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当時(移植直前・直後のころ)の私たち夫婦の考え―― お友達への手紙から

(状況も個々人によって、違いますし、移植を選択されなかった方々もいらっしゃいます。ここに示したものはあくまでも私たち夫婦の考えですので、その点をご理解の上、参考にしてくださればと思います)

先生方の説明を聞いて、死ぬ場合があるとか、不妊になるとか、大変ショックを受けました。でも、病気が進行することが判っているのに何もしないのは、本人が可哀想だと、まず思いました。また、うちのばあい、20歳程で植物状態になるのを待ち、さらにはいずれ死を迎えるということを、何もしないで見続けるのは親としても堪えられないとも感じました。子どもは6歳と10歳ですが、本人が病気に対して、戦う(治す)という気持ちがあるのに、移植しないのは本当に本人の気持ちにたっているのか。一番苦しんでいるのは本人だ。まずは進行をとめてやらねば、と考えました。今は視力がほとんど駄目ですが、さらに聴力も駄目になってくると、コミュニケーションが困難になってくる。さらには知能にまで影響するとどうなるのか? 自分で自分のことが理解できなくなるような事態になるのだろうか‥‥‥。それを本人が体験する時のことを思うと、このままでいいのか、と。

 最悪の場合、移植によって死んでしまったら? 苦しんで死んでしまったらどうする。ということも頭をよぎりました。それは今でもあります。でも、本人が生き方としてどんな生きざまを選ぶだろう? 病気を治すために戦って死ぬことを選ぶのか? 何もしないで病気と仲良く付き合って死ぬというふうには考えにくかったです。「仲良く付き合って」というような病気ではない。やっぱり治したいと本人は思うだろうと考えたのです。移植で死ぬかもしれないけど、何もしないでもいずれ死んでしまう。希望をもった生き方ができるのはどちらだろうと。覚悟はいりましたし、今も覚悟しています。

 でも絶対に治すという気持ちのほうが強いです。駄目だったら、ということよりも、可能性があるならば、挑戦してみよう、希望をもって、という気持ちのほうが大きいです。そのほうが、楽しく生きられるような思いがしています。

 不安にばかり思いをめぐらせると、果てしなく不安は広がっていきます。逆に、希望に思いをめぐらしつづけると、力がわいてくるように思います。

(まあくんの場合、視力が完全に元に戻るということはありえないといわれていますが、私たちは、勝手に、「治す」と決めてかかっています。人間の身体はまだまだ解明されていないことのほうが多いらしい。ならば、「もしかしたら」があるかもしれない、と信じています)

 移植には相当の覚悟がいりました。ですから、これは移植を勧めるものではありません。あくまでも参考にしていただき、ご家族にとって一番良い選択をしてください。

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