その夢は、いつか見た夢…
一面の光の中…
「…………じゃあ奇跡を見せてあげる」
軽く笑って言った。…と思う。
「 ………… 、 、 、 、 、 、 、 ……………!!!」
名前を呼ぶ叫び声。ちゃんと聞こえたはずなのに、なんと言っているのか私にはわからない。…ううん、今の私にはわからないだけ。
だって、ちゃんとわかってなかったら…
じゃあねと微笑むことなんてできないもんね。
令呪は使わない。だって約束したから。
男の子はバカだって、誰かが言っていた。私もそう思う。
いつだって、どんなときだって、男の子はほんとにバカでどうしようもない。
そして、そんなバカなところがかわいいなんて思っちゃうんだから、女の子もどうしようもないね。
「お姉ちゃん、やるよ」
静かに見とれていたお姉ちゃんに、静かにそう言った。
「…やるって…まさかっ!」
お姉ちゃんの顔が、すぐにお師匠さんの顔になって、何かを言おうとして…やめた。
「…そうね、こんな奇跡見せてもらったんだ。こっちもお返しに奇跡の一つや二つ魅せてあげないとね」
ニッカリと笑ってそう言った。
「私もサポートする。モモはいつものイメージで、なーに、あんまり気張ることはないよ。今は奇跡の大安売りのタイムサービスよ」
私が緊張しないようにだろう、お師匠は本当のお姉ちゃんのようにそう言った。
たった一つしか、かわんないのにね。
ゆっくりと魔術回路を開いていく。
私のイメージは、心の奥にある扉を開く感じ。
なんとなく、そう、なんとなくだけど、今回はうまくいく気がする。
いつか閉じた扉を、開いていく感じ。
…絶対、だいじょうぶだよ…
世界は、こんなに命で、光で、奇跡で満ちあふれているんだから。
〜第十九章〜
〜奇跡は、そこにあるから〜
「…!」
「なっ!」
「…これは…」
奇跡がそこにあった。
荒れ果てた荒野は既にない。
そこにはたくさんの花が咲き、光が満ちあふれているようだった。
「…止めるよ。邪魔するよ」
静かに少女が言った。強い意志を秘めた眼差しで。
「セイバーがここにいるのは、このためだけなんかじゃない。そんなはずない!」
「…モモ」
「私だって、セイバーと会えて嬉しかったんだよ! それなのに、このためだけなんて、寂しいよ、哀しいよ!」
少女が泣きながら、そう言った。
ちょっとあっけに取られていた感じだったセイバーが、フッと微笑むと泣きじゃくる少女のそばへと歩み寄った。
「…そうですね、その通りだ、モモ。私も会えて嬉しかった」
泣く子をあやすように、少女の頭をゆっくりと撫でながらセイバーがそう言った。
「…それにしても…」
「すごいもんでしょ」
あっけに取られていた私の横に、華凜が並んできた。
「あの子が目指してきたもの、ゆめのまほうね」
そう、まさに夢のような景色だった。
一面の荒野が一瞬にして、一面の花畑へと姿を変えていた。まるで、あの場所のように。
「…投影…いや、ありえない。…固有結界…いや、もっとありえない」
花々は生きていた。生命の息吹を強く感じる。幻なんかじゃない。幻想なんかじゃない。そんなもので、私たちの心を引き付けることなど…こんなに強く惹き付けることなんて、できはしない。
「魔術の講義の一番最初、私があの子に聞いたのは、何がしたいかってことだった」
その質問からして、魔術師の講義のそれじゃなかった。
魔術師とは根源を目指すもの、ただ一を目指すもの。道のりこそ違えど、それがすべての魔術師の目的。むしろ、それを以て魔術師と呼ぶのだ。
「あの子は言ったわ。一面のお花畑が作りたいって。見るものみんなが優しい気持ちになれるような、素敵な花畑を作りたいって」
「…魔術ですることじゃないな」
「…そうね、魔術ですることじゃないし、そして、魔術でできることじゃない」
言葉にすると簡単だ。マジック…魔術でなく手品でよく見る花を出すトリック、そんな延長線上のようにとれるものだ。
しかし、種も仕掛けもなく、実際に魔術で再現しようとなると話は別だ。
花を生まれさせ、育ませる。つまり、命を複製すると言うことだ。なにもないところから命を作りだし育ませることなど、魔術でできるはずがない。魔法の領域…否、それは既に神の領域と言っても過言ではあるまい。
だが、現実として、これはそこにあった。
「…もちろん、これには種も仕掛けもあるわ。当たり前だけどね」
そう言って取り出したのは、封を開けた様々な花の種子の袋だった。
「…ところで、士郎は花って生きてると思う? 本当に命があると思うかしら?」
「…そうだな、人間の価値観で言うなら…いや、難しい質問だな」
花は生きているか? 花に命はあるのか?
