My写真集「城・城趾」  日本の城



宮 城 県
      盛 岡 城 趾

                     
  探訪日   2016(平成28年)/05/01

南部氏の歴史は甲斐(現在の山梨県)南部郷を領した光行にはじまり
1219(承久元年)に源頼朝に糠部5群(青森県南部から岩手県北部)を与えられ入部、
三戸城を本拠として各地に一族を配して統治。

南北朝時代には南朝方に属し、室町時代後期には現在の岩手郡や紫波群を攻略した。

1592(天正18年)豊臣秀吉によって岩手・紫波・稗貫(現在の花巻)
の3群を正式に与えられ九戸政実の居城であった福岡城(九戸城を改称)に本拠を移した

さらに、蒲生氏郷や浅野長政らのすすめによって不来方(こずかた)の地に築城を決意。
これが盛岡城である。

南部氏が福岡城から盛岡城へ移ったのは元和年間(1615-1623)といわれるが、
1598(慶長3年)南部信直によって着手、利直・重直を経た1633(寛永10年)に完成とされる。
以後明治に至るまで盛岡藩主の居城、藩政の中心となる。

1874(明治7年)に城内の建造物は破却され石垣と水堀の一部が現存するのみです。

1937(昭和12年)国指定史跡となり、現在は「盛岡城跡公園」となり
「東北3名城」の名残を今にとどめています。




「史跡 盛岡城趾」正面入口



 
 
 


二の丸と本丸をつなぐ「朱塗りの橋」

 


本丸跡の「銅像の台座」



 





 

  
 






荻原一清手拭100名城 
奥州 盛岡城



「メーデー」準備の作業風景









「盛岡城跡公園」入口
 

 
盛岡城の外側回りの石垣


 

本丸に天守台は築いたが、幕府への配慮から天守は築いていない(諸説あり)
(幕府への配慮=武力の威勢を表す天守を建てることによって幕府に警戒される)


盛岡城跡公園の桜祭り

盛岡城跡は仙台城に続いて、雨でした。
雨に濡れて 散った桜の花びらと 新芽の緑の柔らかさ・・・
お城の石垣の見事さ・・・ さすが「東北三大名城」と感心したことでした。

 ・日本100名城   ・日本桜公園





 

 





 
 





 

 

 
「櫻山神社」・「烏帽子岩」

 
藩祖南部光行公はじめ名君方をご祭神としてお祭りした神社。

「烏帽子岩(兜岩)のいわれ」(櫻山神社御由緒)の説明から、
南部藩盛岡の吉兆のシンボル「「お守り岩」として今日に至る。




櫻山神社と烏帽子岩

 

烏帽子岩御神体









 

櫻山神社




「櫻山神社説明板」 
 

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