2 0 0 6 年
<巻頭言&表紙>
・12月(No333)
11月(No332)
10月(No331) 
9月(No330)
8月(No329)
7月(No328) 
6月(No327)
5月(No326)
4月(No325) 
3月(No324)
2月(No323)
1月(No322)
<巻頭言> 表紙&表紙の言葉
 (12月ぶな:No333)  <巻頭言>

 山に登るときは、いつもカメラを持っていく。しかし一枚も写さないで山から下りてくる日もある。

 四季の一瞬を写真に切り取れたときは、その日のその時でしか見えない美しい山の自然を発見できる。

 写真仲間の友人が興味ある話をしていた。京都や大阪などの大都会で写真を趣味にしている人は多いが、必ずしも人口の多い大都会の地域から、美しい写真が生まれるわけではない.山や自然に恵まれている地域の人が、良い写真を作ることが出来る。

 このように山に登り自然に親しんでいると、健康によいとともに自然の環境を愛する美しい心が育つのも間違いが無いだろう。

 多くの人に山に上るこのような効用を、伝えていきたいものである。

  記:藤田 悦史

棚田晩秋
(蛇谷ケ峰山麓)
高島市畑
西村高行
2006年撮影
 (11月ぶな:No332)  <巻頭言>

 山歩きやハイキングの途中で、野に佇む仏達に出会い思わず手を合わせることがあります。急坂を登り詰めた峠のお地蔵さま、人々を見守る里の仏たち…。

 喜び、悲しみ、嘆きや怒り、微笑みの姿などその表情はさまざまですが、長年の風雨に耐えてふっくらと丸みを帯びた野の仏たちは、豊かな人間性さえ感じさせわたしたちに暫しの癒しの時を与えてくれます。

 そして、虚飾のないその姿から、名もない作者の熱い思いと人々の祈りの心が時を越えて今に伝わり、懸命に生きた昔の人たちの暮らしが甦るのです。

 今、世界中が戦争やテロ 犯罪など不穏な動きの中で揺れ、悲しみに暮れる人たちが少なく、ありませんが、行く先々で草花を手向けられた野の仏たちに出会うとき、祈りの心は今も日々の暮らしの中に生きているのだと、ほっと安堵するのです。

 これから.も表情豊かなやさしいお顔の仏たちに会えることを願いながら、『歩く』を楽しみたいと思います。

 そして、その時代を生きた人々の素朴な祈りの心にも、そっと触れてみたいものだと思っています。

  記:田中みさお

 

秋の河童橋
 (10月ぶな:No331)  <巻頭言>

 我が家で17年半飼っていたマルチーズが8月に亡くなった。さすがに18年近くもー緒にいると色々なことがあった。飼いはじめた当初犬を飼っている家も今の様に多くなかった為「あの家の人はのんきに犬を散歩させている」と影口を叩かれたこともあった。

犬を飼うとなかなか思うようには出掛けられない。仕事はそこそこに切り上げていた。職場の人は言った。「ポーっとしていると取り残されるぞ」「私(あんたみたいに)生活の為に働いていないのよ」老犬になると排泄もところかまわずするようになりオムツをつけたのだが、それでも具合が悪いので三時間毎に外に連れて出た。息子が病気で大変で、と人に仕事を押し付けるオバサンには老犬の世話の大変さが分からないらしい。勝手なことを言う人の口を端から端までセンタクバサミで止めてやりたい衝動に駆られたがワタシは淑女であるのでそれは止めた。ストレスが溜まった。
 そんな時一枚のチラシがポストに入っていた。公開登山の案内だった。
登山を始めることにした。後からそのチラシは近所に住む登山をされている方が入れたものだと知った。その家には犬がいる。それからというもの犬を飼い登山をしている人は自然を愛し動物も愛す心の広い人だと勝手に思い込んでいる。
                        
  記:久保田英理子

 

「雪稜会の集い」
9/23白谷の山荘にて
 (9月ぶな:No330)  <巻頭言>

 滋賀県知事選を契機に「もったいない」という言葉が脚光を浴びている。

インターネット語源由来辞典を引くと、もったいない(勿体無い)とは、もったいないは、和製漢語「勿体(もったい)」を「無し」で否定した語。
勿体が「重々しさ」「威厳さ」などの意味から、もったいないは「妥当でない」「不届きだ」といった意味で用いられていた。
転じて「自分には不相応である」という意味になり、「ありがたい」「粗末に扱われて惜しいい」など、もったいないの持つ意味は広がっていった。
元々は不都合である、かたじけないなどの意味で使用されていたが、現在では一般的に「物の価値を十分に生かしきれておらず無駄になっている」ことに対する批判の意味で使用される。(フリー百科事典「ウィキペディア」

