[ き ] - そば用語の解説一覧 
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ki 1  祇園執行日記
 素麺の初見
京都の祇園社(現在の八坂神社)の事務や法会を管掌する役職の日記。康永2年(1343)の記事の中に、「自丹波素麺公事免除之間、一兩年不上、仍素麺儀沙汰之、坊人宮仕等少々來」とあって、これが「素麺」という表記の初見である。なお、これより先の暦応3年(1340)正月の「師守記」に「麦麺」という記述があり、さらに2月10日「華麺」が登場する。これを素麺だとする説もあるが、あくまでも「素麺」という言葉の初見は祇園執行日記といえる。
ki 2  機械打ち 「手打ち」に対してそばやうどんを製麺機で作ること。わが国の製麺機開発は有名な話で、佐賀県出身の真崎照郷が木綿糸繰機にヒントを得たことに始まる。 明治16年に製麺機第1号を完成させて明治21年に特許を取得し、その後、新規参入を含めて関心が高まっていくが、実用化されて普及するのは大正時代で、電動は昭和に入ってからである。
ki 3  菊練り 菊もみともいう。木鉢の作業で練り込みを外側から内側に折り込みながら回転を繰り返し纏めていくとしぼり込んだしわの中心ができる。これが菊花に似るので菊練りという。そば玉になめらかな艶をだす作業で、しっとりとした艶をだすことが大切で、初心者はともすると形を作ることだけに専念してしまう。
ki 4  キーノゾマ
  切野蕎麦
「焼畑」という言葉は、日本の各地に存在したさまざまな呼び名を総称的に付けた「造語」であるが、九州に多く見られるのはコバ、アラマキ、カンノ、キーノ・・などである。佐賀県神埼郡には焼野をキーノ(切野)といって、そこで採れたソバやアワ、イモなどにはキーノゾマ(切野蕎麦)、キーノアワ(切野粟)、キーノイモ(切野芋)などといった。熊本県の八代郡坂本村市の俣では、ソマコバ(蕎麦木場)、カライモコバ(唐芋木場)などといった。*コバ(木場、小場、古庭で焼畑) *ソマ(熊本や大分の一部でソバのこと:古くはソマムギ)*カライモ=薩摩芋。
ki 5  生粉打ち(きこうち) つなぎを入れずそば粉だけで打つこと。そば切りの初期の頃、そば粉だけでそばを作る生粉打ち(きこうち)であった。そば粉だけを「生粉(きこ)」、つなぎの小麦粉が「割り粉」である。一般的に、そば粉だけ(十割)で打つのはむつかしく湯練りにするか、つなぎを入れて打つ。
ki 6  生粉そば つなぎを入れずそば粉だけで打ったそば。「きそば」ともいうが、後世、そば屋の看板に現れた「きそば」「生そば」も、当初の頃は「混じりなしのそば粉だけで打ったそば」という品質や他店との差別化を表すものであったが、その後、そば屋であることの単なるキャッチフレーズやそばの別称のように使われるようにもなってしまい、「つなぎを入れていないそば粉だけ」の意味は置き去られて使われている場合がある。
ki 7  きざみ
 きざみうどん・きざみそば
油揚げを煮込まずに短冊切りしてそのままかけうどんやそばに乗せる。「きざみうどん」「きざみそば」。主として関西に多い。。油揚げそのものの味わいや、熱いだしを吸った油揚げと刻んだ青ネギが似合う。「きつね」とは異なるいたってシンプルな種物といえる。
ki 8  木地椀 原木を削って整えた椀。もともとは塗りも施されていない素朴な椀のこと。岩手県花巻・盛岡の「わんこそば」のわんこの「わん」は平椀で「コ」は小さく愛すべきものに付けるこの土地の方言。娘っこ、馬っこなど、飲んべえにとっては酒も「酒っこ」となる。
ki 9  碁子麺 室町時代初期に登場する碁子麺は、小麦粉をこねて竹筒で碁石の形におし切り、ゆでて豆の粉を振りかけたもの。いま名古屋地方で名産のきしめん(棊子麺)は平打ちうどんのことで異種。
