[ さ ] - そば用語の解説一覧 
                              【 そば用語辞典 】へ戻る      【 Top 】へ戻る  
      
sa 1  在来種 古くからその地域環境や気候風土のなかで栽培されてきたその土地固有の品種。従って沖縄を除く多くの地域で栽培されてきた品種があり、便宜的に地域名に在来を付けた名称で区分している。ほんの一例をあげると、茨城県の金砂郷村(現:常陸太田市)の金砂郷在来種、九州にも多く鹿児島や宮崎など大隅半島一帯で古くから栽培されてきた小粒ソバの鹿屋在来種、大分の波野在来種、長崎・対馬には対馬在来種の対州そばがある。辛味大根にも古い地大根に由来する地域の特性や個性を受け継いだ在来種は多い。現在では、それらから選抜され、新しい品種改良がなされていることが多い。
sa 2  堺包丁 天正年間(1573〜)に煙草の葉を刻む煙草包丁がつくられたのが堺包丁の始まりとされ、寛永年間(1624〜44)に書かれた「毛吹草」に和泉の特産物があって出刃包丁をあげているがこれが堺包丁であろう。宝暦4年(1754)に刊行された「日本山海名物図会」巻之三のなかに「堺庖丁」の図の部分がある。出刃・薄刃・刺身包丁・まな箸・たばこ包丁、いずれも名物であるとして、店頭風景が描かれている。*[画像]は「日本山海名物図会」より。
sa 3  坂田孝造 坂田孝造氏は新聞記者で、大阪在住のそば研究家であった。そばに関する歴史資料や文献を研究され、「大阪のそば四00年 すなば物語」を昭和59年に、小冊子「そば瓦版」を毎年春秋二回発行するなどでも知られる。昭和44年に「関西そば製粉組合」が山本重太郎氏(大阪・阿倍野の風流田舎そば)の所蔵するそば浮世絵のなかからそば浮世絵集を出版した際にも、その編集・監修を務めた。
sa 4  (同)作事之振舞同音信衆 そば切りの初見である木曽・定勝寺の古文書「番匠作事日記」中から見つかった「徳利一ツ、ソハフクロ一ツ 千淡内」および「振舞ソハキリ 金永」は「同(作事之)振舞同音信衆」の部分に書かれてある。天正二年(1574)二月十日からの仏殿等の修理の際の振る舞いや寄進に関する書き留めである。
sa 5  索餅  (さくべい) 唐菓子の一種で「めん」や「和菓子」の祖先らしきものだとされている。平安時代に、遣唐使によって小麦粉や米粉製品の索餅という「麺」の祖先らしきものがもたらされ、鎌倉時代(1185頃〜1333)になると留学僧によって麦縄の技術が伝えられた。そして、これらから練った小麦粉を引き延ばした索麺(素麺)や細長く切った切り麺や饂飩(うどん)が登場したと考えられている。ただ、「倭名類聚抄」や「新撰字鏡」には「索餅」について「無木名波」「牟義縄」ともあり、9世紀末には「むぎなわ」ともいわれたのかもしれない。記録による材料は小麦粉と米粉に塩(紀伊塩)とある。
sa 6  作付け面積
  ソバ
近世以前のわが国には240千haの焼畑面積があったが、焼畑は消滅し、統計資料には反映されていない。わが国のソバ作付け面積を100年間の推移でみると、明治30年(1897)の173千haの記録から年々減少し、ついに昭和45年(1970)には19千haとなる。統計だけから見ると昭和55年(1980)頃に休耕田を利用したソバの田作りが出現する。その背景には水田面積拡大策と1968年以降にコメ過剰が表面化し、減反政策としての水田休耕や他作物への転作奨励が出て休耕田でのソバ作付が始まる。平成22年の全国ソバ作付面積は48千haでそのうちの33haは田作りである。
