管理者の囲碁歴

小学校2年生 父と祖父より手ほどきを受け囲碁を始める
小学校5年生 10級の認定状取得
小学校6年生 少年少女囲碁名人戦滋賀県大会小学生の部4位
7級の認定状取得
中学校1年生 少年少女囲碁名人戦滋賀県大会中学生の部3位、繰り上がりで全国大会初出場
3級の認定状取得
中学校2年生 少年少女囲碁名人戦滋賀県大会中学生の部4位
1級の認定状取得
中学校3年生 少年少女囲碁名人戦滋賀県大会中学生の部3位
初段の認定状取得
高校1年生 高校囲碁選手権戦滋賀県大会男子団体戦優勝、全国大会出場
高校囲碁選手権戦滋賀県大会男子個人戦準優勝、全国大会出場
三段の認定状取得
高校2年生 高校囲碁選手権戦滋賀県大会男子団体戦優勝、全国ベスト8入賞
高校囲碁選手権戦滋賀県大会男子個人戦準優勝、全国大会出場
四段の認定状取得
高校3年生 高校囲碁選手権戦滋賀県大会男子団体戦優勝、全国大会出場
高校囲碁選手権戦滋賀県大会男子個人戦優勝、全国大会出場
大学1年生 全日本大学囲碁選手権に副将として出場、全国7位
大学2年生 中四国学生囲碁名人戦ベスト8
大学3年生 中四国学生囲碁名人戦ベスト4
大学4年生 全日本大学囲碁選手権に主将として出場、全国8位
中四国学生囲碁本因坊戦3位、全国大会出場
中四国学生囲碁名人戦準名人
大学5年生 全日本大学囲碁選手権に主将として出場、全国6位
中四国学生囲碁名人戦準名人
社会人2年目 世界アマ囲碁選手権滋賀県大会ベスト8
社会人3年目 五段の免状取得
社会人4年目 朝日アマ囲碁十傑戦滋賀県大会・彦根地区予選6位入賞
朝日アマ囲碁十傑戦滋賀県大会8位入賞
世界アマ囲碁選手権滋賀県大会ベスト8
社会人5年目 世界アマ囲碁選手権滋賀県大会ベスト8
社会人6年目 朝日アマ囲碁十傑戦滋賀県大会・彦根地区予選10位入賞
六段の免状取得
社会人7年目 世界アマ囲碁選手権滋賀県大会ベスト8
社会人9年目 朝日アマ囲碁名人戦滋賀県大会・彦根地区予選優勝
朝日アマ囲碁名人戦滋賀県大会ベスト8
世界アマ囲碁選手権滋賀県大会ベスト8
社会人11年目 毎日アマ本因坊戦滋賀県大会3位入賞
社会人12年目 朝日アマ囲碁名人戦滋賀県大会で5位入賞
文部科学大臣杯全国高校囲碁選手権大会女子団体戦で彦根東高校が全国ベスト8入賞
社会人14年目 朝日アマ囲碁名人戦滋賀県大会で4位入賞
文部科学大臣杯全国高校囲碁選手権大会女子団体戦で彦根東高校が全国ベスト4入賞
社会人15年目 文部科学大臣杯全国高校囲碁選手権大会女子団体戦で彦根東高校が全国第6位入賞
社会人16年目 文部科学大臣杯全国高校囲碁選手権大会女子団体戦で彦根東高校が全国第5位入賞
社会人17年目 文部科学大臣杯全国高校囲碁選手権大会女子団体戦で彦根東高校が全国第5位入賞
社会人18年目 文部科学大臣杯全国高校囲碁選手権大会女子団体戦で彦根東高校が全国第8位入賞
社会人19年目 文部科学大臣杯全国高校囲碁選手権大会女子団体戦で彦根東高校が全国第6位入賞
社会人20年目 文部科学大臣杯全国高校囲碁選手権大会女子団体戦で彦根東高校が全国第7位入賞
文部科学大臣杯全国高校囲碁選手権大会男子団体戦で彦根東高校が全国第8位入賞

エッセイ(囲碁と私)2007.4
【1】はじめに・・・
私のHP「碁縁に生かされて」にようこそお越しくださいました。

私は現在、滋賀県立彦根東高校で囲碁部の顧問をしている数学と情報の教師です。

囲碁は、小学校2年のときに父親と祖父から手ほどきを受けました。

それ以来、私は囲碁に夢中になり、今では人生をかけた「ライフワーク」となりました。

囲碁のおかげで様々な人との出会いがあり、貴重な経験をさせて頂きました。

囲碁は人生を豊かにしてくれる素晴らしいものです。

そんな囲碁と私の関わりなどを心に思いつくままに書き綴ります。
【2】囲碁との出会い・・・
私が囲碁と出会ったのは8歳の時なので、もうかれこれ22年間も囲碁とお付き合いしていることになります。

