和歌山では、乾麺だったか茹麺だったか母が作る年越しそば。甘辛く煮た油揚げが乗っていて除夜の鐘の前に家族が揃って食べる。これがいつもの大晦日風景であり、少し大げさな表現かもしれないが私にとってのそばとの出会いの原風景でもある。 だから年越しそばは、漠然とではあるがどの地域でも、またどの家庭でも大晦日の夜には食べるものだと思っていた。 そば打ちを始めると、そばの食べ方の主流は冷たい盛りそば(ざるそば)で、あたかもこれがそばの本格のようでもある。 一方で、そばの文化や歴史に興味を持ち始めて調べてみると「年越しそば」は各地各様であるらしく、さらにはそのような風習すらない地域まであるという。
いまも記憶を遡ることができる子ども時代の年越しそば風景は昭和の中頃(S30年、すなわち1955年くらい)であり、いまのうちに同年代の友人知人の年越しそばに関する記憶も聞き取っておけば、その時代の一般的な家庭の年越しそばの実態を記録することができるのではなかろうか。
「昭和半ば頃の年越しそばの実態について」
60才代を中心に「子供の頃の大晦日」を想いだしてもらい、今ならまだ記憶に残っている家庭での年越しそばについて聞き取り調査である。(03年〜04年調べ)
目的は、年越しそばの風習がわたし達の実体験としてどのように地域差があって、どれくらい食べる習慣があったのか、且つ、冷たいそば(盛りやザルに代表される)と温かいそば(温かい出汁で食べる)の比率などを調べ、ある程度の方向が見えた30人に達しった段階で調査を終了した。
16都道府県30家族の40%(12件)では年越しそばを食べる習慣はなく、年越しそばを食べたのは60%(18件)で、さらにこの18家族すべてが温かいそばであって、冷たいそばという回答には出くわさなかった。大晦日という寒い季節の風習であることからもすべてが「温かいそば」であったことも特筆される。
なお、このページのテーマは「大阪の年越しそば風景」であり大阪出身者7人だけをみると、5人が大晦日にそばを食べ、2人にはその慣わしがなかったことになる。
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