キャスター…ノストラダムスはこちらに気づいていない。そう、奴の言う、奴の世界にいるというのにだ。
それは、穏形のせいだけではない。
「…士郎、勝てるんだよね」
私の胸に抱かれたままの華凛が、上目遣いでこちらを見上げてそう聞いてきた。
「…勝算のない戦いを、マスターにすすめたりはしない」
ぶっきらぼうに、そう言った私に…
「ねえ、なんで明後日の方見てるのよ」
…うるさい…
「…あっ、はっはーぁ〜ん…」
なにかイヤな予感を感じ、何かを言いかける華凛の口を左手でふさぐ。
「もがっ! ふがふがほが!!」
「文句なら後で聞く。奴の様子がおかしい」
そう、奴はまだここから動かない。動こうとしない。
サーヴァントを既に一人倒している、意気揚々と帰ってしかるべきだ。
こちらに気づいているとも思えないので、私たちの登場を待っているわけではない。…では、何がある?
「何か、来るのか?」
奴がずっと見つめている先を、同じように見つめる。アーチャーだったころには見えただろうが、現在の私にはまだ見えない者…それをキャスターは待っているのだろう。…そしてそいつは、サーヴァントに違いなかった。
果たして、そいつは現れた。
〜第四章〜
〜其れは、楽しき地獄絵図〜
「ふーんふふふん、ふんふふふん、ふんふふんふんふふーん…」
鼻歌交じりで飄々と現れたそいつは、短身痩躯…童と見間違えるほどであった。
だが、その目が違う。子供のような好奇心に満ちあふれているが、どこか歪んでいる。純粋なようでいて計算高く、理知的なようでいて衝動を好んでいる。目を見た瞬間にわかった。
…こいつは、イヤな奴だ…と。
「驚かないね。私のようにわかっていたのかな?」
ノストラダムスが現れた男…少年に対して、そう聞いた。
「そういうお前も、ボクの登場をわかっていたようだね?」
声も少年のもの…英霊に年齢は関係ないとはいえ、違和感がつきまとう。普通は自らの力をもっとも振るいやすい年代、あるいはもっとも認知されている年代で現れるはずだ。
少年の格好…羽織袴に腰に剣を差し、日の丸のついた鉢巻きに陣羽織…まるで子供の仮装にしか見えず、陣羽織に描かれたその紋など、明らかにわざとらしくて…
「…なんの冗談だ」
「もがっ、もがー!!!!」
…華凛に気づいたのは、窒息寸前のことだった。
「ふむ、私が知っているのは当然、もはやこの街はほぼ全てが私の世界になっているからね」
ノストラダムスは楽しそうにそう語った。
「…のわりには、風景が変わっているのはこの辺くらいなものだけどね」
少年は荒野に代わった元公園をしげしげと眺めながら、そう聞き返した。
「わざわざ他のマスターやサーヴァントに知らせるつもりもなかったのでね、あんまり世界に手を加えていなかっただけだよ。
まあ、君がこっちに向かっているようだったので、ここで待たせてもらったがね」
「なるほど、つまり迎え撃つにはここが最適だということか」
少年のその言葉に、朗々と語っていたノストラダムスの言葉がつまる。
「この固有結界、これがお前の宝具かい?」
エブリッシングインマイナレッジ
「…いかにも、これこそが我が宝具、固有結界”
全て我が思うまま”だ」
「…まるで、空想具現化…」
華凛の言葉、それこそがノストラダムスの固有結界を言い表すのにふさわしい。限りなく空想具現化を目指した固有結界、それこそが奴の宝具なのだろう。
「じゃあ、ボクもこちらの宝具を見せてあげるべきだね」
少年は奴の世界のただ中で、悠然と自分の腰につけていた袋をあさる。
「あったあった」
少年が取り出したのは、三つの団子…のように見える、丸めた紙くず…
「…本当に…」
少年は取り出した紙くずを放りあげると、指で印をえがく。
「…何の冗談だ…」
「犬神、猿神、鳥神、我が僕となりて、敵を討て、急々如律令!」