小学2年の夏休みのある日、父親から将棋と囲碁を同時に教わりました。

最初は将棋の方にハマったのですが、いつのまにやら、囲碁の持つ不思議な魅力の虜になってしまいました。

途中、一度も辞めることなく、ずっと囲碁を続けていますから、よほど水が合ったのでしょう。

ちなみに将棋の方は・・・今でもルールを知っている程度で、全く強くなれませんでした。

父親に囲碁のルールを教わってからというものの、晩御飯が終わると、父と祖父と私の3人で交互に囲碁を打ち、家族団欒のひと時を過ごすことが我が家の日課となっていきました。

父も祖父も級位者で、それほど強いわけではありませんが、御先祖様も囲碁を打っていたそうで、とても囲碁が好きな家系のようです。(家の蔵には江戸時代からあったと思われる碁経衆妙がありました)

また、お寺のお坊さんは囲碁を嗜む人が多く、お坊さんたちがお寺に寄り集まると、よく囲碁を打ってもらいました。

囲碁を打つ子どもが珍しかったのか、みなさんにずいぶんかわいがってもらいました。

こうして毎日のように囲碁を打っているうちに、1年ほどで父よりも、1年半ほどで祖父よりも強くなってしまいました。

そんなある日、祖父が、雑誌「囲碁クラブ」を買ってくれました。

祖父が買ってきてくれる「囲碁クラブ」を、毎月楽しみながら読み、プロ棋士の棋譜を見て勉強したり、詰め碁を解いたり、更には、懸賞付きの問題に応募したり、日常の様々な囲碁に関する出来事を投稿したり・・・と「囲碁クラブ」を隅々まで愛読しました。

また、「囲碁クラブ」には各種大会の情報が載っているのですが、少年少女囲碁名人戦全国大会小学生の部で、なんと2年生ながら、並みいる高学年の選手たちを破り優勝した記事が載っていました。(ちなみにこの少年が山下敬吾棋聖で、決勝で負けたのが高尾紳路本因坊です。)

世の中には凄い小学生がいるなぁ・・・と感心するとともに、いつか自分もこういった舞台で戦ってみたいなぁ・・・と思いました。
【3】少年少女囲碁名人戦滋賀県大会へ参加・・・
小学校5年生のある日、祖父から朝日新聞の記事の切り抜きを手渡されました。

その記事は、少年少女囲碁名人戦滋賀県予選の要項と出場者募集の案内でした。

祖父から、「ためしに一度、大会に出てみないか?」と誘われました。

自分のまわりに囲碁を打つ小学生はおらず、父と祖父とぐらいしかまともに対局したことがなかったので、自分がどれくらいやれるのかまったく見当が付きませんでしたが、滋賀県にどんな強い子がいるのか知りたくて、出場してみることにしました。

初出場の大会、大変緊張しましたが、なんとか2勝をあげることができました。

しかし、自分より年下の小学3年生のM・Hくんに負けてしまいました。(ちなみに私に勝ったM・Hくんは、後に小学校4年生から中学3年生まで前人未到の県大会6連覇を果たし、私のライバルとして立ちはだかります・・・)

また、優勝した6年生のT・E先輩はとても強く、試合を観戦していましたが、レベルの差を痛感しました。(後にこの大会で優勝したT・E先輩とは、高校で出会い、ともに全国制覇を目指して戦う仲間となりました・・・)

年下の子に負けたショックや、上位との差を感じましたが、6年生になる来年こそは2位以内に入って全国大会へ行きたい!という大きな目標ができました。

その後、5年生になって野球をやりだしたりして、あまり囲碁の練習ができませんでしたが、翌年も少年少女囲碁名人戦に出場しました。

翌年は、見事準決勝まで進出しましたが、昨年、対戦して負けたM・Hくんに再び敗れ、3位決定戦にも負けて、4位どまりでした。

全国大会へ行きたい・・・という夢は叶わないまま、小学生の大会は終わってしまいました。

中学生になったら、なんとか全国大会へ行きたい・・・再び思いを強くするのでありました。
【4】師匠との出会い・・・
小学6年生のとき、たまたま出場した、地元能登川町の囲碁大会で、Nさんという六段の方と出会いました。

この方は、土日に自宅を開放し、囲碁や書道、絵画などを近所の子どもたちに教えておられる方で、「一度うちに遊びにおいで」と誘いを受けました。

それ以来、囲碁の勉強というよりは、気楽に遊びに行く感覚で先生のご自宅に伺い、小学6年の終わり頃から中学2年の中頃まで、毎週のように囲碁を教えていただきました。

中学に入ると、私はバスケットボール部に入りました。

そのため、土・日は、部活でくたくたになるまで練習して、そのあと、先生のうちまで自転車で遊びに行って、囲碁を教えてもらうという日々を繰り返しました。

先生のところには、近所の囲碁の愛好家のおじいさん方が集まっておられ、いろいろな強い方と練習することができることと、毎回、お菓子やジュースがもらえるのが楽しくて、練習会には欠かさず参加していました。

