[ あ ] - そば用語の解説一覧 
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a 1  合鴨・家鴨
 鴨南蛮
江戸時代から鴨鍋はネギやセリと煮て臭みをとっていたが、その後合鴨(あいがも)の肉が使われることが多くなった。マガモを家禽化した合鴨・家鴨(あひる)は飼育の歴史が長く、大坂では秀吉が飼育を奨励した記録もあるという。
日本料理では「鴨とネギ」は相性がよく、それにそばが加わって南蛮の代表格である「かも南蛮」が最初に売り出されたのは文化年間(1804〜18)の江戸である。もともと鴨に脂ののる冬が旬とされた。
a 2  会津藩
 会津のそば
高遠のそばが会津へ伝わったという話。信濃・高遠藩の藩主・保科正之(二代将軍・秀忠の四男)は18年間高遠で育ち、出羽山形藩7年を経て会津藩へ23万石で入封して藩祖となる。「信濃・高遠のそば」を「山形」や「福島・会津」に伝える役割を担った可能性が高い。
a 3  会津包丁 会津周辺で古くから使われる珍しい型のそば包丁。刃物本体の上部に長方形の窓があいて握るための柄部分になっている。会津型そば包丁とか中抜き包丁という。包丁に共通する外部に突出した握り部分は無く、包丁本体の上部に長方形の窓があいているので窓あき包丁とも。
a 4  相乗り あいのり。種類の違うそばを同じ器に盛り合わせること。例えば、その店の並みそばと田舎そば、色物との組み合わせなど。三色そばなど。そばとうどんの相乗りは、そばつゆとうどんつゆが付く。
a 5  あおい(葵) ソバの女房詞。ソバの実は三つの角(三稜)があることからミカド(帝)に通じるとして御所では忌み言葉とされ、代わりにソバの葉と葵(アオイ)の葉の形状が似ているところからアオイといい換えた。
a 6  安家地大根 そばの薬味:辛味大根。岩手・岩泉町安家地地区の地大根。表皮は鮮やかな紅色で辛味が強い。
a 7  秋新(あきしん) その年の秋に収穫されたソバのこと。ソバの収穫は夏と秋があるが、昔から風味も色合いも良い秋のソバだけを「秋新」とか「新そば」といった。夏ものは「新そば」とは言わず「夏ソバ」と言って秋物と区別される。*ソバの品種としての夏型、秋型、中間型などの類別(栽培生態系)ではない。
a 8  あきたおにしぼり 鹿角市の八幡平ら松館地域の松館しぼり(辛味)大根は目が覚めるほどの辛さで「しぼり汁」だけを使う特徴がある。交雑・新品種の「あきたおにしぼり」は更に辛くて甘みもあるので薬味に最適だという。
a 9  揚げ笊 茹でたそばを釜からあげるのに用いる大きな笊で、そば屋専用の道具。茹で釜の対流を利用して笊を構えて一気にすくい上げるので釜の大きさに合わせた大きな竹製のざる。一般では、柄付き平笊の「揚げざる」「麺上げ」、茹でたそばを一気にすくいあげる「すくい網」などを使う。
a10  揚げそば 切りたてのそばを中温(160°程)のサラダ油できつね色に揚げる。揚げたてに粗塩を振りかけるとつまみや突き出しに最適。 短冊に切ったり松葉模様にして揚げたり、餡かけなどにも応用できる。あんかけにすると固焼きそば風で楽しめる。上手く揚げるコツは「ちょうど良いきつね色」になる手前で油から上げるときれいな色に仕上がる。
a11  揚げ玉そば

「たぬき」 「はいから」
かけそばに天かす(天ぷらの揚げ玉)をのせたのを「揚げ玉そば」ともいった。もっとも質素な種物だったが、東京では「たぬきそば」「たぬきうどん」であり、京都・大阪では「はいから」といった。その後、そば屋やうどん屋のなかに、天かすをトッピングとして自由に入れられるように置くケースが現れるようになって、種物(かやく)としての価値がなくなった。
a12  アゴ (あご)だし アゴは飛魚の別名で、主として九州や山陰地方での呼称。焼き干しにしてとった出汁が「あごだし」で、上品ですっきりした旨みとこくが特徴。そば、うどん、素麺、ラーメンなど麺類はもちろん、広く和風だしとして使われる。
a13  浅草薬師・東光院
(明暦の大火以降)
江戸におけるそば切りの初見である「慈性日記」に登場する東光院は当時・小伝馬町にあった。おそらく慈性が逗留していた寺で、そば切りもそこで振る舞われたと考えられる。明暦の大火以降浅草・新寺町に移り、歴史の変遷で寺はうんと小さくなったが現在も健在である。
