米国旅行7


 2.25(水)曇り

出発の朝、家の前で記念撮影



 いよいよLA出立の日。天気予報ではいずれ雨になるという。LAは僕らが帰った翌日からはずっとカリフォルニアらしい良い天気が続いているというから、逆にみると僕らは砂漠地帯に慈雨をもたらしたのだよ。前夜に皆帰り仕度をしていたのでバタバタせずに6時50分出発。しかし出掛けに車庫のシャッターを下ろす時、リアウインドウのワイパーを引っ掛けてシャッター、ワイパーとも動かなくなってしまった。そういえばリモコンのシャッターは滞在中調子が悪かったようで、何回か作井君苦労していた。以前、勤務中に隣人から開いたままになっていると電話があったそうな。何とかシャッターも閉じ7時50分LAX到着。



 作井君はこの日、ラスベガスに日帰り出張で、国内出張の場合、いつもは近くのジョン・ウエイン/オレンジカウンティ空港を利用するのだが、この日はわざわざ僕らのためにLAXからの便をとっていた。空港の名前はジョン・ウエインが近くに住んでいたため付けられたもの。ジョン・ウエインは母が大好きだった俳優で(背の高い人が好きだったみたい)、小さい頃良く西部劇を観に連れて行ってくれたものだった。ところで作井君の便は僕らのより1時間前の出発だった。この夜の帰りは予報通り豪雨になったそうで、壊れたワイパーのままで大変だったことだろう。



 出発3時間前からチェックが開始される。長い列ができるので早めに来た方が良いというわけだ。8時40分に全日空のチケットを受け取る。駐車場に車を置いてきた作井君と合流して2階のラウンジでコーヒーを飲み、9時20分、作井君は手を振りながらエスカレーターを降りて行く。笑った顔が少し引きつり気味。長い間付き合っているんだ。彼の気持ちは良く分かるよ。



 10時10分せキュリティ通過。ズボンのバンドを外すように言われる。革靴も脱がされるのだが、僕はズックなのでOK。もちろん来た時と同じく、装飾品などの身の回り品はバッグに入れておかねばならない。そこを通りぬけ10時25分、13番ゲート到着。ゲートまでの距離が長い。途中売店も多い。最後の買物をする所。ここで石橋さん、何かを探している。滞在中、ずっと新聞販売機で現地の邦字新聞を探していたのだ。向こうでは新聞は売店や販売機で買うことになるのだが、日曜版はものすごく厚く、価格は通常の2倍。結局石橋さん、邦字新聞は見つかったのかな。11時15分搭乗開始。12時5分出発。定刻の30分遅れ。成田で福岡への乗継ぎ時間が定刻で1時間40分しかないので少し心配。



 1時20分に食事。若鶏の中国風甘酢あんかけ、又はサーモンのクリーミー トマトソースに四季の麺とデザート。僕は前者を注文したのだが、スッチーが間違えたよう。食べ始めてからそれに気付いたが、稲垣さんが「代えられるよ」と言うものの、結局
そのまま食べ続ける。代えようとしないのは面倒臭いからか、小心だからなのか、恐らく両方であろう。帰りの便は行きより西風の影響で2時間以上余計にかかる。朝が早かったので結構疲れているが、相変わらず眠られず。やがて日付も変わり、26日午後2時30分軽食。海の幸のクリーミースパゲッティ、パン、フルーツ、サラダ。パンをツマミにウイスキーがおいしい。そうするうち4時40分成田到着。定刻の25分遅れ。福岡への出発時間があまりないため、皆とは慌てて別れる。税関では僕の荷物が少ないため「本当にこれだけ?何処へ行ったのですか」と色々聞かれる。こちらは時間が心配と言うに。海外旅行では大きな荷物を抱えた方が良さそう?。身軽に旅行できたのはずっと作井宅に泊れたおかげである。



 それはともかく、福岡行きに急がねばならない。チェックを済ませリムジンバスに乗ったのが5時35分で出発の20分前。何とか間に合う。しかし成田を飛び立ったのは6時25分で、こちらも30分遅れだった。福岡空港到着8時20分。気温は9度とかなり寒い。我が家到着8時50分。荷物を片付ける気力もなく寝床に入る。



 その夜は早速LAの夢を見る。高速道路を走っているようだ。ただし車に乗っているのではなく、自分の目線で荷物を運びながら貨幣の換算ゲームをやっている。疲れていたせいであろう、ゲームが難しくて苦しかった。その翌日も同じような夢を見た。それだけLAの印象が強烈だったのであろう。



 これにて今回の米国旅行日記はお終い。LAは広いので行けなかった所も多い。サンタモニカ、ロングビーチ、サンディエゴ、パームスプリングス、メジャーリーグetc。でも、それはまたの楽しみにとっておきたいし、作井君も心待ちにしているであろう。同行の皆さん、お疲れさまでした。それに何より作井君、有難うございました。

See you later!


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