喋ることもなければ、動くこともない。花々に命を感じるのは、受け手の感受性によるものでしかないのかもしれない。
「…じゃあ、この種に命を感じるかしら? 蒔かれることがなければ、水を得ることがなければ、光を得ることがなければ、ただの黒い粒でしかないこの種子には?」
花が生きているなら、種も生きているものなのか? それとも、生まれいずる前の姿なのか?
「…だったら、男の子が毎日無駄に生成しては、ゴミ箱に捨てているものはどうなのかしら? 生きているのかしら?」
なかなかにひどいことを言う。
わからないことではあるが、確かに、生きているとは感じない。というより、そんな風に感じてしまっては、気が狂ってしまうだろう。
「…さて、ここでちょっと魔術師らしくないことを言うわよ」
コホンと咳をひとつついて、華凜が話しはじめる。少し顔を赤らめて…
「…種には命はない。それは生まれる前の姿よ。まだ魂が入ってないもの。
でも、芽吹いたものにはある。魂が、ココロが入ったから。
誰かが…ううん、綺麗に咲いて欲しい、たくましく育って欲しい、ただ…生まれてきて欲しい、そう願ってくれた人が、そこにココロを、魂を、命を吹き込むんだと私は思う」
受け売りだけどねと笑って、華凜が優しく少女を見つめた。
花々を、そしてそこに命を吹き込んだであろう、優しい少女を。涙をぬぐって、ゆっくりと気合いを入れ直している少女を…
「…はな…」
それは暗闇にさした、一条の光のようだった。
彼には、セイバーとアサシンの戦闘は見えていなかった。…いや、見えてはいただろうが、何の感銘も受けなかった。
もはや終わった世界で、何が起ころうとも、どうなろうとも、それは彼にとってどうでもいいことだったから。…そう、思いこんでいたから。
それなのに、この一面の花畑は、突如できたこの花々には、大きく心を揺さぶらされた。
…藤嗣さん…
記憶の一番大事なところに、つながるものだった。
「…冬芽さん…」
その名前は、涙とともにあふれ出た。
つながった記憶は、どんどんと心にあふれてくる、あふれかえってくる。
どんな出会いをしたのか、それについては記憶があいまいだった。逃げるように訪れた、死に場所を求めるように彷徨い来たこの街で、確かに出会った。
見つけたんじゃない、見つけてくれた。そうとしか思えない。
抜け殻のようだった私に、優しく語りかけてくれた。優しく見つめてくれた。微笑んでくれた。
…それなのに、素直じゃなかった私はひどいことを言った。放っておいてくれと、私にかまうなと。大嘘つきも甚だしい。
優しさの受け取り方がわからなかった。嬉しいという気持ちがわからなかった。歓喜は恐怖に似ていた。
ニッコリと嫌ですと言った彼女に、無理難題をふっかけた。どんな魔術師も、魔法使いでさえも不可能な、そんなことを言った。
彼女は、簡単ですよと言わんばかりに微笑むと、約束ですよと軽く言った。
「…むりです、そんなこと、ふかのうですよ…」
記憶の中の自分と、重なっていくようだった。
彼女は驚く私に、微笑みを浮かべて…その無敵の呪文を唱えたんだった。
…絶対、だいじょうぶだよ…
「あっ…」
目の前には、少女が居た。あのころがよみがえったように、優しい微笑みを浮かべて。優しい眼差しで、優しく言ってくれた。
「思い出せた? 世界は、こんなに命で、光で、奇跡で満ちあふれているんだよ」
ほんのかすかに母親の面影を残していた少女は、母親と見間違えるような笑顔で、そう父親に優しく語りかけた。
「…もも…モモ…ええ、ええ、そうですね、その通りですね」
ただ、涙があふれた。あのころと同じように。
泣き出した私を、優しく抱きしめてくれた。あのころと同じように。
