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 1994年1月7日誕生。元気にすくすくと育つ。言葉を使いだすのも早くて、1歳半ばで、とてもおしゃべりだった。大きな病気もなく、あちこちに連れて出かけた。「なんで○○は△△なの?」ちょっと変わった所に興味を持って、難しい質問をするので、お母さんは答えるのが難しかった。大きくなるにつれてとてもマイペースな所が出てきた。
 5歳7ヶ月ごろ、ひらがなの勉強をしているとき、画用紙に書いたこぶし大の文字を見せていたら「わかれへん」と言い出した。大体2mぐらい離れていた。当時はまだ文字を覚え始めたばかりで、「見えない」のではなく、「読めない」からわからないと言い出したのだと思って、しつこく教え続けていた。思い返せばすでに見えなかったのだから本人はとても辛かっただろう。
 夏休みの終わりごろ、視線が若干上を向いていることに気づいた。

 「お父さんの眼見てみぃ」
 「見てるで」
 「見てない、ちょっと上見てるで」
 「見てる」
 「ちゃんと目を合わしなさい!」
 「ちゃんと見てるのに……」
 だいぶ注意した。本人の悲しそうな顔を、思いだすたび胸が痛い。

 そのうち、テーブルの上にあるものを手で探るようにして掴むようになった。駅前の眼科に行った。視力検査カード(「C」の記号の描かれたもの)の意味から教えて調べたが、はっきりしない。眼底も見てもらったが異常なしだった。もう少し大きなところで見てもらおうと市民病院に行き、いろいろ検査を重ねた。検査技師の方が前に立って、ぬいぐるみを視界の真ん中あたりに持っていったとき、「身体だけ見える。(ぬいぐるみの)顔は見えない」と言っていたのが気にかかった。上にすると「キテ○ちゃんいない」。今なら、この頃から視野が欠損していたのだと判るのだが、当時は思いもよらなかったし、検査は本人にとって難しかった。また、腕を胸の前でたたんで、手首を曲げることが多かったので気になっていた(当時診てくださった先生も気にしていたが)が、判らなかった。

 何度も検査に通った。MRIの画像を見ても異常なしとの診断。大学病院も紹介していただき、さらに検査。結局、心因性の視覚障害といわれ、カウンセリングを勧められた。幼稚園では作文も先生に聞き書きしてもらった。絵画も、他の子どもたちに比べて充分形が取れておらず、視力低下が進んでいるのが判った。育て方に問題があったとしか考えられず、夫婦でよく口論になった。父親としての接し方が厳しすぎたのではと責任を感じ、卒園式では、花道を迷いながら退場する姿をビデオに撮りながら、周りにいるほかの親たちとは違う意味で泣いていた。

まあくんの状態

@ 発症まで(原因がわからず、心因性の視覚障害と診断されるまで・0〜6歳)

A小学校入学後〜病名確定まで
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