a14  あざき大根(弘法大根) 福島・大沼郡金山町の在来種で、栽培品種が野生化、硬くて食べられないので人を欺く「あざむけ大根」とか、みためが小さい割りに辛く人を欺くなどからついた名前。辛味が強くそばの薬味。元々は高遠の地大根が移入されたという説もある。
a15  浅草海苔 かけそばに海苔を上置きした種物はいくつもあるが、この海苔の代表は浅草海苔であろう。諸説あるが、生簀にヒントを得て養殖法を開発し、隅田川で盛んだった紙漉きをまねたともいわれる「抄(す)き海苔」の薄くて四角い海苔を考案したのは享保年間(1716〜36)の江戸で、浅草海苔の始まりとされる。
浅草寺や寛永寺が好んで精進食品として用いたことで江戸の庶民にも需要が広がり、諸国にも普及したとされている。なお、各地にも海苔養殖の歴史はあるが江戸時代の後期以降に江戸から伝わったといわれる。
a16  仇敵 手打新蕎麦 文化4年版(1807)南杣笑楚満人作 歌川豊広画の黄表紙で「仇敵 手打新蕎麦(あだがたき てうちしんそば)」。画面には麺棒が複数本で四つ出しをしているようにも見える。他にも切ったそばを入れる生舟、包丁の重量感などそば切りの時代考証としても貴重である。*黄表紙は、江戸時代中期以降に流行した草双紙。*「生舟」の項参照
a17  麻布永坂更科本店 さらしなそばの始まりは、保科家の江戸屋敷に出入りしていた信州更級郡の反物商が、更級と保科家から賜った科で「更科」としたのだそうだ。寛政2年(1790)に麻布永坂に「信州更科蕎麦処布屋太兵衛」の看板を揚げたが、現在は「総本家更科堀井」「永坂更科布屋多兵衛」「麻布永坂更科本店」の屋号などにわかれている。
a18  小豆ばっと 「はっと(法度)」はそば粉や小麦粉を平たい麺状に延ばしたもので、あずきばっとは、この麺に小豆餡をつぶしてまぶした汁粉のよう。岩手県や青森県でみられ、振舞でも食べられた郷土料理である。岩手の方言では、「あんずきばっと」。「はっと」のそば料理で「柳ばっと」「柳葉」があって、そば粉を水でこねて寝かせ、小さくちぎって柳の葉のように形を整えた薄い団子を作り、野菜などと一緒に煮込む。味噌または醤油で整える。
a19  羮学要道記 「茶湯献立指南」元禄9年(1696)に次いで「そば切包丁」が用途別に分類されて掲載された元禄15年(1702)の料理書。「蕎麦斬包丁」とある。まだ現在のような特化は認められない。
a20  熱盛りそば 普通、そばの食べ方の基本形は「盛りそば」と「かけそば」で、前者は「ざる」や「せいろ」の冷たいそばで、そばつゆに浸けて食べる。後者は茹でたそばを器(どんぶり)に盛り、熱いそばつゆをかけている。これらに対して熱盛は、「もり」の熱い状態のそばで、熱いつゆに浸けて食べる。そば切り初期の頃、そば粉だけで作るので切れやすく蒸す方法がとられたからとか、菓子職人の技方からそばも蒸籠で蒸された時期もあった名残だとするなどの諸説がある。実際には、茹でて洗ったそばをもう一度熱い湯に通したり、盛りつけた蒸籠の上から熱湯を掛けるなどの方法がとられる。江戸時代の後期から明治にかけて流行り、「蒸しそば切り」ともいった。
a21  敦盛蕎麦 須磨(神戸市)には源平合戦の折に一の谷で敵の熊谷直実に討たれた平敦盛(たいらのあつもり)を供養した敦盛塚がある。江戸時代のいつの頃からか、敦盛とそばの熱盛をかけて「敦盛蕎麦」と名乗るそば屋が開業してたいそう繁昌し、西国街道を行く旅人や参勤交代の一行が立ち寄ってそばを食べた。寛延4年(1751)の「蕎麦全書」にも「播州舞子浜 敦盛そば」と書き記されたが、明治の初め頃に無くなった。
*リンク先の[画像]は明治に入ってから撮られたものと思われる。
a22  穴子南蛮 穴子のかば焼きとネギをかけそばにのせたもの。南蛮ものでは鴨南蛮が最も早く文化年間(1804〜18)といわれ、穴子南蛮や親子南蛮は江戸時代末期にそば屋の品書きに登場している。
a23  あまからぴん
親田辛味大根
長野・下伊那郡下條村親田地区の蕪のような扁平の辛味大根。はじめはほんのり甘く次に強烈な辛味がくる。甘みの中に辛味があるので「あまからぴん」という。また、白と赤があり、白い方を「ごくらくがらみ」、赤い方を「とやねがらみ」として品種登録している。