そんな練習の成果もあって、少しずつ実力をあげていきました。

そして迎えた、中学1年生のときの少年少女囲碁名人戦滋賀県予選で、私は1年生ながら、なんとか中学生の部で3位入賞を果たしました。

全国大会出場の夢にあと一歩届かず、残念に思っていたところ、優勝者の全国大会出場辞退という予期せぬ形で、全国大会への繰り上げ出場が決まりました。

ついに夢である全国大会の舞台に立てる・・・興奮して夜も眠れなかったのを覚えています。

クラスメイトから激励の寄せ書きなどをもらい、意気揚々と決戦の地、東京へ乗り込みました。

全国大会では、初戦でいきなり東京代表のバリバリの優勝候補と対戦し、完膚なきまでに叩きのめされました。

しかし、このことが、逆に私の負けず嫌い精神に火をつけることになりました。

必ずや全国大会でリベンジしたい・・・その思いを心に秘め、東京を後にしました。

ところが、決意とは裏腹に、中学2年生のときは県大会4位、中学3年生のときは県大会3位と、またしてもあと一歩届かず、結局全国大会出場を果たすことができませんでした。

3年生のときは充分に優勝できる実力があったのですが、例の2学年下のM・Hくんの4連覇をアシストすることになってしまいました。

しかし、中学生のうちになんとか初段に合格し、次は、高校での躍進をめざしました。
【5】彦根東高校囲碁部時代(前編・高校デビュー)・・・
高校は彦根東高校に入学しました。

彦根東高校は県下有数の進学校で、もちろん大学に進学したいという目標もあったのですが、彦根東高校囲碁部は、昭和61・62年と2年連続で団体戦全国ベスト8に輝いており、なによりも、「彦根東高校囲碁部が全国大会出場の常連である」ということが、入学を志した一番の動機でした。(当時、雑誌「囲碁クラブ」にもよく名前が出ていました)

入学すると、最初の古典の授業でいきなり、当時囲碁部の顧問だったK口先生の方から、「ぜひ囲碁部に入ってくれ!」との誘いを受けました。

昔、小学6年生の頃、雑誌「囲碁クラブ」に「将来は彦根東高校に入って囲碁部で活躍したい・・・」と書いて投稿した文章をK口先生が見ておられ、私の入学を心待ちにしてくださっていたとのことでした。

まさか顧問の先生の方から声をかけてくださるとは・・・予期せぬスカウトに驚いた記憶があります。

私が入学した当初、東高囲碁部には、1学年上に四段のT・E先輩(私がはじめて少年少女囲碁名人戦滋賀県大会に出場した時に優勝した人)がおられ、他に、T・T先輩、U・A先輩など、有望な先輩が多数おられました。

また、団体戦では1年生ながら、早くも副将というポジションを与えられ、レギュラーに選ばれました。

週3回の部活でしたが、私は勝手に毎日、部室である御座所に足を運び、練習日は先輩と対戦し、練習のない日は黙々と一人で部室にある囲碁の本を読み、囲碁の研究に明け暮れていました。

この熱心さが勉強でも発揮されれば・・・と当時の担任に苦笑いされたこともありました。

周りの環境にも恵まれ、囲碁に打ち込んだおかげで、わずか数カ月で、一気に三段に合格するまでになっていました。

こうして最初の県大会、全国高校囲碁選手権滋賀県予選を迎えることになりました。

当時、県内には米原高校、河瀬高校、彦根西高校、彦根工業高校、虎姫高校の囲碁部が強く、それぞれ鎬を削っていましたが、やはり、彦根東高校が一歩抜きんでた存在でありました。

高校でのデビュー戦、かなり緊張しましたが、団体戦では問題なく優勝することができました。

また、個人戦の方でも1年生ながら準優勝し、(優勝はT・E先輩)、京都新聞の囲碁の欄でも取り上げられ、全国大会、団体・個人W出場という快挙を成し遂げました。

結局、このあと高校3年間、先輩たちが抜けた後も3年連続で全国大会に団体・個人W出場を果たすことができました。

そして迎えた夏休み、「頭脳の甲子園」といわれる東京・市ヶ谷の日本棋院で行われた全国高校囲碁選手権大会に出場しました。

どこまで勝ち抜けるか、楽しみでしたが、全国の壁は厚く、個人戦では初戦敗退でした。

団体戦では、1回戦で前年度全国ベスト8の山口代表下関西高校には3−0のストレートで勝ちましたが、2回戦で、鹿児島代表のラ・サール高校相手に大接戦の末、惜しくも1−2で敗れました。(結局、ラ・サール高校は全国ベスト8でした)

