 長いようで今思えば短かった2週間。無事帰宅しましたが疲れが全然取れないままに2週間が過ぎ、パラリンピック
に参加する為また東京に向かいました。パラリンピックでは投てき(砲丸投、円盤投、やり投等)の審判が少ないため
両方の審判をする事になりました。投てきの審判をするのは人生初。その人生初の審判がパラリンピックとは驚きです。


 もう一つ食事の改善がありました。4日に1回、昼食か夕食のメニューが塩おにぎり2個とおかず(焼肉やハンバーグ
唐揚げ、鶏南蛮等のうち1個どれになるかわからない)になりました。これにカップ麺とビールを添えると最高の食事と
なるのでした!

 そして、最終日はマラソンの審判です。前日に国立競技場の片づけを終えて寝たのが1時。翌朝というか2時には起き
ホテルで朝飯を受け取りバス移動するのです。担当は20キロ地点の給水で、選手が来るまでに少し時間があるので、
路地裏でホテルでもらった朝食をありがたくいただきました。選手が来ると緊張して睡魔は消えましたが、それまでは
立ちながら寝ている感じで、何度もガクッと膝が砕けていました。パラリンピックでは跳躍と投てき、そしてマラソンと
貴重な経験をすることができました。帰宅後、いろいろな方から「お疲れさま」と言われると必ず「はい!疲れました!」
と言うのが口癖になってしまいました。


 オリパラに行く前には、読売新聞の取材を受けて、写真入りで大きく掲載していただき、オリパラでは審判する姿を
多くの方にテレビで見てもらい、11月には関西テレビの「よーい ドン!」という番組の「隣の人間国宝さん」にも
認定して頂きました。千代川の街を歩いているといろんな方から、時には見知らぬ方からも「テレビ見ましたよ。」
「おめでとうございます。」の声をかけられることもたびたびあり、有名人になった気分でした。
夢のような舞台を経験したことは私の一生の宝物となりました。

 
 2021年1月9日、新年の初練習を行いました。
 亀岡市内の9ヶ所の神社へ行き、初詣ランを行い
 コロナが収束し、平穏な日々が来ることを願ってきました。
 
 
 コロナ禍の中で・・・
 新型コロナウイルスが流行する中で、各大会、競技会が中止、延期となっており、チームとしての活動も行い難い状況が
 続いています。そんな中でも皆が工夫して、感染拡大に注意をしながら出来る事を取り組んでいます。
 山へ行く人、海へ行く人、ソーシャルディスタンスを保ちながら、出来る事を楽しんでいます。その一部をご紹介します。
    
   
 
  TOKYO2020オリンピック・パラリンピックへの道 大倉副会長編②

2020オリンピック・パラリンピック審判に向けての実地研修
 マラソングランドチャンピオンシップ(以下MGC)に行ってきました。

 それまでに、ウエアの調査があったり、日本陸連からMGCの派遣依頼が届いたり、
 そして8月には日本陸連から正式にTOKYO2020オリンピック競技大会陸上競技会のNTO委嘱内定通知が届いたりして
 ますますオリンピック熱が盛り上がります。
 しかし最後に一言、「正式委嘱後でも研修の結果で取り消しになる場合があります」と書かれており、実地研修も決して
 油断は出来ません。

 MGCは9月15日に開催され、担当は20km地点での飲食物供給所の副主任(パーソナルドリンク担当)となりました。
 まずはその飲食物供給所担当の会議が、9月9日(月)18:30から新宿で行われるとの事。平日、夕方、そして台風直撃の日。
 欠席で内定取り消しなんて事になっては困る…とりあえず仕事の段取りはつけたものの、台風直撃で交通機関は大混乱。
 行けるのか?行けないのか?心配でしたが、新幹線が途中何度も停車しながらも、どうにか東京に到着し、会議に出席する
 事が出来ました。

