[ け ] - そば用語の解説一覧 
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ke 1  慶長見聞集


     マチノ風呂
江戸初期の江戸の町の形成や世相風俗などを書いた随筆書。著者は三浦浄心(五郎左衛門茂正)で慶長19年(1614)成立とされる。この中の「ゆなふろ繁盛の事」で江戸の町の風呂屋(せんとう風呂)の始まりや慶長19年頃の風呂屋の繁盛ぶりについて書いている。これは、江戸におけるそば切りの初見である慈性日記に登場する「マチノ風呂」と同時代で、慈性たちが行こうとした風呂屋の様子をうかがい知ることができる。
ke 2  京坂温飩屋(の図) 天秤棒を担いでそばやうどんを売り歩く図。棒手振(ぼてふり)とか振り売りとも言う。江戸時代は、店を張らずに広く町中で商いをする物売りが繁盛していた時代で、そばやうどん売りは勿論のこと、野菜・魚・飴・甘酒・水・氷・すし・・といった食べ物、薬類・小物・道具類などさまざまな物を売り歩いた。その姿は、江戸時代から明治の頃まで続き、職種によってはほんの少し前の時代までどの町でも見られた風景であった。 図は、守貞漫稿にある大坂唐辛売りと、京坂温飩屋の振り売り。
ke 3  鶏卵うどん 掻き玉うどんともいう。片栗粉か葛粉でかけ汁にとろみをつけ、玉子を溶き入れた種物、すなわち、「あんかけ」と「玉子とじ」を合わせたような種物(かやくうどん)。そば屋では、そばを台にする場合もある。薬味にはおろし生姜が好まれる。
ke 4  けっから大根 伊吹大根のこと。滋賀県伊吹山の麓、坂田郡伊吹町大久保地区に産する辛味大根。小型で尻づまり型で土中に浅いので蹴って掘り起こすので「けっから大根」。来歴は不明だが、古くから「峠の大根」としてこの地の名産品で、「鼠大根」とも「蝮大根」(まむし)と呼ばれる。*伊吹大根・峠の大根・鼠大根・蝮大根の項も同じ。*森川許六は「伊吹ソバ天下にかくれなければ、からみ大根また此山を極上と定む」と述べている。
ke 5  化粧水 けしょうみず。茹であげられたそばの洗いの仕上げにきれいで冷たい水を一、二杯かけてそばを締め、おいしくする。この水を「化粧水」という。洗いの順序から見ると、先ず、茹であがってあげられた直後に、粗熱をとるための冷たい水を三、四回かける。これを「面水(つらみず)」という。このあとも洗いでぬめりをとり、化粧水で仕上げとなる。いずれも、そばがきれいに締り、きりっとしたおいしいそばになる。*「面水」の項参照
ke 6  下手物  げてもの




    くらわんかの皿
「下手物(げてもの)」という言葉がある。「高価な精巧な品」に対する反対語として使われ、ときに下手物趣味などといって奇妙なものを好む場合の表現に使われたりする。しかし元々は、陶器など骨董の世界から出た言葉であって上等な美術工芸品などを「上手(じょうて)」「上手物」と言う。これに対する「下手」「下手の物」は、本来は素朴で力強い美しさを持った、かつて日常使われていた簡素であっても捨てがたい趣を持った雑器などをさす言葉である。この下手の代表格に古伊万里の「くらわんか」の皿や茶碗がある。くらわんか舟のなかには蕎麦切舟もあって、乗船客にうどんやそば切りを売り回ったという。その皿や茶碗が今も淀川の川底から出てくるそうだ。
ke 7  ケルセチン クェルセチン。ルチンと同じフラボノイドの一種で、ミカン類、タマネギやソバなど多くの植物に含まれる。ケルセチンもルチンも共にビタミンP(ビタミン様物質の一部)でさまざまな薬理作用を示すことが注目されている。*ビタミンPはビタミン様物質(ビタミン様の働きがある)つまりビタミンではない。
ke 8  (ソバ)原産地  原産地については、1990年に中国・雲南省でソバの野生祖先種が発見され、その後も、四川省、雲南省、チベット自冶区の境界地域や東チベットの地域などでも発見されたことにより、中国の西南部の比較的狭い地域だとするのが有力となっている。それまでの説では中国東北部(旧満州)・モンゴルなどのアムール川流域説や、中国南部またはチベット・ヒマラヤ説などがある。日本では縄文早期の遺跡からもソバの花粉や種子が出土し、弥生遺跡ではコメ・オオムギ・コムギ・アワ・ヒエ・キビなどと共に栽培穀物として出土している。
ke 9  元正天皇 奈良時代前期の第44代天皇(女帝)。「続日本書紀」によると養老6年(722)7月に発せられた詔に「今夏無雨苗稼不登 宣令天下国司勧課百姓、種樹晩禾蕎麦及大小麦、蔵置儲積以備年荒」とあり、旱害に備えるために、晩稲(遅く実稲)や蕎麦、大麦小麦を植えて備荒対策とするように指示を出している。これが、わが国で蕎麦の栽培について書かれた最初の記録である。昭和8年(1933)に京都で開催された全国麺業大会で元正天皇を蕎麦祖神と定めた。
ke10  献上そば 江戸時代、将軍家へ蕎麦を献上する藩があった。享保・元文期に幕府に提出した諸国の産物帳のなかに、例えば、信濃国高遠領産物帳には将軍家への献上物は「松茸、芽独活、蕎麦、岩茸」と記され蕎麦が献上されていた。また、厳寒期の清流に浸して後、天日と寒風に晒した「寒晒蕎麦」を高遠藩とやはり信濃国諏訪の高島藩が将軍家へ夏の土用に献上していたともいう。明治以降では、天皇が地方に行幸のおり召し上がった蕎麦について「献上した蕎麦」「献上蕎麦」を名乗っている場合もある。
ke11  玄そば  玄ソバ ソバの実の果皮(殻)を付けたままの実のこと。玄は黒色の意。
ke12  (僧) 元珍 江戸時代の初期に、そばのつなぎに小麦粉を入れる手法を教えたとされる南都東大寺に来ていた朝鮮の僧の名前。本山萩舟が「飲食事典」のなかで書いている。「割り粉」すなわち小麦粉による「つなぎ」の初見であるが出典を記していないのが難点である。飲食事典の初版は昭和33年平凡社から出版された。
ke13  けんどん けんとん 諸説あるが「慳貪」の字が定説。「けんどん」もまた、「二八」と同様でたしかな語源はわからないが、いまでは慳貪と書いて不愛想などのことであるとか、けんどん箱など岡持(出前用の箱)のことであるとか、とりあえずは「つっけんどん」という言葉の始まりであろうと言うことになっている。また、江戸時代中期以降、そばやうどん、めしや酒などを愛想もなく盛り切りの一杯で出したとも。
ke14  けんどん箱 出前用の箱(岡持)のこと。けんどん箱には蓋が付けられ、蓋のちょうど胸のあたりに小さい穴をあけ指を入れて開閉するようになっていたが、後につまみ(取っ手)を付けた。慳貪箱は現在も出前用には欠かせない道具になって使われている。
     
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