ki10  紀州のそば 幕末の頃の紀州(和歌山)のそばは玉子つなぎであった。紀州田辺藩の医師原田某が書いた「江戸自慢」のなかで、「(江戸の)蕎麦は鶏卵を用いず小麦粉にてつなぐ故に 口ざわり剛(こわ)く 胸につかへ 三盃とは食ひがたし 汁の味は至極美にして 若山の蕎麦を江戸汁にて食ば 両美相合して 腹の裂けるを知らず食にや有らん」とある。*江戸自慢の項参照
ki11  季節そば 旬の材料を使って季節感を楽しむ種物。例えば、冬の牡蠣そば、早春の白魚そば、春の鯛そば、梅雨入りの穴子そば、夏祭りの鱧そば、秋になれば松茸や鴨といった四季折々の出会い物が蕎麦にはある。
ki12  生そば(生蕎麦)
 看板・字体
「生粉そば」の項参照。他に、そば屋の看板や暖簾には昔から見慣れた独特の字体で「きそば」とか「そば処」などと書かれたものが多い。江戸時代に使われた変体仮名のひとつで、「そば」の字母は「そ=楚」と「ば=者をくずし、点々」であるが、明治に入って平仮名が「一音一字」に統一されて以来一般には使われなくなった。
ki13  木曾街道続膝栗毛 十返舎一九の滑稽本。弥次・喜多を主人公にした広範囲にわたる旅行案内紀行文である。享和2年(1802)の東海道中膝栗毛から始まり木曽街道続膝栗毛は文政5年(1822)まで刊行された。十辺舎一九は「木曾街道続膝栗毛」で「寝覚蕎麦越前屋」について「それより寝覚めの建場にいたる。此ところ蕎麦切の名物なり、中にも越前屋といふに娘のあるを見て、名物のそばぎりよりも旅人はむすめに鼻毛のばしやすらむ・・・」など書いている。
ki14  喜多方ラーメン 福島県喜多方市は蔵の街であるとともにラーメンの町である。喜多方市には昭和の初め頃から屋台から始まったラーメン屋があった。全国的に有名になるのは、NHKが昭和50年に「新日本紀行・蔵住まいの町喜多方」を放映し、同じく昭和57年にも「東北の麺」で紹介したことが「蔵の町喜多方」とともに「喜多方のラーメン」を有名にした。
ki15  喜多村信節
 嬉遊笑覧
江戸後期の国学者で考証学者。江戸時代の風俗や習慣などを諸文献から抜粋して考証した「嬉遊笑覧」文政13年(1830)刊には「享保半頃、神田辺にて、二八即座けんどんといふ小看板を出す。二八そばといふこと、此時始なるべし」とあって、これが「二八」と「けんとん(けんどん)」という言葉の出現時期とされている。
ki16  キタワセソバ 来歴をたどると、伊達在来種から昭和5年に選抜された夏型の生態系をもつ富良野の牡丹ソバから、さらに改良品種として平成元年に育成された北海道の優良品種。現在、北海道の奨励品種はキタワセソバ、キタユキ、および牡丹ソバであるが、流通する大半はキタワセソバだといえる。キタワセソバの特徴は早熟、多収の夏型である。
ki17  きつねうどん 甘辛く煮た油揚げを乗せたうどん。信太(しのだ)とも。大阪ではそばに油揚げを乗せると「たぬき」。東京ではうどんでもそばでも油揚げを乗せると「きつねうどん」「きつねそば」で、天かすを乗せたものが「たぬきうどん」「たぬきそば」。京都では刻んだ油揚げの上から葛餡をかけると「たぬきうどん」「たぬきそば」。天ぷらを揚げたときの天かす(揚げ玉)を乗せると東京は「たぬき」だが、京都・大阪では「はいから」といった。
ki18  きつねうどんの元祖 いくつかの説があり、江戸時代末期から明治の初期の頃に大阪で誕生したとされる。通説では、船場の大阪うどんの老舗・松葉家が明治26年に開店したとき初代が考えたといわれている。いずれにしても、信太ずし(いなりずし)のあの甘辛く煮付けた油揚げが原点である。
ki19  きつねうどん口伝 大阪船場の大阪うどんの老舗・松葉屋の二代目主人・宇佐美辰一から三好広一郎、三好つや子が聞き書きした大阪うどんときつねうどんの本。【きつねうどん口伝 松葉家主人・宇佐美辰一(聞き書き) 筑紫書房】