 会議では、最初で最後になるかもしれない大会。次回のオリンピックで同じようなマラソン代表選考会をするか分からない。
 連日テレビでも取り上げられ注目度が非常に高い。テレビでよく見る国内のマラソン大会とは違い、オリンピック仕様の準備
 大会運営がなされており、会場内も独特の緊張感がありました。同じ給水所担当の方達とも顔合わせをして、5日後の再開を
 約束しまして、最終の新幹線に飛び乗りました。
 MGCでは、前日夕方からも打ち合わせがありましたので、午前中には東京に着き、自分の担当する20km地点の下見、
 オリンピックで実際に使用される競歩コースや、皇居周辺等をジョギングして過ごし、会議に出席しました。
 選手と同じように、審判員にも緊張感が漂います。
    

迎えた大会当日は、早朝5:30に集合し、最終ミーティングの後現地へ移動。6:30頃、担当の20km地点に到着しますが、
 すでに沿道には応援の方々が場所取りをしておられ、盛り上がりを感じます。特に20km地点「日本橋」交差点は、10km
 20km地点、そして終盤に差し掛かる28km付近が交差しランナーが3回通過する応援ポイントでもあり、観衆も一際多かった
 ように思います。

 現地に着き、事前打ち合わせ通り、オリンピック仕様での給水所準備。普段見掛けるマラソン大会と異なる点として、
 給水所は道路の右側に設置。給水テーブルの設置位置も細かく指示されています。給水には不純物が混入されないように
 ペットボトルの水、スポーツドリンクを準備。今回はペットボトルの封を一度開けて閉じるようにしましたが、オリンピック
 では開封もしないそうです。また今回採用されたのが、かち割り氷。これはなかなか選手にも好評だったようです。

 そうして準備をしてる間に、男子8:50、女子9:10にスタート。男子30名、女子9名だけのために、東京の大通りを封鎖しての
 マラソンが始まりました。約30分後には10km地点を通過していく男子選手がやってきます。その頃には沿道は大観衆が詰め
 かけておられるが、コース上は静寂。そしてしばらくするとヘリコプターの音が聞こえてきて、次第に歓声の波が押し寄せて
 きました。日本橋の交差点を先頭の設楽選手が独走で曲がってくると、一気に大歓声が沸き起こり、こちらまで身震いする感動
 を覚えました。しばらくした後、後続集団。また女子の先頭集団が通過していくのを横目にし、戻ってくる20km給水所の任務
 に専念します。

 それから30分後、折り返してきた先頭の設楽選手が戻ってきて、また大声援が沸き起こります。しかし今度は感動している場合
 ではない。ランナー目線に立つと、給水所に気付き難い点があったので、皆が無事に給水出来るのか。トラブルは起きないか
 集中して監察も行いますが、ドキドキ感がすごかったです。独走の設楽選手は問題なく通過。後を追う後続は大きく離されて
 いましたが、あとの選手も無事に給水しながら走って行ってくれました。

 続いて女子の選手も戻ってきました。前田選手、鈴木選手を先頭に、皆が給水をしていきますが、女子選手は道路の左側
 (歩道側)を走る選手が多く、疲れてきている選手も増えてきて、給水所が右にある事を伝えて、気付いてもらう事がなかなか
 大変でした。一人、給水所に気付くのが遅れて取り損ねて走って行ってしまったのが残念でした。

 担当したのは、男子の通過から、女子の最後尾まで40分程の間でしたが、これまでない緊張感の中で任務を全うし、同じ給水所
 の審判員、ボランティアの方々と協力し、無事に終えた感動を分かち合い、また来年お会い出来たら頑張りましょうと言いながら
 担当部署を離れました。

 そして最後に最終ミーティング。出発時にトラブルがありスタートが数分遅れたそうですが、海外ではよくある事。
 むしろ日本が正確なのだと思います。そういったトラブルにも柔軟に対応し、オリンピックに備えたいとの事で、無事にMGC
 を終え、夢のようなひと時が終わりました。