少年が描いた五芒の印が光を放つと共に、犬、猿、鳥と呼ぶにはあまりにもでかい式神が姿を現していた。
ポチ ジロー ピーコ
「ボクとともに、鬼を討つ。これがボクの宝具”
犬神”、”猿神”、”鳥神”だよ」
「…ねえ、まさかとは思うんだけど…あいつって…」
セイバー
「…確かに、この地において、老若男女誰だって知っている、最も有名な”剣士”かもしれないが…」
「セイバー、桃太郎、見参!!」
宝具を持ち出されたことにあせったのか…
ア ン ゴ ル モ ア
「”恐怖の大王”」
…ノストラダムスはいきなり奥の手を出してきた。
そのこと自体は問題ではない。むしろ最善の一手だったと言える。…結果はともかくとして…
ランサー林冲を苦もなく消し去ったノストラダムスの宝具は、セイバー桃太郎に何のダメージも与えることはできなかった。…というよりも、発動すらしなかったと言える。
桃太郎は相変わらず鼻歌を歌っている。…どうやら童謡の桃太郎らしい、かなりふざけた奴であることは間違いない。
「…ば、ばかな…」
よろりと体が震える。先ほどまでの自信はどこへいったのか、そこにいるのはもはや英霊とは呼べない、ただの老人であった。
「術者として、お前が三流だったというだけだよ」
桃太郎がいかにも小馬鹿にするようにそう言った。
「…奴の言うとおりだな」
「……そうね」
そして、それはまぎれもない事実だった。
魔術師は隠匿せねばならない。神代の伝説ならばともかくとして、たかだか中世期の魔術師で世に知られている段階で二流だろう。
そもそも、奴は隠匿しようとすらしていない。ご大層に預言書まで残した男が、一流の魔術師なわけがない。
「…恐怖の大王ね、確かお前の預言では1999年の7月に降ってくるんだっけか? つまり、ここでしか…お前の世界の中でしか使えないわけだな。まあ、拘束が多いぶん、それなりの破壊力なんだろうがね」
「ひっ!」
三匹のしもべを従えて近づく桃太郎におそれをなし、ノストラダムスがドサッとしりもちを付く。
「手品と同じだよ、タネの割れた魔術はおしまいってことだ」
「お、おま、おまえも…こゆ、固有結界を…」
ノストラダムスの問いかけに、に〜と笑うと…
「食べてよし」
…答えるつもりはないと言わんばかりにそう三つの僕に命じた。
「…うっ」
そのあまりの光景に、華凛が目をさらす。確かに目を背けたくなる光景だろう、三匹の獣が二人の人間を食らっている光景など。
「……」
疑問点がある。ノストラダムスの持った疑問などではない。あんな問いかけは無意味だ。世界同士の浸食の仕合…よりつたない世界のほうが消えるのは道理。奴…桃太郎も固有結界をまとっていたのは当然の帰結だろう。
そんなことではない、そんなことしか思い浮かばないから、三流なのだろう。
ここで重要なことは、なぜついさっき現れたばかりの桃太郎がそのことを知っていたかだ。
ノストラダムスの固有結界…”全て我が思うまま”は、令呪ほどの拘束力があるわけではない。人間ならともかく、サーヴァントならはねのけれる程度のものでしかない。
例え固有結界を持っている術者だとしても、わざわざそれを纏おうとは考えないはずだ。…私のように、間近で奥の手…”恐怖の大王”を見ていない限りは。
…となると…
「…さーて、あとはそっちだね」
奴はこちらを…穏形し、その上に固有結界をまとっていた私達のほうを見て、はっきりとそう言った。
「…フン」
考える時間も与えてはくれないということだ。
穏行をとくと、抱きしめていた両腕を放す。
「…士郎」
「下がっていろ、華凛」
華凛をさがらせ、そしてかばうように奴を眼前にみすえる。
「くくくっ、やっちゃえ」
奴の命令で、三匹の獣が襲いかかってくる。
犬神が右から…右足を狙っている。猿神が左から…狙いは左腕。そして鳥神が上空から…狙いは…華凛!!