ki20  杵屋うどんすき事件 「うどんすき」は、大正13年に麺類店として大阪・船場で創業した美々卯の先代・薩摩平太郎が戦後に考案し、昭和35年に商標登録をしている。そのため多くの麺類店では「うどんすき」の名称は使えず、わざわざ別の名前にする例が多かった。こんななか、グルメ杵屋が自社の「うどんすき」を「杵屋うどんすき」として昭和63年に出願して平成3年に商標権が認められたのに対し、美々卯が特許庁に無効審判を請求するという事案があった。「杵屋うどんすき事件」で、平成9年、すでに普通名称であるとする東京高裁の判決が下った。
ki21  (生そば)衣笠 大阪・北区老松町にあるそば屋「生そば 衣笠」。昭和24年創業で、かつての伝統的な町場のそば屋。【収集品】摂津名所図絵、日本唐土二千年袖鑒、大坂・砂場のそば猪口など所蔵する資料が多い。
ki22  きのこそば キノコをのせた秋冬の種物。舞茸、椎茸、しめじ、なめこなどをかけ汁で軽く煮てのせる。きのこの風味がでるのでかけ汁を多少薄めにしてつゆを味わえるようにするのもよい。
ki23  木の芽切り 木の芽(山椒の若葉)をすり鉢ですって糊状にし、さらしな粉に練り込んだそば。淡いみどりと山椒の香りの季節そば。
ki24  木鉢  こね鉢 そば粉に水を加えこねるときに使う鉢。総称としては「こね鉢」で、木製のものが「木鉢」。一般的には、内側が朱色で外側が黒(黒内朱)。上物の木地・漆塗りは高価だが、樹脂漆仕上げ、樹脂ウレタン仕上げなど手の届きやすい価格帯で材質・種類も多く、形状にも浅型・深型などがある。昔の標準サイズは二尺(60センチ)とされていたそうだが、尺4寸(外径42センチ)、尺5寸(45センチ)、尺6寸(48センチ)、尺7寸(51センチ)・・などサイズも多い。自分の力量に応じた使い勝手を重視して選択したい。*>[画像]は相当年代物の木鉢。
ki25  木鉢下 そば屋だけの用語。本来は木鉢(こね鉢)を据えるために置いた丸桶のこと。そば粉は小麦粉と混合しておいた方が鮮度が保てるとされ、そば屋独自の配合をした混合粉を木鉢の下の丸桶に入れてそば粉を保存する役割も兼ねた。木鉢の下にある粉から木鉢下と呼ばれることになった。
ki26  京菓子 宮中・公家や寺院などの儀式や行事に使われて発達した京都の菓子。京都では、古くから「京菓子」を作る菓子職が発達した。そば切りとの関係では、菓子の注文とともに寺院などからはそば切りの依頼も多くなって、「菓子司」が蕎麦切りをも兼業することになるという、他の地域とは異なる発展過程を辿った。
ki27  京都井筒屋
    如心松葉
蕎麦粉の味を生かした京銘菓のひとつ。元はそば屋であった京都井筒屋の「如心松葉」は蕎麦粉と芥子、肉桂、和三盆を練って、薄く延ばし松葉の形に成形して焼いた京菓子。
ki28  郷土そば 古くからその土地にだけ伝わる伝統的なそば切り、固有のそば文化。近年まで、そのほとんどは座ってそばを打つ座姿勢であり一本の麺棒で丸く延し広げ、畳んだ生地に手を添えて「手ごま」で切る独自のそば打ちの技法を伝えてきた。これに対し、江戸流に代表される現在のそば打ちは、立ち姿勢で、麺棒はのし棒一本と巻き棒二本を使い、丸(円)の工程から四角(正方形→長方形)にしながら薄く広く延し、畳んだ生地を「小間板」という一種の定規様の添え木を使って切る手法に変わっている。
ki29  享保世説 享保年間(1716~35)の世相を記した書。その中に「仕出したは即座麦めし二八そば みその賃づき茶のほうじ売」という落首を記している。「二八そば」という言葉はこの頃に出現したようだ。
ki30  切らず玉 そばを打つ最初の工程の「水回し」で加水に失敗して軟らかくなり過ぎたそば玉。やむを得ずそば粉かつなぎ粉を入れて作業を続けて打ち終えるが、美味しいそばにはならず、そばのつながりも悪いため茹でたときにそばが切れてしまう。これなら、初めから「切らずに捨ててしまった方がよい」という意味。そばを打つ工程のなかで「水回し」がもっとも難しい作業で、初心者でなくても慎重さを欠いたときにやりがちな失敗である。これとは別に「ずる玉」という言葉がある。これは承知の上で加水量を増やして軟らかくしたそば玉のこと。軟らかいので捏ねも延しも楽だが、打ったそばには艶がなく茹でても美味くない。