 そして帰宅すると宿題が届いています。大会のレポートを提出せよとの事。びっしり書いて無事に実地研修は終了となりました。
 このようなチャンスを頂いた関係各位の皆様、本当にありがとうございました。今後の財産として活かしていきたいと思います。

そして数日後、振って沸いたような、「マラソン、競歩札幌移転問題」が出てきた訳です。
 正直、「何の事や?」という感じで、話が飛び出した翌日には、札幌で決定!など色々なニュースが飛び交っていました。
 色々な方に「札幌行くの?」と聞かれますが、返事のしようがないので困りました。とにかく待つしかありません。
 そうこうして、この原稿を書いている間、札幌で開催、日程がきまり、ようやくマラソンコースが決定し、運営本部も発足
 したそうです。そして、パラリンピックのマラソンは東京で開催も決まったようです。

 今後の私の任務としては、札幌に行く事は決定しているようですが、東京に行くのか、どうか…
 東京オリンピック、東京の熱気を肌で感じる事は難しいのかもしれませんが、与えられた場所で、与えられた任務を全う
 できるように備えていきたいと思います。

 
TOKYO2020オリンピック・パラリンピックへの道 内藤会長編③
 6月1・2日に大阪で開催される日本パラ陸上、6月27~30日に福岡で開催される日本選手権が私の今年度の研修に決定。
 6月、昨年セイコーゴールデングランプリで来た長居陸上競技場に再びやってきた。パラ陸上の審判は初めてで
 京都からの参加は私一人でもあり大いに不安があった。しかし二日間の審判は無事終了し、初めての事だらけで大変勉強になった。
 6月26日、いよいよ日本陸上競技選手権大会の審判で博多入りした。大学の頃に補助員として何度も経験した日本選手権。
 今度は審判員として参加でき非常に光栄に思えると同時に、絶対失敗は許されないという思いが交錯し、複雑な心境で翌27日会場に
 向かった。去年のセイコーゴールデングランプリでは、跳躍主任が大学の同級生だったが、今回はなんと跳躍の審判長が大学の同級生で
 同じ短距離パートで一緒に練習した人物だった。
 初日はサポート班で何かトラブルが起きた時に対応する班であったが、砂場ならしの大学生が来れないという事で
 急遽男子三段跳の砂場ならしをすることとなった。
 もう一人砂場ならしの審判がいた。鹿児島から来られた大村先生で走幅跳・三段跳が専門である。私より1歳年下で、高校時代は2年生で
 走幅跳びインターハイチャンピオン。3年生の時は、走幅跳2連覇し、三段跳も優勝の2冠達成。その後筑波大学時代は、日本選手権も
 制している日本のトップ選手である。
 現在は鹿児島で大学の教授をされている凄い方と砂場ならしを一緒にしたが、彼の口から過去の自慢話や砂場ならしに対する不平不満は
 全くなく、ただ黙々と砂場を整地される姿は、この大会で一番感動した。
 二日目は女子走幅跳の副審、三日目はサポート班だったが、何もなく見学。
 最終日は雨の中、午前中は女子三段跳の呼び出し係。午後からは男子走幅跳のタイマー係で橋岡選手ら日本のトップ選手の跳躍を
 まさに目の前で見る事が出来た。しかし、お昼のお弁当を食べたのは午後5時過ぎだった。雨や汗でべとべとの体のまま、着替えも出来ず
 最終の新幹線に飛び乗った。あっという間の4日間の大会を思い出しながら、無事に帰宅した。
     
 
 
  またまた ビッグニュース!!!
2020東京オリンピック・パラリンピックにTEAM P-manから2人目の出場者誕生!
大倉直也副会長が、難関で狭き門の選考過程を突破され、
陸上競技のロード競技審判として参加される事が内定しました。
連載記事でお届けします。
 