しかし、全国のトップクラスと比べてもそれほど遜色はない・・・と、2年、1年、2年だった彦根東高校囲碁部のメンバーは自信を深め、来年の全国制覇・・・という大きな目標に向け、また頑張ることにしました。
【6】彦根東高校囲碁部時代(中編・近畿大会制覇)・・・
高校1年生の秋、県予選を楽勝した我々は、冬の近畿大会にコマをすすめました。

当時、高校囲碁の世界においても「近畿を制する者は全国を制す」と言われており、兵庫の灘高校、大阪の清風高校、京都の洛南高校が全国制覇を狙う常連であり、他にも和歌山の向陽高校、奈良の奈良学園などが全国レベルというまさに群雄割拠、ハイレベルな近畿大会でありました。

組み合わせ抽選の結果、灘、清風、洛南といった強豪校と別のヤマになった彦根東は、奈良学園、和歌山向陽にいずれも2−1で勝利し、決勝にコマを進めました。

決勝戦の相手は洛南に勝った灘を倒して勝ち上がってきた清風高校でした。

当時清風高校の主将は、中学時代全国優勝を経験した大野鉄平くんで、他の2人も強く、ギャラリーも含めて、その場にいる誰もが清風高校の優勝を信じて疑わない状況でした。

ところが、奇跡が起こります。

なんと主将戦を半目差の大逆転勝利で制し、チームも2−1で勝つという信じられない出来事が起こり、見事、近畿大会で優勝しました。(ちなみに滋賀県勢の男子が近畿大会で優勝したのは、後にも先にもこのときだけです)

勝ったT・E先輩も「もう1回勝てと言われても絶対無理」というぐらい人生最高の1局を、決勝の大舞台で披露してくださいました。

大阪からの帰り、顧問のK口先生が吉野家の牛丼でささやかな祝勝会を開いてくださったことは、今でも懐かしく覚えています。

近畿大会を制し、次は全国制覇へ・・・我々の夢は次第に膨らんでいきました。
【7】彦根東高校囲碁部時代(後編・全国制覇を目指して)・・・
翌年、顧問だったK口先生が転勤され、K明先生(我が心の師匠)が顧問になられました。

2年生になった私は四段に昇段し、二人の先輩もそれぞれ六段、四段に昇段され、再び県大会を楽勝した我々は、夏の全国大会へコマを進めました。

レギュラー3人の合計段位が14段というのは、今でも滋賀県の囲碁界では、語り草になるほどの史上最強メンバーでした。

3年生の先輩が抜けると一気に戦力ダウンしてしまうので、最初で最後の全国制覇のチャンス・・・意気込んで東京へ乗り込んでいきました。

1回戦シードの我々は、2回戦、3回戦と連続3−0の圧勝で初日を終え、威風堂々、準々決勝(2日目)へコマを進めました。

ベスト8にコマを進めたのは、東京の開成高校と筑波大学付属駒場高校、兵庫の灘高校、大阪の清風高校、京都の洛南高校、前年の覇者、大分の大分上野丘高校、全国的強豪の島根の出雲高校、そして彦根東高校という8チームです。

なんと彦根東をのぞく7校は、いずれも全国制覇の経験があるという錚々たるメンバーでしたが、我々には、近畿大会を制した自負もありました。

このとき顧問のK明先生より「優勝めざして、臆することなく堂々と戦え」とアドバイスいただき、我々は、全国制覇の野望を持って試合に臨みました。

準々決勝の相手は、昨年全国ベスト4の東京代表開成高校です。

言わずと知れた超進学校であり、この年の優勝候補ナンバーワンとの呼び声高い高校でした。

絶対勝つ・・・強い気持ちで戦いに挑みましたが、さすがに全国優勝常連校の壁は厚く、まさかの0−3のストレート負けを喫してしまいました。

場の空気に飲まれたわけではないと思うのですが、普段の力が全然発揮されないまま、悔しい悔しい敗北を味わうことになりました。

この大会のベスト4は、灘、清風、洛南、開成の4校で、近畿勢が躍進しました。

その後、開成が優勝するのか・・・と思いきや、準決勝で京都の洛南に敗れ、そのまま勢いに乗った洛南が全国制覇し、清風が準優勝、灘が3位と、近畿勢が1ー2ー3フィニッシュを飾りました。

前年、近畿大会で倒したチームが全国で上位3位までを独占する・・・という結果を見ると、近畿を制した我々が、全国制覇できる実力が充分あったことを証明するものとなりました。

ただ、我々には全国で勝ち抜く・・・という伝統と経験が足りなかったのかもしれません。

こうして先輩たちは引退し、滋賀県勢としてはまたとない全国制覇の夢は、潰えてしまいました。

あとの同学年、後輩には、有力選手はいるものの、全国で戦うようなレベルにはなく(それでも翌年全国で1勝、近畿で準優勝できた)、次は個人戦での優勝を目指すことにしました。