ki31  霧下そば 信越県境に接する妙高、黒姫、戸隠の標高500~800mの山裾地帯は水はけのよい火山灰の黒土の土壌で、気象条件は昼夜の寒暖の差が激しく夏でも冷涼で、朝夕に霧が発生しやすく、秋ソバの生育と結実に適している。このような地域で収穫されるソバは香り・色・風味などに優れた良質で、昔から霧下ソバといって評価されている。東京都墨田区には、これと同じ「霧下そば」という名称を登録商標にしている安永元年創業という製粉会社「霧下そば本家」がある。
ki32  切り板 手打ちそばを切るときの本格的なまな板。きりばん。材質は包丁の当たり具合のやさしい銀杏や朴の木などが使われるが、桐材や檜もあり、特に寄せ木細工のものは使っていて狂いが生じにくいとされ高級品である。
ki33  切葉地大根 長野・松本市波田・山田・朝日・塩尻市で栽培されている切葉松本地大根。葉は京菜に似て切れ込み、根形は尻詰まり型でやや下ぶくれ、白を基本とし首部は淡緑色。肉質は緻密で硬い。辛味が強いが、漬け込むと辛味が美味に変わる。
ki34  切り巾
  手打ち
江戸のそば職人によってそばの切り巾の御常法(御定法)が確立されたとされている。そばの太さ(細さ)を、畳んだ生地一寸(3.03cm)を23回で切るとした。これを「切りべら23本」ともいって、一寸を23本に切るから一本が約1.3mmとなる。これが「中打ち」で、基本ともいえる並そばの幅である。これより太いそばを「太打ち」、細いのが「細打ち」である。これを 「太打ち」や「細打ち」の数値にあてはめると、太打ちは「切りべら15~10本」で切り巾は2mmとか 3mmの太さになり、地方で出会う太い田舎そばなどに相当する。細打ちは変わり蕎麦などに多く、「切りべら40~45本ほど」だから 0.7mmくらいの細いそばで、さらに細い「極細打ち」になると 「切りべら50~60」で仮に60本だと0.5mmの勘定になりまるで削ったような細さである。*「切りべら」「極細打ち」の項を参照
ki35  切刃番手 「機械打ち」の麺の太さは、JIS(日本工業規格)で決められた「切刃番手」が基準になっている。30mm幅の麺帯を何本に切り出すかを番号で表し、4番、5番、6番、8番 ~ 28番、30番(5番以外は偶数)とあって、小さい番手は麺は太く(または、麺が広く)、大きい番手は細い麺となる。そばの場合は大体、18番(1.67mm) ~ 24番(1.25mm)、うどんは8番(3.75mm) ~ 16番(1.88mm)あたりが標準で、この他、素麺は細い番手(~26~30)で、ラーメンはそばと同様の番手が標準のようだ。
ki36  切りべら 「切りべら」は「切平」とも。そばは、延した生地の厚さと同じ幅に切る、すなわち切ったそばの断面はマッチ棒のように正方形が正統だが、延す薄さ(厚さ)よりも切り巾を薄く切ることを「切りべら」という。延した厚さよりも切り巾を薄く切ること。例えば、「中打ち」は「切りべら23本」で、生地を約1.5mmに延して一寸(3.03cm)を23本に切るので一本の巾は約1.3mmとなる。そばの断面は縦長ぎみの長方形になるが、薄く切ることによって麺自体を細くした勘定になる。この反対は「のしべら(延平)」で延しの厚さより切り巾のほうが広い形をいう。「切りべら」という言葉の背景を考えると、昔のそば粉では、現在との比較で生地を薄く延すのが大変で、細くするために切りで厚さを減らした「切り減らし」からだろう。註)マッチ棒を例示したのは断面正方形をイメージするためで太さではない。ちなみにJISによるマッチ棒の太さは1.8mm以上である。 *「のしべら(延平)」の項参照
ki37  きりむぎ
   切むぎ