TOKYO2020オリンピック・パラリンピックへの道 大倉副会長編①
  東京オリンピック、パラリンピック開催が決定し、ぼんやりと「ボランティア行きたいなあ、審判行きたいなあ」
  と思っていたある日の陸協懇親会の席で、「オリンピックの審判ってどうしたら行けるんですかね?」と尋ねた所
  1964年の東京オリンピックには京都からたった5名の審判だけが派遣された話を聞きました。
  非常に狭き門で「私には無理だ…」と思い、あっさりと諦めていました。

   そんな矢先、南丹市陸協審判部長であった内藤さんがオリンピック、パラリンピックの審判に行かれる事が決定した。
  非常に近い存在の方がオリンピックへ行かれる事が決まり、嬉しくもあり、羨ましく思っていました。
  それでもまだ夢のまた夢だった…

  2月末に何気なく京都陸協のホームページを見ていると、
  TOKYO2020競技役員研修会「マラソン・競歩NTO資格所得研修会(追加募集)」
  とゆう案内が目に飛び込んできました。各陸協男女各1名のみとの事で、これまた狭き門。
  しかし「これを逃すとチャンスはない!」と思い、思い切って京都陸協の長屋審判部長に申し込みをお願いしました。
  他にも申し込みをされている方があるとの事だったが、申し込み用紙に諸々記入して連絡を待った。

 そして約半月後、京都陸協理事会で慎重に審査され、研修会への参加通知連絡があり大きなチャンスを頂きました!

 ここで一つ問題が。「審判に参加するには、マラソン・競歩の全てに参加可能であることが必須。
  また道路競技の任に当たらない日には、他の任務を行う事もある。」と記載がある。
  という事は、陸上競技の開催期間中は、仕事を休まなければいけない。
  40歳代、働き盛りの身としてはなかなか高いハードル。
  試験に合格すれば、オリンピック・パラリンピックに行けるかもしれない、一生に一度のお願いと職場に相談しました。
  返事はOK!快く承諾してもらう事が出来て感謝です。

 研修会は、平成最後の2日間4月29日・30日。東京の味の素・ナショナルトレーニングセンターで行われるとの事。
  研修会まで1ヶ月半程。審判に参加するためにはNTOの資格を取得しなければなりません。
  NTOとはナショナル・テクニカル・オフィシャル。IAAF(国際陸上競技連盟)が定める国内レベルの技術委員の略です。
  研修2日目には試験があるとの事で、そこから2019年度版陸上競技ルールブック・審判ハンドブックを購入し、
  猛勉強がスタートしました。英語による問題もあると聞いてビクビクしていましたが、とりあえず空き時間、寝る前の時間には
  ルールブックを開いて目を通し、研修会を迎えました。 

 前日より東京入りし、東京の味の素・ナショナルトレーニングセンターでの研修1日目を迎えました。
  初日は夜7時までみっちりと研修会。「マラソン・競歩NTO資格所得研修会」ではあるが、陸上競技全般、トラック競技、
  フィールド競技、ロード競技、多岐にわたる内容の講義が行われ、全ての事に精通してこそのNTOだという事を実感。
  夜7時までの研修ですが、好きな事をしている研修でもあり、あっという間の研修でした。

 翌日は朝9時から試験を行うとの事で、宿に戻り夕食を済ませた後は最後の勉強。
  大人になり、これだけ集中して勉強したのは久しぶりでした。

 そうして迎えた試験。試験は2時間。試験前に試験官が、わかる問題からやったほうがいいですよとアドバイスがあった。
  試験問題を開いてまず目に飛び込んできたのは、来ました!英語問題…
  試験にはルールブックを持ち込んでも可ではあったのですが、ここでかなりの時間を要してしまいました。
  問題は陸上競技全般に関するもの。トラック競技(長距離)をしてきた私にとっては、フィールド競技の問題はなかなか難しい。
  結局、問題の数が多く最後の1問手を付けられずに残して時間切れ…正直まずいと思いましたが仕方ない。 