あの一面の荒野を、不毛の大地を、光と、命と、奇跡と、…何よりも優しさでいっぱいにしてくれた、冬芽さんのように。
「この魔法は、モモにとってはお母さんと同じ意味を持つものだったのよ」
こちらにやってきていたセイバーと私に対して、華凜がそう話してくれた。
「士郎は覚えているよね、あの公園」
「ああ」
記憶にあった忘れようのないあの荒野が、光と花に満ちあふれた場所に変わっていた。
「あれね、モモのお母さん…冬芽さんがしたのよ、三年もかけてね。…ああっと、うん、違うか」
そこで訂正を入れた。
「冬芽さんが一人でしたのは、一年ね。あとの二年は二人でしてたわ。
種を蒔いて、肥料をやって、水をやって。もっとも、最初は全然だったみたいだけど、芽もでないでね」
さもありなん。不毛とは言わないが、何ものも与えられていないようなあの大地に、花が芽吹くとは考えられなかった。あの姿を見た後でも。
「それでも、何度でも、種を蒔いて、肥料をやって、水をやって、根気と優しさで、冬芽さんは芽を咲かせた。わずかに芽吹いたそれは、少しずつ、少しずつ育って、増えていって…」
今では信じられる、理解できた。あの大地に花が咲いたことが、なによりも、光と優しさに満ちあふれていたわけが。
「そうして、土いじりでドロドロになっていた藤嗣さんに、同じようにドロドロになっていた冬芽さんが言ったんだって…」
「世界は、こんなに命で、光で、奇跡で満ちあふれているんだよ…か、いい言葉だね」
「えっ?」
「なにっ?」
「!!」
「弟子を断られたのが、ものすごく惜しかったね。とんでもない魔術の才能の持ち主だったし、なによりも気に入っていたからねえ」
トントンと、キラキラと光る棒で腰のあたりをたたきながら、そう言った。
「…な、んで…」
ここ一番でしくじってしまう少女は、そんなどうでもいいことをつぶやいてしまう。…まあ、この驚きはどうしようもないものだが。
「…第三魔法の出来損ないを感じたのが第一の目印だった。第二の目印はへったくそな時間の圧縮かね、あまりの物覚えの悪さに引っぱたきたくなったのが、理由といえば理由かもね」
ニヤッと人が悪い笑みを浮かべたのは、ピンシャンと立ったかっこいい婆さん…いや、いつまで経ってもかっこいい女性だった。
「…ど、して…」
「…ここ一番で頭の回転の悪い娘だねえ、誰に似たんだか」
ポリポリとピカピカした棒…宝石剣模倣品で、頭を掻き出す。
「く、くくくっ」
笑うしかない。ああ、そうだとも、笑う以外に何ができると言うのだね。
「…ただいま…とは言わないよ。私があんたの本当の婆さんかは、私にだってわからないからね」
鏡面世界は、無限にあるからね…と、教師のようにつぶやくこの女性に、そして未だにあっけに取られている少女に、どこまでも懐かしさを感じずにはいられない。
「…確かに、理由を限定するのは愚かなことでした」
セイバーが私にだけ聞こえるように、そうつぶやいた。
「この光景も、何物にも代え難い、何を賭けても惜しくない光景ですよ。これを見るために来たのかもしれませんね」
クスリと笑って、そう言った。セイバーもずいぶんとお茶目になったものだ。
「でも、これだけは言いたいね。あんたは私の自慢の孫娘だよ」
「…お、おばあちゃ…う、うわぁぁーーーーん!!!」
華凜は凜…そう、凜の胸に飛び込んで大声でわんわんと泣き出した。
「…やれやれ、うらやましいくらいに素直な娘だね。誰に似たんだか」
そう言いながら、よしよしと頭を撫でる凜の様子は、どこまでも優しかった。
「世界は、こんなに命で、光で、奇跡で満ちあふれている…か、いい言葉ですね」
そんなセイバーの言葉に、ここは素直に同意しておこうか。