sa 7  さくら 桜 そば屋の通し言葉のひとつ。ざるやせいろで小盛りの注文が入ると「もり一枚 台はさくら」と通す。桜はきれい:少なめに。これに対して大盛りは「きん」。「もり一枚きん」で大盛り一枚となる。
sa 8  桜井・そばピクニック 奈良県桜井市笠地区で行われるソバの開花期にあわせた恒例のイベント。この地域は笠山荒神社の里で、標高400mから500mの中山間地域で気候や風土がソバの栽培に適していることから平成4年にソバ栽培を始めた。その後、笠地区の集落参加の組合(有)荒神の里・笠そばを設立して「笠そば処」を新設・開店している。約12fのソバ畑一面に咲く白い花の風景は関西ではめずらしい。
sa 9  桜海老切り 桜海老を炒り(または、電子レンジで乾燥させ)粉末にしてさらしな粉に練り込んだ変わりそば。炒って粉末にしたのを篩い分けしそば粉の5%程を入れるが、茹でたそばはきれいな桜色で香りも良い。
sa10  桜切り 桜餅に使っている柔らかい大島桜の葉の塩漬けは独特の香りで知られる。桜切りは塩漬けした桜の葉をすりつぶし、裏ごししてさらしな粉に練り込んだ変わりそば。大島桜(または八重桜)の若葉の塩漬は手製して残ったのを保存することもできるが、市販している「桜の葉の塩漬け 50枚」などを入手することもできる。50枚でそば粉1kgを打つとピンク色の香りのよいそばができる。
sa11  酒つなぎ つなぎを使わず、酒を加えて打つそば。太打ちの角が煮崩れないための目的でもあるそうだが、酒の香りが強く一般向けしない。酒に水を加えて打つ場合もある。そばは打っているときのイメージと、打ち終えてからの茹での工程以降のイメージと異なる場合がある。酒と蕎麦の相性がよいので酒好きの着想や趣向としてはうなずけるかも知れないが、一般向きではなかろう。
sa12  雑喉場 江戸時代、大坂の魚市場は「雑喉場」と呼ばれ堂島米市場、天満青物市場とともに大坂の三大市場であった。雑喉は雑漁や小魚の雑喉類を指すことばである。そば屋の通し言葉と同様にここにも「通し言葉」や「符丁」があって、「雑喉場」で使われた符丁は、一説に豊臣秀吉から教わったとされる「1から9」までの数の符丁である。雑喉場のセリにはすべて「さ り と わ お も し ろ い」が使われた。一方、青物市場の場合は梅桜松竹で、「む め さ く ら ま つ た け」であったという。
sa13  笹切り 笹の若葉を粉末にしてさらしな粉に練り込んだ変わりそばで、さわやかな香りと色を楽しむそばになる。そばを打っているときの色は薄くても茹でると濃くなるのでそばの場合は粉の3%ほどにし、混ぜ込んで練り上げる。
sa14  指し水 差し水は「びっくり水」ともいう。乾麺などの茹で時間が長い場合に効果的な処置といえる。そばを茹でるときに、湯が吹きこぼれそうになった時に入れる水。いったん沸騰が弱まり再沸騰する間に芯まで火が通る。短時間で茹であがる手打ちそばの場合は差し水はやらない。手打ちそばの茹で時間は短いので吹きあがる場合は火力の調整で吹きこぼれを防ぐのがコツになる。
sa15  さちいずみ 春型のソバの品種。九州沖縄農研センターが新潟県在来種と長崎県対馬在来種を交配し、選抜育成したそば品種。2008年に品種出願して2010年に登録されている。沖縄地域の春型ソバの栽培適応にも期待されている。*「沖縄のソバ栽培」の項参照
sa16  薩摩そば 鹿児島では挽きぐるみの黒っぽいそば粉にじねんじょ(自然薯・山芋)をつなぎにして打つ。自然薯(やまいも)のつなぎは打っていると、割れてくるし切れやすいそばになる。薩摩揚げをのせたり、薬味はネギや桜島小ミカンの皮を刻んだものなどを使う。