「ちっ!!」
干将を鳥神に向けて放つと、莫耶で猿神の放った巨大な腕での一撃をうけながし、犬神を右足で蹴飛ばす。
そしてそのまま後方へと離れると、華凛の側へと降り立つ。
「貴様、それが正義の味方のすることか」
思わず言い放ったセリフは、私らしからぬものだった。
「あっはっは」
やつは本当に楽しそうに笑うと、言い放った。
「ボクが正義の味方? なんだそれ? ボクが正義のために鬼と戦ったとでも?
宝目当て…いいや、楽しかったからに決まってるじゃないか」
「ちっ」
「さっきの…そっちのお嬢ちゃんを狙ったのだって、楽に勝てるからとかじゃないよ。
そのほうがお前困るだろ? お前が困るのを見るのが楽しいだけだよ」
ケラケラと心底楽しそうに笑いながら言った。
奴を目にしたときに感じたこと…こいつは、イヤな奴だ…それはまぎれもなく真実だったということだ。
「体は剣でできている」
謎はある、未解決のまま残されている。
「血潮は鉄で、心は硝子」
この場での奥の手の使用は、得策とは言えない。
「幾たびの戦場を越えて不敗、ただ一度の敗走もなく、ただ一度の勝利もなし」
だが、奴は見逃さない。奴は私を…華凛を殺す気満々である。
「担い手はここに孤り。剣の丘で鉄を鍛つ」
勝つための宝具は、これしかない。
「ならば、我が生涯に意味は不要ず」
目先の勝利のみを願っては、太極の勝利は得られない。
「この体は…」
だが、私の望みは太極の勝利などではない…
アンリミテッドブレイドワークス
「…”
無限の剣で出来ていた”」
…彼女を守ることのみだ。
花畑は再び一面の荒野へと姿を変える。
ただ異なるのは、燃えさかる火炎で描かれた丘、いくつも突き刺さる墓標のごとき剣…私がただ一つ持つ宝具…固有結界”無限の剣製”だ。
「これが、お前の固有結界か」
奴の余裕の態度はくずれない。
「だったら、こっちも見せてやらないとね」
そう、奴も固有結界をもっていることはわかっている。
お互いにキャスターの固有結界を超える、アサシンの固有結界と、セイバーの固有結界…いずれの固有結界のほうが勝利するのか…いずれの世界のほうが偽物であると断じられるのか。
「来たれ、来たれ、我が呼びかけに来たれ」
無論、待つつもりもない。幾多の剣を舞い上げ、数多の槍を狙い定める。その数ざっと三十、全てを放つ。
ドシュ、ドス、バシュ!!!
奴の盾となりて、こちらの全ての攻撃を、三体の式神がその身をもって受ける。
そんな中、相変わらずの笑顔のままで、奴は呪言を続ける。
「其れはすぐ側、其れはすぐ近く、其れは陰陽の影の如し」
放ち続けた武具の数は、すでに五十を超える。原型をとどめぬほどの攻撃にさらされながらも、式神はけなげに主を守護する。
「急、々、如、律、令!!」
あわれな僕に目もくれず、五字の印を五芒に描く。
ヒ ャ ッ キ ヤ コ ウ
「”
其れは、楽しき地獄絵図”」
現れるは闇、すべてを内包する混沌、顕現しようとする地獄が、既にある赤き修羅獄と合い食む。
そして、その結果は…
…再び姿を見せる、花畑…
「…引き分け、だね」
パラパラと散る紙吹雪の向こうで、相変わらずの笑顔で奴が言った。
奴の言うとおり、現れようとする二つの世界は互いに食い合い、その顕現の力を減じて…真の世界に敗れ去った。
「しょうがない、でも、ボクはキャスターじゃない、セイバーなんだよ」
奴はそう言って、腰に差した剣を抜く。
こちらも、再び干将莫耶を構える。
「セイバーの宝具、見せてあげるよ」
奴がニヤリと笑った。