ケニア出身の環境保護活動家であり、ノーベル平和賞受賞者であるワンガリ・マータイがこの言葉を知り、日本人が昔持っていた「もったいない」の考え方こそ、環境問題を考えるにふさわしい精神として感銘したという。

石油文明の恩恵に浸りすぎている我々は、今こそ

知事選を契機に脚光を浴びた、この「もったいない」という言葉を、しっかりと自分たちの生活の中に取り入れ「資渡循環型社会の形成、持続可能な地球を目指さなければ、次世代に顔向けが出来ないことになっていく。

 朽木やマキノの山域を訪れながら「山と人々の暮らし」を峠道を通して私は、学ばせて頂いてきた。一本の沢、一筋の道、一本の木に生きる動植物こ目をやりながら、これからも山を歩き続け、そこに息づく「もったいない」を学んで行きたいと思う。

  記:コマツ明美
 

向かって右奥
天狗の大下り
左へ不帰の嶮
Ⅰ.Ⅱ.Ⅲ峰
八方尾根より
 (8月ぶな:No329)  <巻頭言>

時節柄、怖~い話を一つ。

 私は体調を整える為に時々ジョギングをやります(毎日やればもっと良いのに・・・)。家を飛び出し、お定まりのコースが始まって間もなく、田んぼの脇に手作りの小さな無人スタンドが有ります。色々な野菜類がザルに山盛り状態で、【一盛り百円】との表示があり、左手には料金を入れるBOXが取り付けてあります。
 よくみると玉ねぎやキュウリの更に奥、板壁に文字が見えます。いわく
    <ドロボーはお断り><こゝの商品は提供品では有りません>
    <お金を払って下さい><無銭の方は窃盗として告訴します>
本当に驚いた。 無人と言う事は本来、人の「善」を信じて始まったのでは無かったか???実に悲しい。

 ある日の夕方、偶然にもそのスタンドの持ち主と会うことが出来た。伺うと、ひどい時にほ半分以上もの代金が不足しているとの事。百円のコインが無い程の困窮者が、わぎわざ盗りに来るとは考え難いし又、容れてある代金を箱から抜いて行くとも思えず、最初から代金を入れる気も無いのだろうと言われていた。
この一見のどかに思える(トカイナカ)で何とも情けない!
皆さん、少しは涼しくなって頂けました?

  =S.Yamada=

 

池塘に可憐な
「ヒツジグサ」
尾瀬にて
 (7月ぶな:No328)  <巻頭言>

 真っ白い山 モンブラン
 天に向かって聳える マッターホルン
 岩の殿堂 アイガー

 そして小さな花々が咲き競う草原のその中を何処までも何処までも氷河鉄道に乗って僕が冷えたスイスワインを傾けるとき貴方は芋焼酎のお湯割りを何杯もお代わりしているでしょうね~
      
 60歳を過ぎますと健康の次ぎに、いろんな事よりも時間が一番大切
なものになってきました。

 青春を共にした多くの友人は故郷に帰ったり、膝を痛めて山を止め
たり、仕事を忙しくしているうちに山から遠ざかったり~

 色々な人生がありますが、未だぼちぼち歩いていることに誰にとも
無く感射しております。

 これからも1分1秒の時間を大切にして、しかも焦らず色々な人と
山と係わりながら過ごしていこうかなと思ったりする今日この頃です。
                       
  記:仲西 信男
 

大雪山・旭岳(2290m)
北海道の最高峰
2002年6月30日撮影
定年後、初めて登った
百名山です!
K・M
 (6月ぶな:No327)  <巻頭言> 「トカイナカ」
                             