sa17  札幌ラーメン 札幌ラーメンは戦後のススキノではじまった屋台の店からで、名の通った店も昭和22・3年頃からの歴史であるし、味噌ラーメンは昭和30年頃の発売である。「週刊朝日」が「札幌・ラーメンの町」を掲載し、森繁久弥が羅臼で作詞作曲したという「知床旅情」が世に広がり始め、西田佐知子の「アカシアの雨が止む時」が流行、低音の魅力でならした札幌出身の声優・若山弦造など一連の北海道ブームが訪れて、札幌のラーメンもともに全国規模で宣伝されていった。
sa18  讃岐うどん 香川県讃岐地方の手打ちが主体のうどん。江戸時代から讃州讃岐は上質の小麦の産地で、農家などは日常からうどん作りが盛んな地域であった。2008年に香川県が行った調査や国の統計資料からも都道府県別のうどん生産量(茹で、生、乾それぞれの小麦粉使用量)にしても、うどん屋店数や10万人あたりの店舗数においてもいずれも全国一位を占め、二位を大きく引き離している。実際に現地に行くと市町村のいたる所にうどん屋が点在し、店舗の形態も、商売の仕方も多種多様であるが、共通するのは総じて値段の安いことであろう。
sa19  さらしな粉 ソバの実(玄ソバ)の中心部のみを挽いた粉で、白くてほとんどがでんぷん質で、そばの香りはないがのど越しや口当たりが良いそば粉。白くて香りがないので色物や変わりそばに使うと材料の色や香り、味が引き立つ。ソバの実を粗挽きして篩にかけると、「ソバ殻」「(殻がとれた)丸抜き」「(大きく割れた)上割れ」「小割れ」「花粉」に選別される。最初に出るのが「花粉」で、打ち粉に使われる。さらに「上割れ」だけを挽いて篩にかけられたのが「さらしな粉(御前粉)」となる。ロール製粉は、粉の篩い分けと再度製粉機にかけることによって「一番粉」・「二番粉」・「三番粉」・・や「さらしな粉(御前粉)」など6〜7種類の粉に挽き分けることもできる特徴を持っている。
sa20  更科蕎麦
 さらしなそば
さらしな粉で打ったそば。白くて透き通ったそばで美しく、のど越しや口当たりが良いのが特徴。*「さらしな粉」の項参照
sa21  更科
 更科のつゆ
更科の総本家は東京の麻布十番の永坂更科で、もとは、信州更級郡の反物商として保科家の江戸屋敷に出入りし、得意のそば打ちで代々殿様にそばを献じていたことに始まるという。寛政2年(1790)に麻布永坂に「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」の看板を揚げたのに始まり、信州更級と保科家から賜った科で「更科」としたのだそうだ。現在は「総本家更科堀井」「永坂更科布屋太兵衛」「麻布永坂更科本店」などの屋号が有名である。
江戸そばのつゆで比較されるのが「薮のつゆ」「更科のつゆ」それに「砂場のつゆ」である。一般的な表現をすると「薮の辛つゆ」「更科の甘いつゆ」「砂場はその中間」などともいわれる。勿論この場合の辛い・甘いは、塩分や糖分の問題ではないし単純に味の濃い・薄いでもないから説明はむつかしい。
sa22  皿そば 兵庫県北部の郷土そば。「出石そば」を皿そばともいい、器は出石焼きの小皿を使い、5皿で一人前(だいたい男で10皿・女7〜8皿くらい食べるそうだが)、薬味5種は大根下ろし・山芋・卵・ネギ・ワサビである。