 そうして、2日間のオリンピック・パラリンピックに向けた東京での研修はあっという間に終わったのですが、
  「帰宅される頃にはメールで宿題が届いています。これも点数が付きます。1週間以内に提出して下さい。」との事で、
  帰宅しても油断できません…  

 帰宅後、届いたメールを確認すると、4問の宿題が届いていました。これがまた難しい。
  普通ではなかなか起きないであろう選手の動きに対して、あなたならどうする?といった感じの問題。
  色々と時間を掛けて調べて、宿題を提出しました。 

 そこからは、日本陸連からの返事待ち。
  しかしこの資格試験に合格したからといって、オリンピックの審判に内定したわけではないと言われます。

 そうしていつか、いつかと首を長くして待ち、5月23日ようやくメールが届きました。その結果、
  『総合判定 「合格」NTO認定』と、合格メールが届きました。

  そしてまた一週間後には、『東京2020NTO内定者各位』といった題名で案内メールが届き、
  ついにオリンピック・パラリンピックへの参加が、夢から現実のものとなってきました。

  今後の予定としていくつかの実地研修が予定されています。
  私がまず行く実地研修は、915日に行われるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)です。
  日本トップのマラソン選手の走りを間近で見ながら、しっかりと任務を果たしオリンピック・パラリンピックに
  繋げていきたいと思います。

 
 2019年2月23日
亀岡市スポーツ賞表彰式が行われました。
マスターズ陸上での成績が評価され
TEAM P-manから内藤会長・大倉副会長
小牧さん・農添さんの4名が「生涯スポーツ賞」を
受賞されました。おめでとうございます!

 2019年3月9日
京都府スポーツ賞表彰式が行われました。
全日本マスターズ・国際ゴールドマスターズ陸上での
成績が評価され、TEAM P-manから
小牧さん・大倉副会長の2名が「マスターズ賞」を
受賞されました。おめでとうございます!
  
 
 TOKYO2020オリンピック
 ・パラリンピックへの道 内藤会長編②

 2月末、NTO(ナショナル・テクニカル・オフィシャル)の
 資格試験の合否メールが届いた。
  無事合格!
 その一週間後、内定通知もメールで届いた。
 ついにオリンピックへの参加が現実のものとなった。
 メールには今年度の実技研修の案内も記載されていた。
 5月20日に大阪のヤンマースタジアム長居で実施される
 セイコーゴールデングランプリ陸上2018大阪である。
 担当部署は跳躍審判。
 その日が近づくにつれ不安や緊張感が増してきた。

 大会前日は日本陸連が用意してくれたホテル京阪天満橋に
 宿泊し、5月20日早朝より長居に向かった。
 会場に到着しプログラムを見ると、なんと跳躍審判の主任
 は大学の同級生でよく知っている人物だった。
 無理を言って特定の競技審判に付かずに跳躍種目全般を
 見たいと言ったところ、
 「今日は審判がいっぱいいるしええよ。」
 と返事が返ってきた。
 ラッキー!一流選手のパフォーマンスと各審判員の動きを
 好きなだけ見れる。
 そして、大会は12時前より始まった。
 棒高跳のバーが自動で上がったり、走幅跳の計測が光波
 だったり驚く事がいっぱいだった。
 男子100mでは桐生、山県、ガトリンの一騎打ちも間近
 で見ることができた。
 いろいろ見せてもらって充実した一日となった。


  当日の夜にテレビ放送があり見たが、砲丸投で日本記録が
 出たり、男子走高跳で日本記録に挑戦する場面があったが、
 まったく放送はなく、低レベルの男子走幅跳の映像がなぜか
 やたら多かった気がする。

 2019年3月16日
京丹波町スポーツ賞表彰式が行われました。
マスターズ陸上での成績が評価され
TEAM P-manから内藤会長・大倉副会長
の2名が「スポーツ賞優秀賞」を
受賞されました。おめでとうございます!

