◆ 現存天守12城
7、丸 岡 城 (別名 霞ヶ城)
探訪日 1回目 2013/04/06
丸岡城、桜の名所、公園内400本の”満開の桜と「霞ヶ城」”
私の中のデジカメ紀行「城と桜」に火がついた始りの城です。
丸岡城は戦国時代の1576(天正4年)、織田信長の命により、
柴田勝家が甥の勝豊に築かせた城。
天守は独立式望楼型2重3階 現存の天守では最古の建築様式を持つ、平山城.
・徳川家康の功臣で鬼作左の勇名をとどろかせた本多作左衛門重次が
陣中から妻にあてた手紙文
(一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ)
は用件を簡潔明瞭に伝えた手紙の手本と言われています。
(注 お仙=後の丸岡藩主、本多成重(幼名を仙千代)のこと)
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探訪日 2回目 2018/12/31
平成31年お正月を山中温泉へと、向かう途中の
大晦日に「雪の丸岡城」に立寄りました。
「一筆啓上日本一短い手紙コンクール」
今年度の受賞作品が展示されていました。
1993(平成5年)から始まった、北陸の小さな城下町を一躍有名にした
町おこし事業「一筆啓上日本一短い手紙コンクール」
過去二十年以上にわたる多くの人々の思いが集結して誕生した館。
「一筆啓上日本一短い手紙の資料館」がすぐそばにあります。(資料抜粋)
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荻原一清手拭100名城 越前 丸岡城 |
国指定史跡 丸岡藩砲台跡
丸岡城から車で30分の所にある、幕末の1852(嘉永5年)に丸岡藩が築いた
丸岡藩砲台跡を訪ねました。
国道から看板に誘われて松林を通り抜ければ目の前に砲台跡が・・・
冬の日本海特有の荒波と潮風の中で、歴史の遺跡を想った風景でした。
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