出石そばについては、「宝永3年(1706)に信州上田藩から仙石政明公が国替の時に始まる」とか「その時にそば職人を連れてきたのが始まり」だといわれている。そばの打ち方は、こね鉢は石見焼きの深鉢を使い麺棒一本で大きく丸く延し以前は手小間で切っていた。
sa23  サラダそば そばサラダと同じ。そばの食べ方は多種多彩であるが、冷たいそばと季節の野菜などの取り合わせが楽しめる一品になる。そばサラダは手間をかけず意外性もあって喜ばれる。茹でたそばとドレッシングは相性が良く、もちろんそばつゆでも良いし、そば汁にマヨネーズ、中華風のつゆなど好みの「そばサラダ」が楽しめる。
sa24  さるごま 群馬県勢多郡・北群馬郡では、そばのつなぎに「さるごま」(黄蜀葵・とろろあおい)という植物の根の部分を使うそうだ。黄蜀葵・とろろあおいは、アオイ科の一年草でハナオクラに似ていて、夏から秋に淡黄色の大きな花をつける。
sa25  ざるそば 盛りそばのこと。笊(ざる)に盛るようになったから「ざるそば」または単に「ざる」で、せいろに盛るから「せいろ」。地域や店によって意味合いが異なる場合もある。例えば、盛るうつわが同じでも海苔をかけるのを「せいろ」、かけないのが「ざる」と称して値段の差別化にする地域、または店もある。そのような場合は概してせいろの方が値段が高い。元来、「せいろ」は「蒸しそば」の名残で、現在でも熱盛りそばは蓋つきの蒸籠で出されることが多い。
sa26  山菜そば その土地の旬の山菜やキノコを使った種物。田舎そばとの組み合わせが多く、各地それぞれの山菜を使った味と香りが楽しめる。 山形県西村山郡西川町は月山山菜そばが有名で地元で採れた山菜やキノコをたっぷり使った旬の味を地域の名物にしている。月山山菜そば協同組合に加入する町内20店で味わうことができる。旬の山菜を沸騰するまで煮て、あくを取り、しょうゆやみりんで作ったたれと鶏肉を入れる。
sa27  (そば屋)三十石 大阪に「三十石」というそば屋が二軒あるがそのうちのひとつが淀屋橋三十石で現在は北浜のそば屋「手打ちそば三十石」の話。三十石船にちなんでの店名であろうが、箸袋も「三十石文庫A」となっていて、淀川の「蕎麦切り舟」を載せていた。三十石船に漕ぎ寄せる「くらわんか舟」(商い舟)の中の変わり種としてうどんやそば切りを売り回った「蕎麦切舟」があったという珍しい大阪のそばの歴史である。
もうひとつは(京橋)三十石で、現在は京橋の京阪モール5F。店の口上は、「そば」は手打ち・手延べ・手切り。
sa28  三十石舟 早船三十石とも呼ばれ京都・伏見から大阪・天満橋詰八軒屋までの約十里を昼夜二回の運行で、下りがおよそ六時間・上りは船頭が岸に上がって太綱で船を引っ張るから十時間とほぼ一日または一晩の行程だった。淀川の船運の歴史は平安の頃からといわれ、その淀川水運は最盛期・享保年間(1716〜36)には、三十石船だけで671隻と記録されている。
sa29  三十石文庫 大阪・北浜のそば屋「手打ちそば三十石」の箸袋「三十石文庫A」から。淀川の三十石船の乗船客に飲食物を商うために漕ぎ寄せる小舟を「くらわんか舟」とか「荷売舟」「貨食舟」と言い、様々なものが売られた中の変わり種として「蕎麦切舟」があり、うどんやそば切りを売り回ったという記録が元禄16年(1703)刊の「立身大福帳」に書かれているという。それによると、伏見の豪商天王寺屋長右衛門の先祖で越後浪人只右衛門が小舟で淀川の夜船へうどん・そば切りを売り始めたとあり、越後騒動で浪人した人物なので天和・貞享(1681〜89)の頃の話しだという。