 
  2019年1月5日
新年1回目の練習会は、亀岡にある「出雲神社」まで
初詣ランニングでした♪
P-man練習会は、参加メンバーの走力に合わせて
ゆっくりランもしますよ!
お気軽にご参加ください(^o^)

 2019年1月12日
この日の練習会では、亀岡にある「半国山」の
トレイルランに4人で行ってきました!
女子メンバーも頑張りました!!

  
 
 2018年12月15日
TEAM P-man平成最後の忘年会♪
京都駅前 焼肉大将軍にて16名の参加で楽しく行われました。
皆さん、来年もよろしくお願いします! 

 
 
 2018年11月18日
初企画の、P-manツーリング倶楽部
当初の予定は、丹後半島一周。
色々あり、丹後半島先端、経ケ岬で折り返し。
天橋立では和田さんとも合流し5名で楽しいツーリングが出来ました♪
次回企画時には、多くの方の参加をお待ちしています!!
  
 
 
 2018年10月
 書道家 木崎聖二くんの個展が開催されP-manメンバーも駆け付けました。
今回も大成功に終わったようです!
 
  ビッグニュース!!!
2020東京オリンピック・パラリンピックにTEAM P-manから出場者誕生!
内藤竹司会長が、難関で狭き門の選考過程を突破され、
陸上競技の跳躍審判として参加される事が内定しました。
連載記事でお届けします。
 TOKYO2020オリンピック・パラリンピックへの道 内藤会長編①

  2016年12月3日に亀岡の玉川楼で市郡町村陸協代表者会議が開催された。
  その席上で京都陸協長屋審判部長から次のような報告があった。

  日本陸連より2020年の東京オリンピック・パラリンピックに京都陸協から
  5名の審判を派遣してほしいという依頼が来ている。オリンピックとパラリンピック
  両方に参加できることや、おおむね60歳までであることが条件であると。

  会議終了後の懇親会の席で私は長屋部長に
  「推薦お願いします。仕事もやめてオリンピックに専念します。」
  とお酒の勢いもあり言ってしまった。

  その後の京都陸協理事会で慎重に審査され、翌年の1月下旬に競技役員候補の決定通知をいただいた。
  仕事は本当に早期退職し、仕事場の歓送迎会の挨拶では
  「オリンピックを目指すために早期退職することにしました」と言い切った。

   次に、審判に参加するためにはNTOの資格を取得しなければいけなかった。
  NTOとはナショナル・テクニカル・オフィシャル(国内技術委員)の略である。
   
  日本陸連より通知が届いた。2017年11月18日~19日。
  場所は東京の味の素・ナショナルトレーニングセンター。
  基礎試験は日本語で実施します。NTO認定試験は英語による設問が予定されている。
  とのこと。これで終わったと思った。高校のときの英語の評価は悲しいかな「2」。
  まあ当たって砕けろの気持ちで前日より東京入りしNTO資格取得研修会に挑んだ。
  初日はいきなり基礎テスト。陸上競技のルールに関する基礎問題がたくさん出題されたが、
  これは資格取得には関係ないとのことで安心しその後の講習を受ける。
  最終日の試験ではすべてが英語かと思いきや、日本陸連の方が事前に英語の試験をやってみて
  これはできないと判断し、当日は1問だけが英語の問題で、後はすべて日本語の問題だった。


  試験が開始する前に試験官が、わかる問題からやったほうがいいですよとアドバイスがあったが
  几帳面な私は1番から順番に解いていった。しかし、思った以上に問題の数が多く時間切れで
  終了となってしまった。最後に、合否連絡は2月にメールでする、しかしこの資格試験に合格
  したからといってオリンピックの審判に内定したわけではないと、釘を刺された。
  そして運命の2月末にメールが届いた。その結果やいかに。
 
  2018年8月14日
この日は高知からたくさん練習に来られました。
「高知中央高校」の陸上部の生徒さん。
留学生ランナーの軽やかな走りに市民ランナーの私達は惚れ惚れしました。
高知中央高校の皆さんの活躍を期待しています!