練った小麦粉を引き延ばして切った麺。室町時代になると、切麺、切麦、冷麦、冷麺などの言葉がさかんに登場する。すでに素麺や饂飩は登場しているのでこれらとは別の麺であったことがわかる。ただ、京都・本家尾張屋の軒にかかる近世初期の麺類屋の看板:招牌(ショウハイ)には「そば切 切むぎ」とあり、この場合はむしろ饂飩またはそれよりも細めの麺であったと考えられる。
ki38  切り麺 練った小麦粉を引き延ばして細長く切った切り麺。当時は、素麺(索麺)や饂飩、蕎麦切の他に切麺、切麦、冷麦、冷麺などの言葉がさかんに登場する。切り麦も同類であろう。
ki39  救荒穀物 凶作飢饉に備えて貯蔵しうる穀物、または、気候不順にも耐えて生育し収穫し得る作物。稗、粟、蕎麦、黍、甘藷、馬鈴薯、大根(輪切の大根をゆでて乾燥する)などが主たるものであった。
ki40  逆二八説 この場合の「二八」は、主原料のそば粉が八割でつなぎ粉二割だが、これの逆、つまりそば粉二割でつなぎ粉八割であるとする説。もともと、主原料のそば粉が八割でつなぎ粉が二割であれば、「二八」とはいわず「八二」の筈だが、「二八」としているのは、そば粉二割で小麦粉八割だからとする。
ki41  ギャブレ ダッタンソバをチベットでは「ギャブレ」。中国では「クーチャオマイ(苦ソバ)」、ネパールは「ティート・バーバル」。ラテン語の学名は「ファゴビラム タータリカム、ゲルトネル」で、ラテン語の「タータリカム」を日本語に訳した「タタール人の:ダッタン人の」が日本での呼称となった。「ファゴビラム」は「ソバ属」、ゲルトネルは命名者の名前。
ki42  嬉遊笑覧 江戸後期・文政13年(1830)成立の随筆。喜多村信節による江戸時代の風俗習慣などを集め、分類・考証を加えた百科事典。そばの関係では、「享保半頃、神田辺りにて二八即座けんとんといふ看板を出す・・・  二八そばといふことこの時はじめなるべし」とあって、これが「二八」と「けんとん(けんどん)」という言葉の出現時期とされている。また、そばの「南蛮」について「昔から異風なるものを南蛮風という 葱を入れると南蛮 鴨を入れると鴨南蛮と呼ぶ」とある。
ki43  極め水 振り水ともいう。木鉢の作業でそば粉への加水は、一回目の水回しと二回目の水回しを終え、状態を見極めながら残り水を手振りで回しかける。微調整の極め水なので慎重に行うことが大切である。
ki44  斤(きん)一斤など 近年、ほとんど使われなくなった「そば屋の用語」だが二通りが残っている。ひとつは、一人前とか一枚、一杯などに相当する「そばの分量」で一人前を「一斤(いっきん)」大盛りだと「一斤半(イチハン)」とか「二斤」である。現在でも、主として熱盛そばを品書きにしているそば屋が使っている。もう一つは「そば屋の通し言葉」である。やはりそばの分量に関するもので大盛りは「きん」、小盛りだと「さくら」。「もり一枚きん」で大盛り一枚、「もり一枚 台はさくら」(桜はきれい)少なめに。以上が、そば用語としての「斤(きん)」であるが元々は古くからの重さの単位からの名残りと思われるが、同様に食パンの数え方にも斤(きん)が使われるケースもある。*尺貫法としての1斤は160匁(もんめ)で、600グラム(1匁=3.756g)。
ki45  きんぷら(金麩羅) 天保7年(1837)に出版された江戸名物詩初編に、深川熊井町の「翁蕎麦」の次に深川櫓下の「金麩羅仕出」について書いていて、会席料理品とある。流行っていた屋台の天麩羅と差別化するために工夫されたのであろう。小麦粉の代わりにそば粉を衣にしたり、当時は高かった卵黄だけを衣にしたとか、榧(かや)の油で揚げた天ぷらなどといわれるが詳細は分からない。実際には、そば粉を衣にして揚げた天ぷらは風味は良いが小麦粉よりも黒っぽく仕上がる。卵黄だけを衣にするときれいな色に仕上がるがさくっとしすぎる。などといわれる。
     
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