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一膳八文 壱せん・そば切・八文 |
「絵本御伽品鏡」という絵草紙に、大坂の名物風俗を描いた享保15年頃(1731)の蕎麦切屋の店先風景がある。その置き行燈(箱看板)に「壱せん・そば切・八文」(一膳八文)とそばの値段が書かれている。そばやうどんの値段は、江戸や上方では 1750年頃(宝暦・明和の頃)までは六〜八文くらい、そしてしばらくは十二文〜十四文、1790年代(寛政)から文化・文政・天保(1804〜44)にかけて十六文が定着して行き、幕末頃まで続く。 |
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