私自身、県レベルの大会では、小学6年が4位、中学1年が3位、2年が4位、3年が3位、高校1年、2年と連続2位と、3度個人戦でも全国大会へコマを進めましたが、一度も滋賀県チャンピオンに輝いたことはありませんでした。

しかし、全国レベルの戦いで場数を踏んだおかげで、高校2年の冬の近畿大会では、個人戦でも6位入賞を果たすなど、ずいぶん力をつけており、高校3年生最後の県大会に臨みました。

ところがこの年は、虎姫高校に入学した2学年下のM・Hくんという強敵が大会に出場してきました。

彼は、小学4年から中学3年まで、県大会を6連覇し、私自身、3度も苦杯をなめた相手です。

私の初優勝か、彼の7連覇か・・・注目の戦いが始まりました。

M・Hくんは、1年生のため、ノーシードであり、彼とは準決勝で対戦することになりました。

下馬評では四段の私より五段のM・Hくんの方が若干強いと思われていたようですが、この戦いに苦戦しながらもなんとか勝利し、雪辱を果たしました。

決勝戦も楽勝し、ついに私は滋賀県高校囲碁界の頂点に立ちました。

結局、全国大会では勝てなかったものの、次は大学に入って学生囲碁界においても全国レベルで活躍したい・・・希望を胸に、高校時代を終えました。
【8】大学時代・・・
高校3年のとき、いよいよ進路を決定しなければならない時期が来ました。

私は、担任や顧問の制止を聞かず、進学校の生徒としては異例の11月まで部活を続けました。(最後に、秋に移行された近畿大会まで出場したかったため・・・)

そんな状況でしたが、将来は、教員になりたいということと、囲碁部の強い国公立大学という条件から志望校を何校か探しました。

年明けのセンター試験、得意の数学で予定通り200点満点を取ることができたものの、国語で8割取る予定が6割しか取れなかった・・・という誤算もあり、結局、大学は岡山大学に進むことになりました。

当時は第1希望ではなかったものの、岡山大学は、全国大会出場の常連で、高校、大学と全国制覇され、全国的にも有名な岩井竜一先輩がOBとして活躍され、さらに現役の4年生にはT・K先輩という個人戦全国ベスト4入賞者がおられる名門チームでした。

実際、岡山大学では、囲碁だけでなく、本当にたくさんのことを学び、いろいろな人とのつながりのできたとても素晴らしい大学でした。

岡山大学囲碁部の普段のクラブ活動は、高校時代とは比べ物にならないほど大人数、ハイレベルな活動で、OBの方々もよく指導にきてくださり、その実力を一気に伸ばしていきました。

また、近くの岡山理科大学には、飯塚淳史さんがおられ、よく練習に参加してくださいました。

飯塚さんには、大学時代、100局以上、教えていただきました。(おそらく5勝120敗ぐらい・・・)

飯塚さんには公私ともにお世話になり、いわば第2の囲碁の師匠ともいえる存在でした。(飯塚さんは近年、アマチュア本因坊戦で全国3位入賞されるなど、今や、全国最強クラスの打ち手になられました。)

大学の団体戦は、1年生のときから部内リーグ(大手合)で規定の成績をあげ、レギュラー(副将)として打たせてもらえました。

そして、1年生のときから、中四国予選で団体優勝し、全国大会(大学囲碁選手権)に出場させてもらえることになりました。

全国8地区の代表が集い、日本代表を決める戦いで、この年は、北海道大学、東北大学、東京大学、信州大学、名古屋大学、立命館大学、岡山大学、熊本大学が8地区の代表で、北海道大学が優勝しました。(私は1勝しかできませんでした)

大学の全国レベルをまざまざと見せつけられました。

2年、3年のときは、T・K先輩が卒業されて戦力ダウンしたことが大きく、予選で広島大学に敗れ、全国大会出場はなりませんでした。

翌4年生では、なんとか戦力も整い、予選で広島大学に勝利し、再び全国大会に出場することができました。

私は主将としてチームを率いて出場し、この年は、北海道大学、東北大学、東京大学、信州大学、名古屋大学、京都大学、岡山大学、九州大学が8地区の代表で、京都大学が優勝しました。

また、諸般の事情で留年した5年生のときも、再び主将として全国大会に出場し、今度は3勝をあげることができました。
この年は、北海道大学、東北大学、東京大学、信州大学、中京大学、京都大学、岡山大学、九州大学が8地区の代表で、東京大学が優勝しました。

また、個人戦の方では、中四国学生囲碁名人戦において、2年次に中四国ベスト8、3年次にベスト4と着実にステップアップし、4年、5年とラスト2年は、2年続けて決勝までコマをすすめることができました。