sa30  山椒切り 山椒の粉をさらしな粉にごく少量練り込んだ変わりそば。芝大門更科布屋の変わり蕎麦15種類のなかに「5月 山椒切り」がある。そばの効能が書かれていて「眠気覚まし、口臭消し」とあった。
sa31  (そばの)三たて そばを一番美味しく食べる条件は「挽きたて・打ちたて・茹でたて」すなわち三たてだというそば用語。誰もが理解しやすい表現だが「打ちたて」は少し注釈が必要で、切りたてのそばをすぐに茹でるとそばが沈まずに浮き上がってしまうのでしばらく時間を置いてから茹でるのがコツ。さらに、「四たて」という言葉まであって「穫りたて」を加える。
sa32  三度ソバ
 三度蕎麦
現在ではすでに見られなくなったソバの品種で、一年のうちに三度の収穫ができたという。井上直人著『そば学』には「長友大氏によると、戦前から戦後にかけて鹿児島の山間地に夏秋兼用品種の三度蕎麦と呼ばれるソバがあったとされる。」また「1970年代の調査では、四国の山間地にだけそのような性質の在来種があったとの報告もある。」とある。また、『蕎麦の事典(新島 繁編著)』によると鳥取県、鹿児島県に記録があり、一回目を3月春分に蒔き、11月には三回目の収穫を終えるという。
ソバは生育が早く播種から収穫までの期間がきわめて短い作物である。従って、他の作物との輪作が多く、なかにはソバの二毛作も見られる。この場合は、夏ソバと秋ソバの組み合わせで二度収穫することになるが、ここにあげた「三度ソバ」という品種は一年で三度収穫することのできるソバのこと。
sa33  (ソバの)(生)産地 江戸時代前半の本格的な食物学事典で、ソバについて記述している「本朝食鑑」や江戸中期の本格的なそばの専門書といわれる「蕎麦全書」には当時のソバの産地が記載されている。例えば、「本朝食鑑」では「蕎は四方どこにもある。東北に最も多く産し、質も佳い。西南は少なくて佳くない。・・・・」とあり、「蕎麦全書」の場合は具体的な産地名をあげて有名ソバやそば粉のことを書いている。この他、多くの書物にソバの産地や生産地が書かれているが共通するのは「東北」を筆頭にして、東高西低である。
sa34  三番粉 表層粉ともいう。ソバの実(玄ソバ)は外皮(表層)になるにしたがってタンパク質が多く、ソバ本来の色や香りを持ち栄養価も高まるが食感では劣るという特徴がある。
sa35  産物帳
享保元文諸国産物帳
享保20年(1735)から、江戸幕府,は各藩(大小名領・寺社領)に指示して産物の編集作業が始まり、幕府に報告された産物調査の控えを網羅したもの。  各藩は統一された調査と報告の仕方で報告書を二通作り、一通を幕府に、一通を国許の控えとした。  そして幕府のものは消失し、各藩国許分が残っていて、これが享保・元文の産物調べである。
享保元文諸国産物帳から「蕎麦」をみると各藩の品種の多さと多様性がわかる。北は蝦夷(北海道)松前藩から南の大隅国・日向国・薩摩国の産物帳に至るまでほとんどすべての藩に数品種以上のソバが産出している記載がある。それによると、早や蒔き(早生)、遅蒔き(おくて・晩生)、秋そばなど蒔き時(収穫時)はもちろんだが、来歴らしき名前では、しなの(信濃)・熊野・いせ(伊勢)・郡内・さつま(薩摩)・きそ(木曽)・ヤマト(大和)・朝鮮など、また、ソバの実の特徴から大そば・小そば・鬼そば・米そば・餅そば・鼻高・・・などまだまだたくさんある。
「だいこん」も品種は多いが、「からみ大こん」または「鼠大根(祢つミ大こん)」を品種として報告しているのはごく一部の藩だけで、この時代「辛い大根の総称」としての辛味大根はなかったことがわかる。
     
 UP