※そんな高知中央高校の皆さん、2020年全国高校駅伝に男子チームが初出場されました!
 
 2018年7月14日~15日かけて、毎年恒例の
オートバックス24時間リレーマラソン舞洲大会に出場して来ました。
今年は2チーム+スタッフで参加。
TEAM P-man 6位入賞
P-man FR 15位
いつも協力してくれる常連協力メンバー
今回初参加で協力頂いたご新規メンバー
そして、裏方で支えて下さったスタッフのみんなと一緒に
苦しくも、楽しい、濃い濃い二日間を過ごしました。
皆さんの激走と、スタッフさんの奮闘を写真だけですがお届けします。
 

 

 
 
 2018年4月7日 亀岡記録会&お花見
少し肌寒く、桜も散りかけでしたがかろうじてお花見出来ました!
記録会&審判で参加の皆さんも、お疲れさまでした。
 
 
 2017年12月10日(日)亀岡ハーフマラソンの後には、亀岡市内の焼肉屋「丹波牛一也」で行われました。
マラソン後に、皆さんいっぱい食べて、いっぱい飲んで楽しい時間でした。
来年の抱負をそれぞれ発表し、それぞれの目標に向かって頑張る決意をしました。

証拠写真をアップしたので、来年の忘年会では目標達成を確認をしたいと思います(笑)
     
   
   
   
   
 
 2017年11月3日(金)結成30周年記念事業が行われました。
丹波ロードレースの終了後、南丹市日吉町にある、「ひよしフォレストリゾート」へ場所を移して、
一泊二日でバーベキュー&グランドゴルフでパーティーを行いました。
多くのメンバーに参加して頂き、盛大に盛り上がる事が出来ました。
今回、30周年記念Tシャツも作成しましたよ!
30年続けて来られた諸先輩方に感謝し、さらに40年、50年と続けて行けるよう
今のメンバーで、ますます盛り上げていきたいと思います。 
    
  
     
 
  2017年7月15日~16日かけて、毎年恒例のオートバックス24時間リレーマラソン舞洲大会に
出場して来ました。今年は1チーム18名、そしてスタッフで参加。
序盤は、大学生が奮闘し上位争いをしていましたが徐々に上位3チームから離され、
終盤まで4~5位争いを繰り広げました。最終的には、見事に5位入賞する事が出来ました。
今年から岩月舞洲新監督の下、選手、スタッフが協力し、新しいスタートが切れ、
結果も最高の物となりました。皆さん、お疲れさまでした!
正規メンバー以外の、いつも協力してくれる常連協力メンバーの皆さんそして、
今回沢山参加してくれた大学生メンバーの皆さんもありがとうございました。
また来年もお願いします!皆さんの激走と、スタッフさんの奮闘を写真だけですがお届けします。
 


   
 
 2017年5月5日~7日、書道デザイナー木崎聖二くんが
 大阪で個展&LIVEを開催されました。おめでとうございます。
チームのメンバーも駆け付け、大成功に終わったようです。
 
  2016年3月25日 平成28年度の総会が、  今年も亀岡市役所前の中華料理「広東」にて行われました。
  皆さまのご協力もあり、滞りなく終了しました。
  今回の総会は、参加された方がやや少なく寂しい総会でしたが、総会の後は・・・
いつものようにいっぱい飲んで、食べて大騒ぎ♪  楽しい一夜でした♪ 
  来年度はTEAM P-man設立30周年になります。  皆で大いに盛り上げていきましょう!!!
       