個人戦では、高校時代に滋賀県優勝こそ経験しているものの、近畿や中四国など地区レベルの個人タイトルは取ったことがありません。

タイトル獲得に向け、必死に戦いましたが、2年続けて同じ相手に敗れ、結局、2年連続準名人どまりでした。

何か大きなタイトルを取りたい・・・次は社会人での活躍を心に誓いました・・・。
【9】指導者としての喜び・・・
大学を卒業した私は、なんとか教員採用試験に合格し、念願の高校教員としてのスタートを切りました。

石部高校配属となった私は、プレイヤーとして自ら活動するとともに、念願だった指導者としての活動を始めました。

石部高校囲碁将棋部は、開校と同時に創部しましたが、創部当初、部員はおらず指導者もいない状態でした。

開校5年目に私が赴任し、部員を勧誘したところ、13名の1年生部員が入部し、石部高校囲碁部の伝説が幕を開けました。

囲碁と将棋は同じ日時に大会があることが多く、両方練習してもトップを目指すのは厳しいということで、(将棋をするために入部した生徒もいましたが)全員、囲碁に絞って練習をすることにしました。

全員初心者ばかりではありましたが、ルールの飲み込みは早く、対局・研究を重ねていくうちに次第に頭角を現し始め、最初の大会では、初心者級のBクラスで準優勝する者も現れました。

そして、私の母校である彦根東高校での合宿練習会に参加し、更なる実力アップを目指し精進した結果、秋の県大会で準優勝、冬の新人戦では優勝という快挙を成し遂げ、常連校が上位を占める団体戦において、「石部高校旋風」を巻き起こしました。

そして石部高校囲碁部の活躍の様子は、京都新聞、BBC琵琶湖放送などでも取り上げられ、この快進撃は県内に広く知れ渡ることとなりました。

ここまで来ると次の目標は近畿大会・全国大会出場です。

更なるレベルアップを目指して、岡山大学、立命館大学、岐阜大学囲碁部との合同練習会に参加したり、県外の強豪校、天理高校などとの強化練習会に参加し、着実に力を伸ばしていきました。

その結果、1年半後に近畿大会出場、2年後には全国大会出場の栄誉を勝ち取ることが出来ました。

そして地元滋賀で開催された近畿大会では、京都代表の強豪、洛星高校に見事勝利し、惜しくも兵庫代表の灘高校に敗戦するも、近畿ベスト4に輝きました。

部員数も最盛期には30人を超え、さらに中学時代に活躍した選手が囲碁部に入るため石部高校を受験し、入部後も大活躍をするなど、石部高校の看板クラブとして県内に広く知られるようになりました。

また、高校生に教えるだけなく、県立学校開放講座を利用して、5年間、「夏休みこども囲碁教室」を開催し、中学生・小学生にも囲碁を教えました。

当時はマンガ「ヒカルの碁」の影響で、大変たくさんの方に興味を持って頂き、毎年30名近い受講者がありました。

囲碁部員を助手にし、地域の囲碁サークルの方、女性の囲碁の会の方にもお手伝いに来て頂いて、学校の会議室が人でいっぱいになるほどの盛大な講座になりました。

こうして、小中学生、高校生から高齢者の方まで、囲碁という一つのものを通して、お互いの交流を深める機会を持たせて頂きました。

7年間で約60人の部員に囲碁の手ほどきをし、約15人の有段者を輩出し、また、のべ約80人の小中学生たちに囲碁のルールを教えました。

こうして7年の間、よき部員たちに恵まれ、指導者としての喜びを味わうことができました。

そして今年、母校、彦根東高校に転勤することになりました。

14年前に夢見た、「全国制覇」という大きな野望、その夢の続きをかなえるのが私の使命だと思っています。

3年生には、県内無敵、全国でも上位をうかがう実力がある生徒がいますが、1年生部員は高校から囲碁を始めた者が中心です。

まずは、なんとか彼らを強くし、ひとつの形に仕上げ、そして、現在米原で行われているこども囲碁教室出身の生徒たちが、高校生としてあがってくるころには、全国大会で上を目指せるようなチームを作っていきたいと考えています。

伝統校復活に向けて、今ようやく一歩踏み出しはじめたところです。
【10】悲願の関西チャンピオン獲得・・・
指導者として囲碁を志すとともに、当然のことながら、プレイヤーとしても活動を続けてきました。

教員になって、すぐ六段に昇段した私に、昨年ひとつの転機が訪れました。

アマチュア強豪が出場する棋戦として、競馬にたとえるとGTレースに相当するアマ3大棋戦(アマ名人戦、アマ本因坊戦、世界アマ囲碁選手権戦)があります。

また、GUレースに相当する棋戦として、赤旗囲碁名人戦、協和発酵杯、ケーブルテレビ杯、鳳凰杯などといった大会が全国大会につながっており、超の付く強豪は出場していませんが、県のチャンピオンクラスが集います。