「トカイナカ」聞き慣れない言葉ですが、今シニアの間でブームになりつつ有るそうです!のどかな田舎暮らしと都会暮らしの便利さも兼ね備えた「生活」・「都会(トカイ)と田舎(イナカ)」をもじった様です!
「トカイナカ」の定義は、都会のターミナル駅から電車やバスなどの公共機関で1時間半以内で到着出来るのが目安だそうです。
 退職後、静かな山村暮らしを希望する中高年が増えていますが、実際には失敗例が多い様です。主な原因は、都市部の生活に馴染んだ主婦の賛同が得られない事です。今のシニア達が少年時代を過ごした故郷は、まだ田舎の面影を多く残していた時代の人達が多く、仕事を離れると又田舎生活に憧れる様です!私の生まれ育った東京も、かっては野原や木々の緑の多い場所が至るところにあり、昆虫採集や魚釣りなどに夢中になり日が暮れるまで外を走り回っていたものです!今でも近場の野山を歩き回れる幸わせを感じます!
 そこで普段の生活圏は四季折々の自然を感じる田舎に居を構え気が向けば何時でも首圏などの都会に足を運べる交通の便の良い場所(田舎・山村)が人気になっている様です。特に都市部に多くの友人達を持つ主婦達は、旧交が保てなくなったり、夫婦二人だけしか会話の相手がいなくなる恐れがない点で四季折々の自然を楽しむ余裕も出てきます!また自分の友人達を田舎に招き共に楽しむ生活も満喫出来、楽しみも多様化してきます!
 かってバブル期に別荘ブームが有りましたが、別荘利用者ばかりでは孤独になり、特に掃除・後かたづけ・買い物など主婦の負担が大変な為、まず主婦が来年くなり自然に足が遠のき、憧れの別荘も廃屋同然になっているのを多く見かけます。定住者の多い場所は、本人達の努力さえあれば交友関係も広がり都市部では味わえない楽しみも増える事が人気の秘密の様です!想えば、我々が住む「湖西地域は、まさに「トカイナカ」そのものではないでしょうか?比良山系と琵琶湖に挟まれた自然の景親に恵まれ、アユが棲む清流や棚田・里山等の山村が近くにあり、今でも近場の野山を歩き回れ自然の懐に住む幸わせを感じます!そして日本の交通の要であり交通の便の良さは一級品です!古都「京都・奈良・滋賀の歴史探訪から、関西の文化都市「大坂・神戸」にも近く、また日本海から太平洋側の海にも行、温泉地も近いという地の利です!
 これからも、この「湖西の自然」を大事に守っていきたいものです!

  記:武藤
 

青森・雷山
ミズナラの林に咲く
カタクリの大群落
 (5月ぶな:No326)  <巻頭言>

 今年は四月に入ってからも肌寒い日が多く、開花の時期が例年と違
ってきているようだ。ふと気がつくとある日突然一面の花をつけてい
る木があったりする。
 春は入試、卒業、入学、入社、人事異動などいろいろな節目が訪れ
る季節だ。そして慣れ親しんだ人々との別れがあり、新しい出会いが
待っていたりする。そんな変化を静かに見守っているのが多彩な花や
木だ。
 予期せぬことが起こった人もいるだろう。期待していたことが起こ
らなかった人もいるだろう。人生はなかなか思ったとおりにはいかな
いものだと思う。だから面白いと感じられるか、それとも失くしたも
のを忘れられず悲嘆にくれるのか。
 物の見方一つで人生が変化して見えるように、美しい花に気づく人
もいれば、一生見過ごしてしまう人もいる。できれば今日見つけた路
傍の小さな花に幸せを見出すことが出来る人になりたいと思う。周囲
の美しい世界が目に入らず、あくせく明日を思い煩う人にはなりたく
ない。

  記:清水憲彦

海津大崎の桜
 (4月ぶな:No325)  <巻頭言>

 先日の、滋賀県勤労者山岳連盟の定期集会で、7年間勤めてきた理事を、西尾さ
んと交代することになりました。
 7年間、主に機関紙部を担当して、県連の動きを皆さんにお知らせしてきました。至らぬ点が多々あったかと思いますが、自分なりに一生懸命頑張ったつもりです。マンネリ牝を防ぐためこ新旧の交代が必要と考え、若手とバトンタッチを致しました。これまでの皆さんのご協力とご支援に感謝しています。
 県連の活動が見えてこないとの声をお聞きしますが、こちらの努力不足のところもあろうかと思いますが。清掃登山・登山祭典・比良縦走・レベルアップの各種の取り組み・一般を対象としたハイキング口座・さらに自然環境保護の取り組み(水質調査・N02の観測・比良スキー場の廃止に伴う現状回復の件)等々あります。皆さんがどれかに何らかの形で参加して頂いています。これが会の活動として捉えられているかもしれませんが。このように盛りたくさんの取り組みを県連ではしています。皆さんの積極的な参加をお願いします。

福寿草(霊仙にて)
  さて、比良の八講も終わり春の訪れとともに野に山に花が咲き出しました。梅もくれん・アセピ、やがて桜も山にもマンサタから始まってタムシバ・シヤクナゲ・福寿草・さまざまの草花が心を癒してくれます。山歩きが楽しみになる季節ですね。健康で山が歩ける幸せを今、しみじみ味わっています。
 昨年の九月初めに野球でハッスルし過ぎて足のかかとを痛め、夏山をすべて諦めぎるを得なくなってユウウツな日々をすごしていました。
 やっと長歩きの山行が出来るまでに回復してきました。怪我をして健康の有難さを知るのですね。現在、体調の悪い人も必ず良くなることを信じて頑張ってください。一緒に楽しい山歩きをしましょう。
  記:やまもと  

みちしるべ
北八ヶ岳にて
やまもと
 (3月ぶな:No324)  <巻頭言> 

 