a24  甘汁 あま汁。関東地域でのそば汁の用語。温かい「かけそば」や「種物」にかける薄い汁のこと。さらに店によっては、種物の具にあわせての加減をする場合もある。これに対して「辛汁」は冷たい「もり」や「せいろ」のつけ汁用に使う濃い汁のこと。*「辛汁」の項参照
a25  天野信景 尾張藩士で国学者。雑録(随筆集)・「塩尻」の巻之十三宝永(1704〜11)のなかに、「蕎麦切は甲州よりはじまる、初め天目山へ参詣多かりし時、所民参詣の諸人に食を売に米麦の少かりし故、そばをねりてはたことせし、其後うとむを学びて今のそば切とはなりしと信濃人のかたりし。」とそば切り発祥甲州説を記している。*「塩尻」の項参照
a26  あまもっくら
 戸隠地大根
長野・戸隠村上野地区の在来で「上野地大根」といわれていた大根は、辛さの中に甘味があるので「あまもっくら」といわれていた。主として漬け物用品種として長く自家採種が行われてきたなかから漬け物用、おろし用品種として「戸隠おろし」の名称で平成14年に品種登録された。
a27  霰そば
 あられそば
かけそばの上に海苔を敷き貝柱を散らした暖かいそば。貝柱は江戸深川や千葉・行徳などでとれた馬鹿貝(江戸時代の呼称で現在ではあおやぎ)の小柱で、そば屋の定番になっていく。鬼平犯科帳では貝柱のかき揚げを浮かせた天ぷら蕎麦として登場させているが、天ぷらはもう少し時代が下ってからの出現であったと思われる。
a28  アリルイソチオシアネート またはイソチオシアン酸アリル。大根の辛味成分は、ワサビ、カラシ、などアブラナ科の植物に含まれる化学物質(芥子油)である。辛味大根は皮付きでおろすと辛味が増し、あまり時間を置くと辛みが減少する。
a29  合わせそば 「昼夜そば」ともいう。変わりそばの色物二種の生地を重ね合わせて延すことによって、麺が二色に切りだされたそば。例えば、さらしな粉を湯練りした更科そばの白色と海老切りの赤色を合わせて紅白のそばができる。さらしなの白と胡麻切りの黒と合わせると白黒の昼夜そばができあがる。
*「昼夜そば」の項も同じ
a30  淡雪そば
 あわゆきそば
鬼平犯科帳に登場するのは「山芋を擂りおろし、薄目の出汁で溶いたものを、熱いそばの上へ、たっぷりとかけまわし、もみ海苔を振って出す」または「泡雪蕎麦」とある。
そば屋の品書きには同名の「卵白を泡立てて」かけそばにかけるのもある。また、それぞれ山芋と卵白の泡立てたのを組み合わせる場合もあるそうだが、昨今見ることはない。
a31  あんかけ 葛や片栗粉を水溶きして加熱したあん(くずだまり)をかけたもの。麺類でも幕末のころ「あんかけそば」「あんかけうどん」として登場、大阪にあったそば屋の張札(値札)では、うどんやそば16文、あんかけ18文、かちん24文とある。明治中頃の「風俗画報」では、京・大阪の蕎麦・うどん屋が屋台を引く売り声は「そば・うどん−−」「あんかけなんば−−」とあり、「あんかけなんば(南蛮)」の呼称もあったことがわかる。とろみのきいた熱いくずあんにおろし生姜が添えられた寒い冬の味覚である。
a32  庵号
 (そば屋の庵号)
浅草・新寺町にあった称往院の院内に道光庵があり、庵主がそば打ちの名手で寺で振る舞うそばが評判になって、まるでそば屋の如く大繁盛したという実話がある。(寛延4年(1751)蕎麦全書が書かれた当時、道光庵は既にそばで有名であったが、この頃江戸のそば屋の店名に庵が付く例は登場していない。)そして、天明六年(1786年)親寺によってそばを禁止される。その後、道光庵の評判と繁昌振りにあやかろうと店名に庵をつけるそば屋が現れだしたのが発端という。現在でも、店名に庵の付くそば屋は多い。
a33  行灯(あんどん) そば屋の看板には、店先に置く「置き行灯」と軒に掛ける「掛け行灯」があった。片側に「そば切り」もう片方に「うんどん」、または屋号やそばの名目などを書いた。
a34  安養寺 「慈性日記」の抄出本(安養寺本)を所蔵。江戸におけるそば切りの初見である「慈性日記」の原本の所在は不明であり、抄出本を滋賀県多賀の天台宗寺院安養寺が所蔵している。ほかに写本として東京大学史料編纂所に謄写本(東大本)があり、現存する「慈性日記」は安養寺本と東大本のみである。
     
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