私は大学卒業以来、これらの大会には出られる限り、挑戦していますが、3大大会では何度も県ベスト8に勝ち上がるのですが、そこから先へはなかなか進めませんでした。

囲碁は、気力と体力の続く限り、何歳になっても第一線で活躍することができるので、60代の老獪な打ちまわしを見せるベテラン選手も活躍しております。

また滋賀県には立命館大学びわこ草津キャンパスがある関係で、全国から推薦で集まってきた立命館大学囲碁研究部の選手たちが大挙して予選に出てくるので、大変レベルが高く、厳しい戦いを強いられています。(なんと一昨年は滋賀県から2名の全国チャンピオンが誕生しました)

ところが、昨年の秋、協和発酵杯関西地区大会の名人戦に出場したところ、県代表クラスの強豪や元院生、元協和発酵杯全国チャンピオンなどを次々と撃破し、見事優勝して第15期関西名人の称号を頂くことになりました。

自分の実力から見て、とても勝てるはずのない相手にまで勝ち、あれよあれよという間に優勝してしまいました。

そして関西チャンピオンとして、全国各地(北海道・東北・関東・中部・関西・中国・四国・九州)の予選を勝ち抜いた名人たちによって争われるグランドチャンピオン戦に出場しました。

残念ながら全国大会では敗れましたが、夢の舞台、存分に楽しみました。

囲碁を続けてきて本当によかったなぁ・・・と思いました。

正直、実力がまだまだなことは、充分わかっていますが、これからも上位の大会にチャレンジし続けていきたいと思います。

次は、3大アマ棋戦での全国大会出場を目指して精進します。

私の挑戦は、終わることなく、まだまだ続きます。
【11】囲碁の魅力と効用
私は「囲碁がライフワーク」と語れるほど囲碁の魅力に取り憑かれたように、囲碁には大変素晴らしい魅力とその効用があると思います。

今度は囲碁の歴史と魅力・効用について紹介したいと思います。

そもそも囲碁のはじまりは、四千年ぐらい前、中国で生まれたと言われています。

中国ではなくインドやチベット発祥の異説もありますが、はっきりしたことは分かっていません。

当初囲碁は、古代中国の皇帝が、囲碁を創って子どものしつけのために教えたという伝説や、碁盤は宇宙、碁石は星のかわりで、カレンダー、占いに使ったという話があります。

日本には奈良時代に吉備真備(きびのまきび)が遣唐使として唐から持ち帰ったという話がありますが、既に636年隋書・倭国伝には日本人が囲碁を好むことや、701年大宝律令・僧尼令などにも囲碁のことが記されていますので、日本への伝来はそれ以前からということになります。

中国では、古来、君子のたしなみとして、また日本では平安時代の貴族たちの身につけるべき教養として、「琴棋書画」(きんきしょが)が尊ばれてきた歴史があります。

琴は音楽、棋は囲碁、書は書道、画は美術のことです。

現在、高校の芸術の授業で、音楽、書道、美術は選択できるのに、囲碁だけがないのが残念でなりません・・・。

また、古典の授業で学習する「源氏物語」や「枕草子」に、囲碁の記述があるのは意外に知られていません。

当時の宮廷を中心にした貴族社会で囲碁を非常に好んだことが推測されます。

また、戦国時代の武将たちにも囲碁は愛され、とりわけ、信長、秀吉、家康は相当の打ち手(今でいうアマチュア四〜五段ぐらい)であったと言われています。

囲碁は年齢、性別、国境、言語を問わず、誰でも楽しめる知的ゲームであります。

わずか5つのルールで成り立っているにもかかわらず、「深奥幽玄」といわれるように、大変奥が深いゲームです。

近年、コンピュータの進化に伴い、囲碁・将棋・チェスといった盤上の知的ゲームの領域にもコンピュータが進出してきました。

数年前に、チェスの世界チャンピオンがコンピュータに敗れるという衝撃的なニュースもありました。

また最近では、将棋の対局ソフト「ボナンザ」がプロ棋士、渡辺竜王に肉薄するなど、既にプロ級の実力を備えており、チェスのようにチャンピオンに勝つのは時間の問題といわれています。

ところが、囲碁の対局ソフトは、それほど強くなく、せいぜい弱い初段といったところです。

多くのプログラマーが囲碁の対局ソフトの開発を目指して鎬を削っていると聞きますが、なかなか難しいようです。

そもそも囲碁というゲームは盤面19×19=361の交点に白・黒の石を置くという単純なゲームですが、可能性だけでいうと、361の階乗、おおよそ10の700乗というとてつもない数の盤面が考えられるというわけです。