 
 2016年12月17日、忘年会が行われました。
京都駅前の「焼肉処 弘」さんにお世話になりました。
21名もの多くの方が参加され、いっぱい飲んで
食べて騒いで楽しいひと時でした♪
参加された皆さん、お疲れさまでした!来年もよろしくお願いします。
 
 
  2016年7月16日~17日かけて、毎年恒例のオートバックス24時間リレーマラソン舞洲大会に出場して来ました。
今年は2年ぶりの2チーム編成での出場。1チーム18名×2チーム。36名そしてスタッフとで参加。
帝産観光バスも2年ぶりに復活です!
精鋭チームのTEAM P-manは序盤こそ上位争いをしていましたが徐々に上位3チームから離され苦しいレース。
しかし、チーム最高周回更新という目標に向かい懸命に走り4周更新する新記録で見事4位入賞!
P-man FRは、フルメンバーが夜中まで揃わず、序盤は各自が短いインターバルで苦しいチーム事情の中懸命の走り。
見事に14位でゴールする事が出来ました。
スタッフの皆さんも、少人数でたくさんのメンバーのお世話をしてもらい大奮闘。皆さんには本当に感謝です。
正規メンバー以外の、いつも協力してくれる常連協力メンバーの皆さんも本当にありがとうございました。
当日の皆さんの激走と、スタッフさんの奮闘をお届けします。
   
 
 2016年3月26日 平成27年度の総会が亀岡市役所前の中華料理「広東」にて行われました。
皆さんからお金も預かっていますので年に一度のまじめな報告会です。
皆さまのご協力もあり、滞りなく終了しました。
その後はいつものようにいっぱい飲んで、食べて大騒ぎ♪
今宵も楽しい一夜でした♪
 
 
 2016年2月28日 数年ぶりにP-manスノーツアーを開催しました。
暖冬の影響で、関西方面のスキー場はどこも雪不足。
遠路福井県のスキーJAM勝山まで行ってきました。
大人4人、お子様2人の参加!晴天に恵まれて一日楽しく滑ることが出来ました!
 
 
 2015年12月6日 京都亀岡ハーフマラソンの後に、忘年会が亀岡運動公園近くの
「BARRA DE CAFE OCHO」にて行われました。
21名もの多くの方が参加され、いっぱい飲んで大騒ぎした楽しいひと時でした♪
1月31日「大阪国際女子マラソン」に出場するお2人から、抱負のコメントもありました。健闘を祈ります!
 

 
 2015年7月18日~19日かけて毎年恒例のコニカミノルタランナーズ24時間リレーマラソンに出場して来ました。
大会前日、当日、台風11号直撃により、開催が危ぶまれましたが、大会スタッフの方々の懸命の準備により
17時スタートの、19時間リレーマラソンとして開催されました。
例年2チーム編成での参加ですが、今年は1チーム、精鋭チームも、ファンランチームも関係なし。
女性ランナー2名も含め、選手18名スタッフ8名での参加でした。
そんなチーム事情の中、熾烈な7~8位争いを制し、見事TEAM P-man価値ある「7位入賞!」
正規ンバー以外の、常連協力メンバーの皆さん、そしてスタッフの皆さん本当にありがとうございました。
そして、お疲れさまでした。
当日の皆さんの激走と、スタッフさんの奮闘をお届けします。
打ち上げは、日を改めて8月15日に京都タワーホテル屋上ビアガーデンにて行いました。
MCさゆりさんも来られ、大いに盛り上がりました♪♪♪
 
 
 2015年3月21日 平成26年度の総会が並河駅近くの鉄板焼き「千」にて行われました。
皆さんからお金も預かっていますので、年に一度のまじめな報告会です。
その後はいつものようにいっぱい飲んで、食べて大騒ぎ♪今宵も楽しい一夜でした♪
末吉さんから、皆さんに結婚報告がありました。末永くお幸せに~!!!
平成27年度は、少し役員体制が変わりましたが、楽しい活動が出来るように頑張って行きます!
 
 
 2014年12月27日 忘年会が並河駅前の居酒屋「ぱっち」にて行われました。
いっぱい飲んで、食べて大騒ぎ♪楽しい一夜でした♪
中井さんから、皆さんに結婚報告がありました。末永くお幸せに~!!!!

新着情報