こんなログハウスに
住みたいな~
かなわぬ夢かな?
山口
 (2月ぶな:No323)  <巻頭言>ボクの中の戦争と平和

 文芸春秋(昨年の9月特別号)に「運命の8月15日56人の証言」が掲載されていた。各界著名人達の記憶集で終戦当時の状況や思いが寄せられていてどれもそれなりに胸を打つものがあり改めて当時の悲惨さが胸に込み上げて来た、私は当時6才でこの方達とは年齢視線が異なるがやはり終戦日前後のことはどうしても忘れられなく胸に刻み込まれている。
 軍需工場に勤める父(そのため兵役にも取られず)は病気の妻(私の母)や6人の子供をかかえて西宮の成尾村(今の阪神甲子園)に住んでいたが終戦のひと月前には周囲は数軒を残して焼け野原の状態であった。
 恐らく父の胸の中にはバラバラと欠けていくより一家全員で全てを終えてもと覚悟があったのか兄や姉誰一人学童疎開にも生かせず昼夜を問わず空襲の中ふとんをかぶって逃げまどう日が続いていた。8月に入り遂に我が家も焼けやっと父のふる里である信州松本へ親類を頼って一家で疎開し2~3人ずつ分散して親戚に預けられた。西宮と違って飛行機の音も焼け跡もなくきれいな小川と青い田んぼが目に残っているほんの一週間ばかりで終戦日を迎えた、親類の大人達が「今日は一歩も外へ出たらダメだ!敵の飛行機が来てやっつけられるぞ!」と言っていたのを思い出す。なぜなのか後年まで判らなかったが終戦と同時に敵も安心してこんな田舎にも偵察調査に来ることを予想したためだろうと思う。
 9月の初めに大阪から父が迎えにやって来て遠い田舎の道を父が焼け跡の柱の切れ端で作って呉れた重たい下駄をはいて暑い中を駅に向かって歩いている時、父より「お母さんが死んじゃったよ」と知らされたが泣かなかったと思うが兄の後を歩きながらさびしい気持ちを必死で堪えていたことを記憶している。
母は33才の若さで6人の子供を残して逝ってしまった。これまで67年間、母の生涯の2倍も生かされて来たがいろんなことがあった中でやはり6才だった私にとっても終戦日前後が強烈な記憶に残っている。
平成4年86才で他界した父の葬儀の時6才で母の死を知らされた私よりも6人の子供を一人でどう育てて行こうかと心細い中で母の死を子供に知らせた父の方がどれ程悲しかったことかと思った。でも今の平和も私の幸せもそんな記憶があるから....と思う。小雪がちらつく昨今であるが新芽が吹き出す山の春はもうそこまで来ているボクはウキウキ
嬉しい。これからもどうかよろしく山へ連れてって!
  記:中西 怜

冬のおたのしみ
山スキーの
季節がやってきました!
昨年行った鑓温泉は、
忘れられません・・・
あ~今年もいきたい・・・
ひじかた
 (1月ぶな:No322)  <巻頭言>  山岳会らしい比良雪稜会に

 比良雪稜会はこの1月で満27年を迎える。会員も60名を越すまでに発展を遂げ、山岳会として堂々と胸を張れるところにまで来た。これも設立以来先輩たちの地道な努力とそれを引き継ぐ私達現会員の活動の結果、仲間が増えてきたのである。この事は決して忘れてはならない。地域に根ざした活動(公開野点山行など)・ふるさとの自然を守り育てる活動(清掃登山や比良山系の飲み水水質調査など)・自然にやさしい登山を心がけるなど一味違う労山らしい山岳会を目指してきたこと、そして全点を繋ぐ会報の全員参加方式、毎月欠かさずの発行が大きいと言える。
 しかし、中身は残念ながら課題が山積みである。リーダー養成・基本的なレベルアップ・教育・遭難対策・救助態勢等々。比良雪稜会は仲良しグループではなく、山岳会である。今年はそれにふさわしい中身の充実に力を注ごうではないか。君子聖人でなければ、全てを世のため人のために奉げることは出来ない。大いに個人の楽しみを追求しながら、何分の1かの時間と労力を会のため、仲間のため、後輩のために使おうではないか。
そしてこの1年が無事故である事を願う。
 私個人のテーマ「比良をもっと知りたい」、即ち「ぶらり比良探訪jの継続充実である。これは「比良」の名を冠し、地元の山岳会である当会にとっても重要且つ必要なことと思う。まだ8回歩いただけであるが、私自身大いに勉強になった。改めて比良の奥深
さ、魅力の多さに驚かされる毎回である。まだまだ知らないことがいっぱいある。ぜひ続けたいと思っている。そしてスキー場跡の自然復元、湿原と共にブナの森が広がることを願いたい。当会としても植樹など出来る範囲で協力したい。

  記:西村高行

薄日射す比良
嘉嶺ケ岳の初冬風景
2005.12.14
西村高行:撮影