古来、何千万、何億という多くの人々に打たれてきた囲碁ですが、終局まで全く同じという棋譜はないし、あり得ないと聞きます。

10の700乗は、現れ得る盤面の数で、実際にはあり得ないような局面を含んだ数なので、実際がその半分の桁数だとしても現在のコンピュータでは容易に計算しきれない数ということです。

ではどうして人間はコンピュータのレベルをはるかに超えることができるのでしょうか。

それは、人間は直感的に、着点の範囲を絞って検討することができるからです。

囲碁において人間がコンピュータより優れているのは、直感的に、感覚的に、経験的に「この辺に何か手がある」と瞬時に判断を下せる点にあります。

人間の脳には左脳と右脳があり、左脳は、言語や論理的に思考する行動を支配し、右脳はひらめきや感性という行動を支配しています。

コンピュータは左脳的であり、右脳的な判断には弱いようです。

将棋・チェスは左脳的判断を要求されることが多いのですが、囲碁は、もちろん左脳的な判断(部分的な手の読みや地合の計算など)もあるのですが、それ以上に右脳的判断を要求されるゲームなのです。

いわば、囲碁は試合開始から試合終了まで、左脳と右脳をフルに使うゲームだと思います。

このように、囲碁には脳を活性化させる効果があり、こどもの能力開発や、高齢者の認知症防止にも効果があるといわれています。

ちなみに「脳を鍛える大人のDSトレーニング」でおなじみの東北大学川島隆太教授も、現在、囲碁が脳に与える効果について研究をされています。

また、囲碁は矛盾のゲームであると言う人もいます。

囲碁は囲った陣地の大小を競うゲームでありますが、陣地を広く囲おうとすれば、その分隙が生じ、陣地を破られてしまいますが、狭くガッチリと囲えば、陣地は破られないかもしれませんが、勝つことはできません。

能率良さと堅実さの矛盾に突き当たり、それを上手に克服しないと勝つことができません。

例えるなら、勉強時間を増やせば成績は上がるでしょうが、徹夜で勉強を繰り返して体を壊しては元も子もない・・・ということに似ているでしょうか。

また囲碁は自己中心的では勝てません。

もちろん、相手を制して勝とうとするのですから、自分にとって都合のいい手を探すのですが、相手も同じように自分にとって最も有利になるような手を探して反撃してきます。

交互に打つわけですから、けっして自分にだけ都合のいい手がある筈ありません。

「勝手読み」という錯覚、自己中心的な思想では勝てません。

囲碁には「定石」と呼ばれる石の運び、両者が最善を尽くした結果現れる形があります。

定石とは、筋(攻め)と形(守り)がコンパクトに詰まったものです。

その意味では数学や理科における公式のようなものです。

公式をたくさん覚えれば、問題を早く解けるように、定石を覚えればある程度は強くなりますが、もちろんそれだけでは勝てません。

囲碁は複雑な応用問題のようなもので、定石通りに打ち進めても相手が変化をしたりすれば、表面的な知識だけは対処できません。

定石で正しい筋と形を学び、目的をはっきり意識し、考えながら打つことが大切です。

学校で学ぶ勉強は定石のようなものです。

それを社会生活でどう使うか、使い方によって人生の役には立たないときもあるだろうし、大変有効な道具や武器になることもあることに通じると思います。

囲碁は、1局打つのに通常1時間〜1時間半かかります。(大会では1日4試合ほどあるので体力も重要です)

囲碁はどこかでたった一手のミスをするだけで負けてしまうこともしばしばあります。

ですから限られた時間、集中して考えるということで集中力を高める効果があります。

また、囲碁は礼に始まり礼に終わるゲームであり、こどもが礼儀作法を学ぶのに適していると思います。

囲碁は、10の700乗通り盤面が考えられるように、狭い碁盤の中で無限の宇宙が展開されているようなものです。
未知の世界、無限の世界、究め尽くせないからこそ挑む価値があるのです。

囲碁は学べば学ぶほど上達することは間違いありませんが、上達すれば実際の勝負で勝てるというものではありません。

勝負に勝つということは、一つひとつ学んだことの組み合わせではないからです。

勝ちたいという気持ちがなければ勝てませんが、その気持ちが先走れば結果は逆になります。

自分だけ得をしたいという気持ちを抑えてしっかり考える、自分の足下をしっかり固める・・・その局面で考えられる一番いい手を見つける努力をする・・・勝敗はその結果に過ぎません。

人生において、「今という一瞬をよりよく生きる」ということに通じると思います。

囲碁に強くなるには、自分を見つめ直し、鍛えなければいけません。

囲碁の勉強を通して自分自身を振り返ることで、自分の今まで気付かなかった長所や短所に気付き、人生を豊かにしてくれます。

囲碁はこんなにも素晴らしいゲームです。

これからの人生、囲碁と共に歩んでいきたいと思います。

トップページへ戻る